九州出身の人でさえ「これはうまい」とうなるとんこつラーメンのスープ。それを、豚骨を一滴も使わず、数種類の「白い粉」だけで再現してみせる。手品ではない。これが、本書の著者・安部司さんがかつて生業としていた仕事の縮図です。
安部さんは、純品ならほぼすべて、食品に混じった状態でも約100種類の添加物を舌だけで言い当てられたといいます。業界で「食品添加物の神様」と呼ばれたトップセールスマン。その人物が、なぜ売る側から内幕を語る側へと寝返ったのか。本書はその告白から始まります。
先に断っておくと、これは「添加物は毒だ、今すぐやめろ」という恐怖を煽る本ではありません。安さ・便利さという恩恵をはっきり認めたうえで、「隠されている事実を知り、自分の頭で選ぼう」と促す本です。
読者を脅すのではなく、判断材料を手渡す。そこが、巷にあふれる無添加礼賛の言説と本書を分ける一線です。

著者が告発するのは「知らされていないこと」
転機は、安部さん自身の長女の3歳の誕生日でした。食卓に並んでいたのは、彼が開発した特売用のミートボール。本来なら産業廃棄物として捨てられるはずのクズ肉に、30種類もの添加物を投入して「食品」に仕立てたものでした。
それを我が子が嬉々として奪い合って食べている。その瞬間、安部さんは「自分も、自分の家族も、結局は消費者だったのだ」と悟り、翌日に会社を辞めます。これが本書の原点です。
ここで見落としてはいけないのは、彼の主張が「禁止せよ」ではない点です。著者ははっきりこう書きます。
「そういう添加物の『光』の部分を享受しながら、『影』の部分だけを責めても意味がありません。」
安さ、手軽さ、見た目の美しさ、長い保存性。これらは紛れもなく添加物がもたらした恩恵です。だから著者が求めるのは「禁止」ではなく「情報公開」。
事実を知らされていなければ、安全を選ぶことも、あえて安さを選ぶこともできない。判断の前提となる情報を消費者に返せ、というのが本書の芯です。
私はこの姿勢こそ本書最大の美点だと思います。善悪の断罪ではなく、選択の自由を回復させる議論だからです。
添加物の見分け方は「台所にあるか、ないか」
では、化学の知識がない人はどうやって添加物を見抜けばいいのか。著者の答えは拍子抜けするほど単純です。
「いま説明したように『食品添加物=台所にないもの』という公式を頭に置いて、ひとつひとつ確認していけばいいのです。」
おばあちゃんの台所に、ソルビン酸やポリリン酸、pH調整剤は置いてあるでしょうか。ない。だからそれは添加物だ、と。物質名や毒性ランクを暗記する必要はありません。
商品裏の原材料表示を見て、自宅の戸棚にないカタカナの物質ができるだけ少ないものを選ぶ。たったこれだけで、誰でも今日から添加物と向き合えます。
著者は自らを「添加物の翻訳者」と名乗ります。専門用語を、消費者が直感で扱える日常語に変える。この「台所にないもの」という公式は、その翻訳の代表作と言っていいでしょう。難しい知識を持たない人ほど効く、よくできた実用ルールです。
「安い」には、必ず理由がある
本書の前半は、加工食品がなぜここまで安くできるのか、その種明かしに費やされます。
象徴的なのが「プリンハム」。100キロの豚肉の塊に、大豆や卵白のつなぎと水で作った「肉用ゼリー液」を注射器で打ち込む。打ち込む量は肉全量の20〜30%。
こうして120〜130キロにまで水増しされたハムが、特売品として店頭に並びます。「500グラム498円。ハムにしては安いわね」と一瞬怪訝に思いつつ、裏を見ずにカゴへ入れる――そんな主婦の姿が描かれます。
安さの裏側は、見ようとしない限り永遠に見えないのです。
明太子も同じ構図です。低級のタラコを10種類以上の添加物で高級品へ化けさせる。化学調味料は総重量の2〜3%にも達します。私たちが「タラコや明太子の味」だと信じているものの正体は、その大部分が化学調味料の味だと著者は言い切ります。
調味料も例外ではありません。本物の丸大豆しょうゆが1リットル1000円なのに、特売の「しょうゆ風調味料」は198円、安いと138円。後者は、油を絞った大豆のカスを塩酸で分解したアミノ酸液に、色・味・とろみを添加物で足したもので、1カ月もかからず作れます。
みりんも、「みりん風調味料」と名のつくものは、シロップに化学調味料と着色料を混ぜた色つきシロップにすぎません。
ここで著者が惜しむのは、職人技の消失です。うどん屋もかまぼこ屋も、添加物を入れれば手間も熟練も要らなくなる。「添加物は職人要らず」という言葉どおり、技術ゼロでも一定品質が量産できてしまう。
