テスト勉強をしようとして、なぜか部屋の掃除を始めてしまう。
あの感覚に、心当たりはありませんか。「まず環境を整えよう」と自分に言い聞かせて、気づけば数時間。本当にやるべきことには、一文字も手をつけていない。
データサイエンティストの佐藤舞さんは、これを「時間を食べつくすモンスター」と名づけました。そしてその正体は、私たちが思っているものとは、まるで違っていました。
本書はタイパや効率化の本ではなく、なぜ私たちは時間を無駄にするのかという問いを、心理学と統計学の研究で解きほぐしていく一冊です。
こんな人におすすめ
- タイパや効率化のテクニックを試したのに、なぜか満たされない人
- 空いた時間ができても、スマホを見るだけで終わってしまう人
- 「ポジティブに考えよう」と言われるたび、どこか疲れてしまう人
- やりたいことが何なのか、自分でもよくわからない人
私はこの本を、論理と納得で動きたいタイプの人にこそ薦めたいと思いました。精神論で背中を押すのではなく、心理学や統計学の研究を土台に話が進むからです。逆に「とにかく気合いで」と言われたい人には、少し回りくどく感じるかもしれません。
モンスターの正体は「自己欺瞞」だった
時間が足りないのは、タイムマネジメントが下手だから。そう思っていませんか。
本書はそこを否定します。タイムボクシングのような時間術は、「仕事のための仕事」を速くこなすのには役立つけれど、「自分にとって本当に重要なことは何か」という問いには答えてくれない、と。
では浪費の正体は何か。佐藤さんはこう言います。
「向かい合わなければいけない本質から目をそらし、それでいいんだといいわけをすることに時間を使っている。これが、人生の浪費の正体なのです。」
本来やるべきことへの不安から逃れるため、自分にウソをついて別の行動を正当化する。心理学でいう「自己欺瞞」です。掃除に逃げるのも、スマホをだらだら見るのも、根は同じ。私たちは「逃避」に時間を溶かしているわけです。
ここが本書の出発点であり、独特なところでもあります。時間術の本なら「もっと効率を上げよう」と言うところを、本書は「あなたが避けている本質は何か」と逆方向に問いを向けてくる。痛いところを突かれる感覚があるはずです。
「20分じゃ何もできない」という思い込み
そもそも、なぜ大人は時間を浪費しがちなのでしょう。本書はまず、時間の知覚そのものが歪んでいることを指摘します。
子どもの頃は、20分あれば「校庭に行ってドッジボールができる」と判断して、実際に動けた。それが大人になると「たった20分じゃ何もできない」と思い込み、スマホで埋めてしまう。同じ20分なのに、使えるか使えないかの判断が真逆になるわけです。
面白いのは、この歪みが脳の発達の裏返しだという点です。同じ大きさの円でも、周りの円が大きいと小さく見えるエビングハウス錯視。大人はこの錯視に騙されますが、子どもは騙されにくい。
周囲の文脈から対象を捉える脳の働きが、年齢とともに育つからです。その文脈を読む力が、皮肉にも時間の見積もりを狂わせている。
つまり「20分しかない」という感覚は、客観的な事実ではなく思い込みです。スキマ時間を無価値だと切り捨てる前に、その判断を疑ってみる価値があります。
なぜ時間術「だけ」では足りないのか
本書は、世にある時間術を頭ごなしに否定はしません。ただ、それだけでは届かない場所がある、と言います。
イギリスのFilteredという会社がまとめた効果的な時間術ランキングには、通知の管理やウェルビーイング向上のテクニックが並びます。コヴィー博士の『七つの習慣』にある緊急度と重要度のマトリクスも有名で、多くの人が「緊急ではないが重要なこと」に手をつけられていない、と指摘されます。
ただ、これらはあくまで「手段」です。何のために時間を使うのか、自分は何をしたいのか。その肝心な問いには答えてくれません。
東大の松尾豊教授は、大事なのは時間のコントロールより集中力のコントロールだと述べています。締め切りがあるからこそ集中力が出る、というわけです。
さらに日立製作所の研究では、私たちが今日何に時間を使うかは無意識のうちに科学法則に制約されていて、完全には自由にならない可能性も示されています。
