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『20歳の自分に受けさせたい文章講義』古賀史健|文章は「書く」のではなく「翻訳」する

コミュニケーション・文章術 ✍ 古賀史健
約10分で読めます

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『20歳の自分に受けさせたい文章講義』
目次

頭の中では言いたいことが渦巻いているのに、いざ書き始めると一行目で固まる。話すときはあれだけ言葉が出てくるのに、キーボードの前に座ると別人のように沈黙してしまう。

この「話せるのに書けない」現象の正体を、本書は驚くほど身も蓋もなく言い当てます。あなたは「書こう」としているからダメなのだ、と。

『20歳の自分に受けさせたい文章講義』は、現役ライター・古賀史健さんによる文章の講義録です。古賀さんはのちに『嫌われる勇気』を世に送り出す書き手で、本書はその技術論の土台にあたります。

注目すべきは、ここに文才やセンスという言葉が一切登場しないこと。文章を、ふわっとした感覚論ではなく、論理と技術として最後まで解体し続ける一冊です。

図解

こんな人におすすめ

メールやチャットで「対面なら一瞬で伝わったのに」ともどかしさを感じた経験がある人。話し言葉をそのまま打ち込んでも、なぜか冷たく響いたり誤解を招いたりする。その理由が腑に落ちます。

企画書やブログを書くと「論理が飛んでいる」「結局なにが言いたいの」と返されてしまう人。本書は、文と文のつなぎ方という、ふだん誰も注意を払わない急所にメスを入れます。

そして、文章の上達は文才で決まると思い込み、書く前から半分あきらめている人。本書は冒頭から「いい文章を書くのに、文才などまったく必要ない」と断言します。この一行に救われる人は少なくないはずです。

「うまく書く」のではなく「翻訳」する

本書がまず壊しにかかるのは「文章はうまくならなければいけない」という強迫観念です。古賀さんが掲げるゴールは、もっと地に足がついています。「話せるのに書けない」を解消すること。たったそれだけです。

なぜ多くの人が話せるのに書けないのか。古賀さんは、話すことと書くことをまったく別の行為だと言い切ります。同じ日本語なんだから地続きだろう、というひとつの土俵で語ってはいけない、と。

ここで持ち出されるのが、テレビと新聞のたとえです。話し手は表情、声のトーン、身振りという道具を同時にいくつも使える。これがテレビ。一方、書き手の手元にあるのは言葉と文字という棒切れ一本だけ。

これが新聞です。対面では伝わったのにチャットだと険悪になるのは、単純に使える道具の数が減っているからだ、という説明には妙な説得力があります。

そして本書の核心概念が登場します。文章とは、頭の中の「ぐるぐる」を、伝わる言葉へ「翻訳」したものである。ここでいう「ぐるぐる」とは、まだ言葉になる前の、漠然とした感情や思いのこと。

これをそのまま紙に写し取ろうとするから手が止まる。書くのではなく翻訳するのだ、と意識を切り替えるのが第一歩だと古賀さんは言います。

この「翻訳」というメタファーが秀逸なのは、書き手を作家ではなく通訳の立場に置き直す点です。作家には才能が要りそうだが、通訳に求められるのは技術と誠実さだけ。

古賀さん自身、数学者に取材したとき、数式を使わず語られた面白さを、数学が苦手な読者の言葉へ置き換えた経験を語ります。専門性がなくても、素人に通じる言葉へ変換できることこそが武器になる、というわけです。

さらにもう一段深い主張があります。本書は「書くこととは、考えることである」と言い切ります。理解したから書くのではない。書くというアウトプットの過程の中で、自分なりの答えを発見していく。だから文章力は、そのまま思考力そのものでもあります。

私が膝を打ったのは、悩みごとへの応用です。頭の中だけで悩むと、思考は同じ場所を堂々巡りする。ところがいったん書き出してみると、意外な出口が見える。

書くという行為には、止まった思考を前に押し出す力がある。文章術の本を読んでいるはずが、いつのまにか生き方の話になっているところに、本書の射程の広さを感じます。

なぜ著者は、この技術を若いうちに身につけてほしいと願うのか。背景には明確な時代認識があります。かつて一人一台のパソコンもメールアドレスもなかった時代から一転、いまや誰もが日々なにかを「書かされる」社会になった。

ツールがどれだけ進化しても、思考そのものを機械に丸投げはできない。だからこそ文章力は、将来への最大級の投資になる、という結論です。

文体の正体は「リズム」、それを決めるのは論理

第1講のテーマは文体です。ただし古賀さんのいう文体は、語尾の選び方や気の利いた言い回しのことではありません。文体とはリズムであると再定義されます。

ではそのリズムは何で決まるのか。意外にも、句読点のセンスではなく、文と文のつなぎ方、つまり論理展開で決まると言います。一文一文が正しくても、文同士の接続が破綻していれば、読み手は小骨が喉に刺さったような違和感を覚える。