便利さと引き換えに、作り手の腕と矜持が抜け落ちていく。本書はその文化的な喪失も静かに告発しています。安さの代償は財布の外側にもある、というわけです。
ラベルを見ても、全部は載っていない
「なら裏の原材料表示をちゃんと読めば安心だ」。そう思った読者に、本書は冷や水を浴びせます。表示を見たところで、使われた添加物のすべては分からないのです。
理由は3つの抜け穴にあります。
ひとつめは一括名表示。「香料」「乳化剤」「pH調整剤」「調味料(アミノ酸等)」などは、同じ目的の複数の添加物をまとめて1つの名前で書ける制度です。たった1つの表示の裏に、数種類から数十種類が隠れている。たとえば「香料」は約600種類の中から数種類を混ぜて作られます。
ふたつめはキャリーオーバー。原材料に元々入っていた添加物は、最終製品で効果を出さないレベルなら表示が免除されます。焼肉のタレに使ったしょうゆの中の添加物は、書かなくていい。
みっつめは加工助剤と表示免除。製造途中で使っても最終的に残らないとされる添加物や、パッケージが30平方センチ以下と小さい場合は、表示しなくてよいルールがあります。
ついでに著者は、言葉の隠れ蓑も剥がします。「調味料(アミノ酸等)」とは、要するに化学調味料、グルタミン酸ナトリウムのこと。「化学調味料」に悪いイメージがついたので、「アミノ酸」という健康そうな響きの言い換えをまとっているだけだ、と。
この章で最も鮮烈なのがコーヒーフレッシュです。あの白いミルク風の液体には、牛乳も生クリームも一滴も入っていません。正体は、水とサラダ油を乳化剤で白く濁らせ、増粘多糖類でとろみをつけ、着色料と香料でミルク風に仕立てた「ミルク風サラダ油」。
6〜8種類の添加物の合作です。牛乳より圧倒的に安いから、飲食店で使い放題にできる。無料で配られるあの小さなカップが、実は油だったというのは、私には食品表示制度の限界を一杯のコーヒーで示した好例に見えます。
衝撃の事実――「手作り派」のほうが添加物は多かった
ここからが、多くの読者が「これは自分のことだ」と背筋を伸ばす章です。
まず登場するのは、自炊しない独身サラリーマンN君(25歳)。朝はハムサンド、昼は豚キムチ弁当とインスタントコーヒー、夜はカップめんとおにぎり、健康のためにと添えるパックサラダ。これで1日に、重複込みで軽く60種類超の添加物を摂取します。ハムサンドだけで20種類以上です。
「やっぱりコンビニ食はダメだ」と思うでしょう。問題はその先にあります。
健康に気を使い、手作りと和食を心がける主婦F子さん(38歳)。3歳の子どもがいます。だし入り味噌、特売のたくあんや明太子、太巻き寿司、カレールー、市販ドレッシング――良かれと思って使ったこれらの加工食品のせいで、摂取量はなんと60〜70種類。
コンビニ漬けのN君と同等か、それ以上でした。太巻き寿司1食分だけで30種類を超えます。
「手作り」と「無添加」は、まったく別物だった。この一点だけでも本書を読む価値があります。手間をかけた安心感が、加工された調味料によって裏切られていたのです。
日本人が1日に摂る添加物は平均約10グラム、年間にして約4キロ。これは日本人の1日の食塩摂取量(11〜12グラム)とほぼ同じ量です。塩と同じだけ「台所にないもの」を口にしている、と言われると、その量感が一気に立ち上がります。
著者がここで鳴らす警鐘が「複合摂取」です。国の使用基準は、添加物を1つずつ単独で動物に与えた実験に基づいています。ところが私たちは、ひとつの弁当から何十種類もを同時に体へ入れている。
その組み合わせの影響は十分に研究されていない。だから「基準内だから完全に安全」とは言い切れない――これが著者の慎重で誠実な立場です。「危険だ」と断じないからこそ、かえって説得力があります。
子どもの舌は「白い粉」で書き換えられる
味覚の話は、本書でもっとも切実なパートです。
ラーメンスープ、スナック菓子、だしの素。一見バラバラの味付けに思えるこれらは、実はベースが同じです。「塩」「化学調味料」「たんぱく加水分解物」――著者が「黄金トリオ」と呼ぶ三点セット。風味付けのエキスを差し替えているだけで、うまみの骨格は共通しているのです。
なかでも著者が最も問題視するのが「たんぱく加水分解物」。肉や大豆のタンパク質を塩酸などで強引に分解して作る、濃厚で強烈なうまみの素です。厳密には添加物ではないものの、ありとあらゆる加工食品の味の土台になっています。
この不自然に濃い味に子どもが慣れると、どうなるか。天然のだしや、野菜本来の淡い味を「おいしい」と感じられなくなる。著者はこれを「味覚の破壊」と呼びます。一度書き換えられた舌は、簡単には元へ戻りません。