テクニックを足す前に、向き合うべきものがある。それが本書の立場です。
時間を奪うのは、死・孤独・責任への不安
では、私たちは何から逃げているのか。本書はそれを「人生の3つの理」と呼びます。
死は、人は必ず死ぬという事実です。考えると無力感や恐怖が湧きます。 孤独は、人は別々の世界に生き、他者に100%理解されることはないという事実です。 責任は、自由に生きられるからこそ、結果はすべて自分に返ってくるという事実です。
この三つは、漠然とした不安を生み出します。直視したくないから、私たちは目をそらす。心理学では、苦痛から逃げようとする行動を「体験の回避」と呼びます。
逃避の形はさまざまです。死の不安を紛らわすために仕事に没頭してワーカーホリックになる。孤独の不安からパートナーのスマホをチェックしたり、責任を避けて決定を他人に委ねたりする。
どれにも「家族を養うためだ」といった正当な理由づけができてしまうから、自分でも逃避だと気づきにくいのが厄介です。
やっかいなのは、回避すればするほど苦痛が大きくなることです。「シロクマのことを考えないで」と言われると、かえってシロクマが頭から離れなくなる。ハーバード大学のダニエル・ウェグナー氏の実験が示した、リバウンド効果です。不安は、避けるほど膨らみます。
ただ、著者は死を恐れるなとは言いません。
「死を意識することは絶望ではなく、今この一瞬一瞬を大切に生きるためなのです。」
限りがあると知るからこそ、今日が大切になる。3つの理は、敵ではなく原動力にもなる。本書は向き合い方を、変えられないものと変えられるものを区別し、受け身ではなく主体的に人生へ参加し、苦は人生に必要だと受け止める、という三つの原則にまとめています。
後悔する時間の使い方とは「自分で変えられないことで悩み続ける」ことだ、と。
変えられるのは、感情ではなく「認知と行動」
不安や落ち込みを、無理に消そうとしていませんか。本書はそれを逆効果だと言います。
ネガティブな映像を見せられた人に「ポジティブに解釈して」と指示すると、脳がパニック状態になり血流が加速した。ミシガン州立大学の研究です。無理にポジティブになろうとすると、かえって自分のネガティブさが強調されてしまう。
では、どうするか。佐藤さんの答えは明快です。
「私たちがコントロールできる「自分」は、認知と行動である、ということを覚えてください。」
感情や身体の反応は、直接は変えられません。でも、出来事の捉え方(認知)と、実際の動き(行動)は、自分で選べます。
その第一歩が、感情を消そうとせず、ありのまま受け入れる「アクセプタンス」です。ミスを指摘されて胸がざわついたら「元気を出さなきゃ」ではなく、「今、自分は焦っているな」とまず認める。
否定的な考えが浮かんでも「〜と思った」と付け加えるだけで、少し距離が取れます。考えや感情を紙に書き出して切り離すこの技法を、本書は「外在化」と呼びます。
逆に、感情を味わう代わりに理屈で頭を埋める「知性化」は、回避の一形態として戒められています。
これがACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)という心理療法の流れです。気づく(マインドフルネス)、受け入れる(アクセプタンス)、重要なことに取り組む(コミットメント)。54,633件の研究を分析した結果でも、メンタルに良い変化をもたらすのはこの三つだとされています。
価値観は、ゴールではなく「コンパス」
認知と行動を、どの方向に向ければいいのか。その指針が「価値観」です。
ここで本書は、価値観と目標をはっきり分けます。
「価値観というのは、人生のコンパスのようなもので、価値観に沿って行動することが人生を充実させる重要なポイントです。」
たとえば「結婚する」はゴールです。達成したら、リストから消えます。一方「家族と苦楽を共にし、絆を深めていく」は価値観です。たどり着いて終わるものではなく、日々の行動の方向を示し続けます。「西の山に登る」が目標なら、「西へ進む」が価値観、というわけです。