文章の心地よさは、装飾ではなく骨組みから生まれるという指摘です。

その論理破綻を防ぐ鍵が「接続詞」です。文章を列車にたとえるなら、接続詞は車両をつなぐ連結器。「お腹が空いています」と「大盛りのカツカレーを食べました」を「だから」でつなぐと不自然になる。

自分の書いた文と文の間に、正しい接続詞がすんなり入るかをチェックするだけで、論理のほころびに早く気づける。これは今日からそのまま使える実践技です。

ここで本書はもうひとつ価値観を反転させます。目指すべきは美しい文章ではなく「正文」、つまり正しい文だ、と。美しさより先に正しさが来るべきで、安易なレトリックや美辞麗句に走ると、かえって正確な描写から遠ざかる。

日本語学者の金田一秀穂さんが提案した、絵や写真を主観抜きで言葉にするゲームが引かれ、詳しく飾ろうとするほど描写が不正確になっていく様子が示されます。

リズムには見た目の側面もあります。古賀さんの挙げる「視覚的リズム」は三つ。一行に句読点を一つ入れて縦の圧迫感を消す。最大五行をメドに改行して横の圧迫感を消す。

漢字とひらがなのバランスを取り、漢字を詰め込みすぎない。ページが黒くごちゃつくと、読む前から「読みにくそう」と敬遠される、という指摘は、ブログやSNSの時代にむしろ重みを増しています。

仕上げは音読です。言い淀む場所には読点を打ち、同じ語尾や副詞が近くで重なっていないかを耳で確かめる。聴覚的リズムは、目だけでは決して拾えません。

構成は「眼」で考える、というカメラワーク

第2講は構成です。文章の面白さや個性を決めているのは、語彙や表現ではなく構成であり論理展開だ、と本書は言います。同じ題材でも、どんな順番で組み立てるかで魅力はまるで変わる。

実務的な文章では、起承転結にこだわる必要はありません。「転」は読者を惹きつける反面、ビジネス文書では混乱の元になる。むしろ転を冒頭に置く「起転承結」のほうが向いている、というのが古賀さんの提案です。

起承転結が要るのは原稿用紙25枚を超えるあたりからで、ブログや企画書のような日常文はせいぜい3〜4枚。凝った構成は不要だと割り切ります。

映画監督・北野武のエピソードも印象的です。北野はシナリオを4コマ漫画ベースで考えると明かした。先に「結」の一枚を決め、そこから逆算して起承転を肉付けする。日本人には4コマ漫画の文化が染み付いている分、構成を視覚的に発想するのは理にかなっている、というわけです。

構成を支える比喩が「カメラワーク」です。序論は客観のカメラ(遠景)で状況を映し、本論は主観のカメラ(近景)で自分の意見を語り、結論で再び遠景に引く。この視点の切り替えで論理がなめらかに流れる。原稿用紙4枚なら、序論2・本論6・結論2が配分の目安だといいます。

論理そのものを強くする道具が「論理のマトリョーシカ」です。説得力のある文章は、伝えたい「主張」の中に「理由」があり、その中に客観的な「事実」が入る三層の入れ子構造を持つ。この三つが連動して初めて、読者は納得する。主張だけ叫んでも響かない理由が、構造として可視化されます。

導入部は映画の「予告編」だと考えます。読者を劇場の椅子に座らせるために期待を煽る。型は三つ。冒頭にインパクトのある結論を置く型、核心に触れず周辺で想像させる寸止め型、疑問と答えを先に示すQ&A型です。

寸止めの例として、素顔を成田空港の入国審査官しか知らないとされた覆面レスラー、ミル・マスカラスが挙げられる。隠すことで「見たい」を激しくかき立てる、という人間心理の応用です。

そして本論を支えるのが「面倒くさい細部」の描写です。抽象的な言葉だけでは情景は浮かばない。具体的な細部を描いてこそ、読者は書き手と同じ世界を体験し、リアリティが生まれます。

読者の「椅子」に座る、たったひとりに向けて書く

第3講は読者論です。古賀さんの表現は独特で、読者の隣に立つのでも、立場を想像するのでもなく、読者と同じ「椅子」に座れと言います。肩を並べ、同じ景色を見る。そこで初めて、書き手は自分自身も一人の読者になれる。

ここで警告されるのが「多数派の罠」です。みんなに喜ばれようとするほど、誰からも喜ばれない文章になる。万人受けを狙うと輪郭がぼやけ、結局誰の心にも刺さらないからです。

その処方箋が「10年前の自分」です。過去の自分が抱えていた悩みは普遍的で、そこへ向けて書くと言葉に強度が出る。結果として、いま同じ悩みを抱える見知らぬ誰かにも深く届く。たったひとりに絞るほうが、かえって多くの人に刺さる。この逆説こそが本書の白眉だと私は思います。