「みんなが『おいしい』と言って喜ぶタラコや明太子、かまぼこの味――それは化学調味料の味なのです。」
健康被害というより、これは食文化の継承の問題だと私は受け取りました。淡い味を味わう力は、放っておいて育つものではなく、幼い頃の食卓で養われる。そこが上書きされてしまえば、何代か先には「本物のだし」を求める舌そのものが減っていきかねない。
もう一つ警戒したいのが、ジュースなどに使われる「ブドウ糖果糖液糖」。最初からブドウ糖と果糖に分かれているため、点滴のように一気に吸収され、血糖値を急激に跳ね上げます。
500ミリリットルのジュースには砂糖50グラム相当、ポテトチップス半袋分のカロリーが溶けている。透明な甘さほど、量の自覚を奪うのです。
「消費者は被害者」では、話は終わらない
本書がただの告発本と一線を画すのは、矛先を読者自身にも向けるところです。
「『メーカー=加害者』vs『消費者=被害者』という図式は成り立ちません。」
少しでも安く、見た目がよく、手軽なものを。そう求める消費者がいるからこそ、メーカーはクズ肉を再生し、シロップをみりんに仕立てる。私たちは恩恵をすべて受け取ったうえで、影だけを責めている。それは筋が通らない、と著者は言います。
データも添えられます。福岡都市科学研究所が2003年に15歳以上1700人へ行った調査では、安全に注意はするが特別なことはしない「分裂型」が52.4%、安くて美味しければ満足の「無関心型」が23.0%。
合わせて75.4%、つまり4人に3人が、結果的に安価な添加物を支持していたことになります。
作り手の側にも、同じ矛盾が透けて見えます。本書には「自分の工場の特売品は食べない」と漏らす人が何人も登場します。レンコンを漂白して真っ白にして売った社長は「あのレンコンは自分では食べない」と言い、農協婦人部のおばちゃんは「家で漬けるのは塩だけ」と明かす。
法律はきちんと守っている。それでも自分の家族には食べさせたくない。その居心地の悪さを、誰よりも作っている本人が知っているのです。
今日からできる、添加物との5つの付き合い方
著者は、添加物を完全にゼロにするのは不可能だと認めたうえで、上手に付き合う5つのポイントを示します。
第一に、「素朴な疑問」を持つこと。なぜこのハムはこんなに安いのか。なぜ切ったレタスがいつまでも変色しないのか。安さと便利さの裏にある理由を、一度立ち止まって考える。すべてはここから始まります。
第二に、買うとき必ず商品を裏返してラベルを見ること。表側の「無着色」「減塩」といったキャッチコピーで判断しない。無着色明太子は着色料を2〜3種類外しただけで、発色剤や化学調味料は通常どおり使われています。一度ひっくり返す、その一動作を習慣にする。
第三に、「台所にないもの」が少ないほうを選ぶこと。同じ棚の2商品で、カタカナ表示の少ないほうを取る。暗記は不要、比べるだけです。
第四に、なるべく加工度の低いものを買うこと。冷凍ピラフよりパックご飯、パックご飯より生米。「手間をとるか、添加物をとるか」を心に留める、と著者は書きます。
第五に、「知って」食べ、1週間スパンで調整すること。完璧主義は挫折します。コンビニ弁当の日があってもいい。大事なのは「今日は添加物を食べた」と自覚していること。その自覚があれば、翌日は昆布でだしを取る、といった帳尻合わせができます。
そしてもう一つ、著者が繰り返すのが、台所仕事を子どもに見せ、手伝わせることです。食べるとは命をいただく行為。親が手間をかける姿を見せ、野菜を切らせることで、食べ物は簡単に手に入るものではないという感覚が育つ、と本書は説きます。
おわりに――裏返す、その一動作から
この本を読んだあと、あなたはたぶんスーパーで一度、商品を裏返すようになります。著者が求めているのは、それくらいの変化です。すべてを無添加に切り替える禁欲ではありません。
「あなたの小さな選択のひとつひとつが、日本の豊かな食文化と日本人の心を取り戻す大きな流れにつながるのだと信じています。」
「白い粉」で何ができるかを知ったうえで、自分で選ぶ。その小さな選択の積み重ねが、長い目で食を変えていく。完璧を目指さず、知ったうえで折り合いをつける――この現実的な落としどころが、本書を一過性の不安本ではなく、長く手元に置ける一冊にしています。
まずは今日の夕飯の材料を、ひとつだけ裏返してみてください。
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