もう一つ大事なのが、価値観は単語ではなく文章で書く、という点です。「誠実さ」では曖昧すぎる。「誰に対しても嘘をつかず、約束を守る」まで具体的にして、はじめて行動の基準になります。
ちなみに本書は「本当の自分とは何か」という問いを退けます。確固たる自分など存在しないからです。組織心理学者ターシャ・ユーリック氏の調査では、95%の人が「自分を理解している」と思っているのに、実際の自己理解度は10〜15%にすぎませんでした。
では価値観はどこにあるのか。本書は、過去の困難な経験や子どもの頃の体験を振り返るワークを勧めます。そこで見えてくるのは、価値観はいつも他者や社会との関わりの中で見つかる、という共通点です。
社会学者グラノヴェッターの「弱い紐帯の強み」が示すように、予期せぬチャンスは親しい仲間よりつながりの弱い相手から来やすい。著者自身、かつての「誘われ待ち」をやめ、自分から人を誘うようにして機会が広がったと明かしています。
自分探しをぐるぐる続けるより、まず動いて観察し、修正する。神戸大学が日本人約2万人を対象にした研究でも、幸福感には所得や学歴よりも「自己決定」が強く効くとわかっています。
自分で選んだという感覚そのものが、満足を生むのです。
価値観を、目的・目標・手段に落とす
価値観が決まったら、行動につなげる仕組みが要ります。本書が「人生が充実するための最も重要な習慣」と呼ぶのが、ここです。
設計は三段構えです。価値観を「目的」(進む方角)、目に見える中間ゴールを「目標」(到達点)、日々の習慣を「手段」(経路)とする。たとえば「心身を健康に保つ」が目的、「体重をキープする」が目標、「週4回運動してお菓子を控える」が手段、という具合です。
目標設定の定番にSMART原則(具体的・測定可能・達成可能・価値観に沿う・期限つき)がありますが、本書はこれがマネジメントの世界で生まれた手法だと釘を刺します。
状況が刻々と変わる人生では、目標が正しいかどうか最初から決められないからです。だから目的・目標・手段は「仮のもの」として置き、やってみて、観察して、修正する。
週に1回、最低でも月に1回見直し、人生のPDCAを回す。完璧主義を手放すための、実験のような姿勢です。
明日から何を変えるか
本書のワークから、今日始められるものを三つ。
1. 逃げそうになった瞬間、「何から逃げているか」と問う 不安を感じてスマホに手が伸びたとき、「自分は今プレッシャーを感じているな」と第三者の目で観察する。気づくことが、自己欺瞞を止める第一歩です。
2. 感情日記をつけて、事実と感情を切り分ける 出来事と、そのとき抱いた感情を書き出す。「事実」と「自分の解釈」を分けることで、自分がどんなことに充実を感じるかが見えてきます。よかったことを記録する3行日記も、ストレスや不安の軽減につながります。
3. 「目的・目標・手段」を書き、週に1度見直す 価値観(目的)を決め、中間ゴール(目標)と日々の習慣(手段)に落とす。あわせて「やらないこと」リストも作り、違和感があれば柔軟に修正します。
おわりに
本書には、もう一つ救いになる指摘があります。私たちが抱く心配事の80%は実際には起こらず、16%は準備で対応できる。つまり96%は、起きないか何とかなる。ミシガン大学が示した数字です。危機センサーは狩猟採集時代から更新されていないので、頭の中の不安の多くは誤作動にすぎません。
著者は、有名な研究でさえ鵜呑みにするなと冷静に促します。1万時間の法則は追試で再現に失敗し、心理学の有名な実験も追試成功は39%にとどまる。
科学的エビデンスとは「特定の条件下で見られた法則」であって、水が100度で沸騰するのも気圧次第で変わる。だから他人の成功法則を盲信せず、自分がその条件を満たしているかを考え、自分に合うものを選ぶ。
それが本書の一貫した姿勢です。
最後に残るのは、この一言です。
「時間の僕になるのではなく、主になる。」
今日スマホに手が伸びたとき、あなたは時間を使っていますか。それとも、時間に支配されていますか。
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