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『バカと無知』橘玲|炎上も差別も、旧石器時代の脳のせいだった

思考法・問題解決 ✍ 橘玲
約10分で読めます

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『バカと無知』
目次

ニュースやSNSを開いて「なぜあの人はあんなに怒っているのか」とモヤモヤする。その違和感の正体を、橘玲さんは脳の設計図から説明します。

私たちは、自分を理性的で道徳的な存在だと信じたがります。橘玲さんはそれを「きれいごと」と一蹴するところから始めます。人間の脳は、旧石器時代の小さな共同体を生き抜くために設計されたまま現代に持ち越されている。

だから「真実」より「共同体での地位」を優先する。炎上も差別も、その古い設計から漏れ出すバグなのだ——というのが本書を貫く一本の補助線です。

『バカと無知―人間、この不都合な生きもの―』は、進化心理学・脳科学・行動経済学のエビデンスで、人間の不都合な本性を容赦なく暴く一冊。読むと正直しんどい。

でも、知って初めて他人とも自分とも上手くやれる。そういう種類のサバイバルガイドだと、私は読みました。出し惜しみせず核心を先に置けば、本書の主張はこう畳めます。

脳は個人の幸福ではなく「生存と繁殖」のために設計されている。だから真実より、共同体の中での地位を優先する。この補助線を、橘さんは5つのPART(正義/バカと無知/自尊心/差別と偏見/記憶)で、個人の脳から社会現象へとスケールアップさせていきます。

図解

まず、この本が刺さる人

本書がぐさりと来るのは、たとえばこんな場面に覚えがある人です。

どれも、つい「相手がおかしい」で片付けたくなる場面です。本書の意地悪なところは、そこに「いや、あなたの脳も同じように動く」と冷静に切り込んでくる点にあります。逃げ場がないんです。だからこそ、読んだあとに残るのは断罪ではなく、妙な肩の力の抜け方でした。みんなこうなのか、と。

正義を振りかざすのが、なぜこんなに気持ちいいのか

個人的にいちばん背筋が寒くなったのは、PART I「正義は最大の娯楽である」でした。

有名人の過去の失言が掘り起こされ、ネットで一斉に叩かれる。この炎上やキャンセルカルチャーが、なぜあれほど盛り上がるのか。著者はこれを倫理ではなく、脳の報酬系の問題として説明します。

人間は進化の過程で、抜け駆けやただ乗りをした者を罰するときに快感を得るよう設計されました。集団を維持するには、ルール違反者の処罰が「気持ちいい」必要があったからです。

罰することが快感でなければ、誰もコストを払ってまでフリーライダーを取り締まらない。その結果、共同体は崩れてしまう。だから「正義の制裁は快い」という仕様が脳に組み込まれた、という筋立てです。

ここで本書が突きつけるのが、脳の比較の非対称性です。脳は自分より優れた者との比較(上方比較)を「損失」と感じ、劣った者との比較(下方比較)を「報酬」と感じる。

「劣った者」は報酬で、「優れた者」は損失

たった一行ですが、SNSのマウントも引きずり下ろしも、これで説明がついてしまいます。上位の者を引きずり下ろすことは、脳にとって最大の娯楽になる。

しかも炎上というかたちなら、匿名で、コストもかからず、正義という大義名分まで手に入る。極上のエンターテインメントが、誰の手にも無料で配られているようなものです。

正義の名のもとに誰かを叩く行為は、倫理の発露ではなく、脳が報酬を求めるゲームだった——この読み替えは、自分のタイムラインを見る目を確実に変えます。

さらに著者は、もう一つの非対称性を重ねます。脳は「被害」を極端に過大評価し、「加害」を極端に過小評価する。本書が引くアメリカの調査では、従業員の約3人に1人がハラスメント被害を訴える一方、加害者だと認めたのはわずか0.05%、2000人に1人でした。

誰もが自分を被害者だと感じ、加害者はほとんど名乗り出ない。この巨大なギャップが、人間関係のトラブルが永遠に紛糾する理由です。互いが「被害者である自分」を正義の側に置いて殴り合うのだから、和解しようがありません。

バカは、自分がバカであることに気づけない

タイトルそのものを扱うのがPART II「バカと無知」です。

「バカの問題は、自分がバカであることに気づいていないことだ。なぜならバカだから」

残酷ですが、これが心理学でいう「ダニング=クルーガー効果」です。能力の低い人ほど自分の能力を過大評価し、能力の高い人ほど自分を過小評価する。

コーネル大学のダニングとクルーガーの実験では、論理的推論のテストで下位4分の1の学生は実際の平均が12点だったのに、自分の実力を68点だと思っていました。

実に5倍以上、470%もの過大評価です。逆に上位4分の1は実際86点なのに、自分を74点と低く見積もっていました。

なぜ気づけないのか。能力が低い人は、自分に何が足りないかを認識する力(メタ認知)も同時に足りないからです。本書はこれを「二重の呪い」と呼びます。

知らないだけでなく、知らないことを知らない。だから正しい答えを見せられても評価を修正できず、むしろ自信を深めることすらある。耳が痛いのは、この呪いから自由な人間は一人もいないという点です。