読者を動かす方法も常識の逆を行きます。上から「説得」するのではなく、読者自身に「納得」してもらう。人は他人事では動かず、押せば反発する。だから当事者意識を持たせる「関連づけ」が要る。

早い段階で独自の仮説を差し出し、「あなたはどう思うか」と問いかけ、一緒に検証する。読者を観客ではなくプレーヤーにするのです。

読者を「素人」と見なす姿勢も徹底しています。専門用語に逃げて「わかるヤツにわかればいい」とするのは書き手の怠慢だ、と。思想家・吉本隆明の言葉が引かれ、著者の理解が深ければ深いほど、どんな高度な内容も平易に語れるはずだとされます。

むしろ自分がまったく知らない分野を書くときのほうが、何も知らない読者の視点に立てて、わかりやすく書けることもある、というのは逆説的で面白い。

書く中身にも歯止めがあります。「自分の頭でわかったこと」以外は書いてはいけない。理解が浅いまま書くと、細部に小さなウソが混じり、文章全体の信用が崩れる。

さらに、目からウロコの新発見は全体の3割で十分で、残り7割は「そうそう」「なるほど」と読者が頷ける既知の情報で構成する。驚きばかりだと、人はかえって不信感を抱くからです。

推敲とは「なにを書かないか」、サンクコストを捨てる勇気

第4講は編集、つまり推敲です。本書はここで問いを裏返します。問題は「なにを書くか」ではなく「なにを書かないか」だ、と。

素材をすべて詰め込む足し算では、焦点がぼやけます。目指すのは、要素を削ぎ落として本質だけを際立たせた「オレンジジュース」のような引き算の文章。あれもこれもと混ぜた「野菜ジュース」ではいけない、という比喩が刺さります。

推敲は、赤ペンで細かく直す地味な作業ではありません。ハサミで切り、貼り、足す「編集」であり、古賀さんはこれを「過去の自分との対話」と呼びます。書いた時点の自分を一歩引いて客観視し、読者の目線で容赦なくツッコミを入れながら練り直す。

その最大の禁句が「もったいない」です。せっかく調べたから、何時間もかけて書いたから——この感情が、不要な文章を削れなくさせる。本書はこれを経済学でいうサンクコスト(埋没費用)の罠として名指しします。

読者にとって、冗長な文章ほどつらいものはない。感情に流されず、無駄なら思い切って捨てる。長すぎる文を見つけたら、ためらわず短く切り分ける。

ちなみに「推敲」という言葉の語源にも触れられます。唐の詩人・賈島が「僧は推す月下の門」の「推す」を「敲く」に改めるべきか迷い、文人・韓愈に尋ねた故事です。

言葉ひとつを選び抜くこと。それが推敲の本質だと、千年以上前から人は知っていた。文章に向き合う行為の根の深さを感じさせる挿話です。

今日からできること

ここまでの技術を、机上の知識で終わらせないための小さな実践を三つ挙げておきます。

一つ目は、聞いた話をその日のうちに誰かへ自分の言葉で話すこと。取材や会話で得た内容を5分ほど語り直すと、内容を再構築し、相手の真意を再発見し、自分がどこに反応したかに気づける。これが「翻訳」の生きた訓練になります。

二つ目は、書き終えたら文と文の間に接続詞を入れてみること。つなぎ目に正しい接続詞がすんなり収まるかをテストし、入らない箇所を論理破綻のサインと見なす。逆に、要らない接続詞は遠慮なく削ってかまいません。

三つ目は、削るとき「もったいない」と思ったら、その部分こそ疑うこと。苦労して書いた箇所ほど、読者には不要なことが多い。サンクコストの罠だと自分に言い聞かせ、本筋に関係しない部分にハサミを入れる。

おわりに

文才の有無を問うのは、夢をあきらめる言い訳を探しているだけだ。古賀さんはそう書いています。少し厳しい言葉ですが、裏を返せば、技術は誰にでも開かれているという宣言でもあります。

いい文章とは、読者の心を動かし、その行動まで動かす文章のこと。そのために必要なのは、生まれ持ったセンスではなく、自分の思いを論理的な言葉へ翻訳する意識と技術です。

才能を気にする前に、まず最初の一行を書く。20歳の自分に受けさせたかった、というタイトルの願いは、たぶん今のあなたにも十分に間に合います。


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『読みたいことを、書けばいい。』田中泰延 「たったひとりの読者」を突き詰めた先で、田中さんは「自分が読みたいものを書く」と言い切ります。本書の「10年前の自分に向けて書く」と響き合う一冊です。

『言語化力』三浦崇宏 頭の中の「ぐるぐる」を言葉に変える翻訳の話を、もう一歩進めたい人へ。言葉にできないものをどう武器に変えるかという視点が重なります。

『すごい言語化』木暮太一 「語彙力がないから書けない」という誤解を解く点で、本書の「文才はいらない」と同じ方向を向いています。伝わらない本当の原因を考え直せます。


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