誰にでも自分のメタ認知が届かない領域があり、そこでは私たち全員が「気づけないバカ」になりうる。

ここから著者は「三人寄れば文殊の知恵」「みんなで話し合えば良い結論」という民主主義の前提に、懐疑の刃を向けます。認知神経科学者バーラミらの実験では、能力に差がある2人が話し合うと、賢い者がバカの過剰な自信に引きずられました。

結果、話し合いの精度はコイン投げよりも悪くなった。能力の低い者は自分を過大評価して堂々と主張し、能力の高い者は「相手も自分と同程度だろう」と遠慮してしまうからです。

善意で対等に話し合うほど、結論が劣化する。会議という営みの根っこを揺るがす指摘です。

ではどうすれば集合知が働くのか。著者が引くのは、統計学者ゴルトンの「牛の体重当てコンテスト」です。約800人の投票の平均値が、専門家の予想よりも正解に近かった。

ポイントは、参加者が相談せず、それぞれ独立して判断したことにあります。集合知は「話し合うこと」ではなく「独立した判断を集計すること」から生まれる

この一点が、後半の「今日からできること」にも効いてきます。

自尊心が傷つくと、脳は殴られたのと同じ警報を鳴らす

PART III「やっかいな自尊心」も読みどころの多いパートです。

人間には「自尊心メーター」が備わっています。共同体の中での自分の評価を、無意識に計測する針です。この針が下がると、脳は強い苦痛を感じる。そして本書がぞっとさせるのは、仲間外れや批判と、物理的に殴られ蹴られることを、脳はうまく区別できないという指摘です。

言葉の暴力やSNSの誹謗中傷は、比喩ではなく、文字どおり物理的な暴力と同じレベルで脳にダメージを与えている。

だから人は、傷ついた自尊心を回復させるために、なりふり構わず相手を攻撃します。マウンティング、足の引っ張り合い、執拗なバッシング。これらは倫理観の欠如ではなく、地位を守るための生存戦略として読み替えられていきます。

著者はこの延長で現代の「リベラル化」にも触れます。身分制度が崩れ人間関係がフラットになると、どんな言葉が相手の自尊心を傷つけるか読めなくなる。

若者の過剰な敬語は、互いの自尊心を傷つけまいとする防衛策ではないか、というわけです。

自尊心をめぐっては、教育の常識も覆されます。「褒めて伸ばす」「自尊心を高める」教育には、ポジティブな効果がほとんど確認されない。それどころか、成績の悪い学生に「君ならできる」と自尊心を高めると、次の成績がかえって悪化し、落第に至る実験すらあるといいます。

試験前に褒められて「報酬」を先に受け取ってしまい、努力する動機を失うからです。自尊心は成功の原因ではなく、結果にすぎない

順番を取り違えた教育論への、静かで強烈な反証です。

意外だったのは、潜在的自尊心の国際比較です。グリーンワルドらがIAT(潜在連合テスト)で日米中を調べると、日本人はアンケート上の自尊心が極端に低い。

ところが無意識下の「内集団の中での潜在的自尊心」は、アメリカや中国を圧倒して高かった。「謙虚な日本人」像は、高い自尊心を巧妙に隠した装いにすぎないのかもしれません。

さらに著者は善意にもメスを入れます。善意の名を借りて無力な人を支援する側に回ることは、自尊心の低い人がそれを引き上げるもっとも簡便な方法だ、と。

助けたいという気持ちが、実は自分の自尊心を満たす手段になっていないか。問い直す価値のある棘です。

偏見は悪意ではなく、脳の省エネ機能だった

PART IV「『差別と偏見』の迷宮」は、いちばん誤解されやすいテーマを扱います。

ステレオタイプ、つまり偏見は、悪意から生まれるのではありません。認知能力に限界がある脳が、世界を効率的に処理するための基本機能です。味方と敵を瞬時に見分けるための、省エネのカテゴリー化。

著者は「差別の本質は人種や民族のちがいではなく、〝しるし〟によるカテゴリー化」だと言います。タジフェルらの「最小条件集団」の実験では、抽象画の好みやコイン投げという無意味な基準でグループ分けしただけで、人はすぐ自分のグループをひいきしました。

中身のない「しるし」だけで、ひいきと排除は起動してしまうのです。

「子どもは純真」という神話も覆されます。研究では、3歳を過ぎる頃には白人の子どもの多くが黒人を「悪い」と見なすようになる。子どもは弱いからこそ力に敏感で、生き延びるために強い側へ引き寄せられる。

だからマイノリティの子どもが、しばしば強い側を好むことすらある。純真さの問題ではなく、生存の力学なのだという見立てです。

そして皮肉なのが、偏見をなくそうとする教育の逆効果です。「偏見をもつな」と言われると、人は無意識に偏見について考え、それを意志で抑え込もうとする。

意志力は消耗するので、抑制が切れた途端に偏見が反動で強く表に出る。これが「リバウンド効果(シロクマ効果)」です。マクリーらの実験では、「偏見をもつな」と指導されたグループのほうが、後でより強い偏見を示しました。

関連して重要なのが「道徳の貯金箱(モラル・ライセンシング)」です。自分が良いことをしたと感じると、無意識に貯金がプラスになったと考え、次に差別的な行動をしても帳尻が合うと思い込む。

プリンストンの実験では、最初に「自分は差別主義者ではない」と確認した人ほど、次の課題で差別的な選択を平気でしました。きれいごとを口にするほど、逆に差別を生む危険がある。

「自分だけは差別的でない」という確信こそ、本書が最も警告するものです。家族や会社や国家がくれる暖かさも例外ではありません。その安心感は、メンバーでない者を排除することから生じる。

絆と排除は表裏一体だと、著者は突きつけます。

あなたの記憶は、思い出すたびに書き換えられている

PART V「すべての記憶は『偽物』である」は、自己の根幹を揺さぶります。

記憶は、脳のハードディスクに正確に保存されているわけではありません。なんらかの刺激を受けたとき、そのつど新たに想起され、再構成される。思い出すたびに、少しずつ書き換わっていくのです。

だからこそ「虚偽記憶」がいとも簡単に作られます。心理学者ロフタスの有名な実験では、被験者に「5歳のときにショッピングセンターで迷子になった」という架空の話を伝え続けました。

すると被験者は、助けてくれた人のシャツの色まで鮮明に「思い出し」、作り話だと告げられても信じようとしませんでした。

この記憶の脆さは、現実に悲劇を生みました。1980年代のアメリカでは、「抑圧された記憶」を回復させるセラピーが大流行します。セラピストの暗示で「親から虐待された」という偽の記憶が植え付けられ、無実の親が投獄される冤罪の山ができました。

記憶という言葉の重みが、ここでは人生を破壊する凶器になっています。

本書はこの章で、「自分」という存在そのものを問い直します。私たちは過去の記憶を土台に「自分」という物語を組み立てている。脳のデフォルトモード・ネットワーク(DMN)は、ぼーっとしている時に過去の反省や未来の予測を繰り返し、自伝的記憶を編集し続ける。

その土台が流動的なら、「自分」という存在もまた不確かです。仕事や人間関係で「言った・言わない」を激しく争う前に、自分も相手も記憶が書き換わりうるという前提を思い出したい。

それだけで、争いの温度は少し下がるはずです。

今日からできること

身も蓋もない真実の連続でしたが、本書の知見は具体的な行動に落とせます。

第一に、誰かを叩きたくなったら、投稿する前にスマホを置く。SNSの論争やバッシングは、相手の自尊心を満たすゲームに過ぎず、著者は「なんの生産性もない」と言い切ります。

怒りに任せて書き込む前に、これは脳が報酬を求めているだけかもしれないと立ち止まる。無益な論争には真っ先に退場するのが、合理的な生存戦略です。

第二に、会議では話す前に各自が紙に意見を書く。能力差のある集団で対面の話し合いをすると、声の大きい人に引きずられて質が下がります。先に独立した意見を集めてから議論する仕組みを入れる。集合知は相談ではなく、独立した判断の集計から生まれるからです。

第三に、大事な約束は必ず記録に残す。記憶は善意でも書き換わります。「言った・言わない」になりそうな約束は、信頼している相手でも議事録やメッセージに残しておく。記憶の不確かさを前提に、コミュニケーションを設計するのです。

そして土台になる姿勢が一つ。IATなどを通じて、自分の中の無意識の偏見を直視すること。「自分だけは差別的ではない」という思い込みこそ、モラル・ライセンシングを通じて差別を生む温床になる、というのが本書の一貫した警告でした。

橘さんの狙いは、人間を断罪することではないと感じました。「人間の残念な本性」を受け入れることで、逆説的に生きやすくなる——これが本書を一言で表す言葉です。

脳がそう動くと知っていれば、炎上に巻き込まれそうな自分も、マウントしてくる相手も、少しだけ冷静に見られる。次にニュースで誰かに腹が立ったとき、「相手が悪い」で止めず「これは旧石器時代の脳の仕様だ」と一歩引いてみる。

それだけで、見える景色は変わるはずです。


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