「スキマ時間を活用しましょう」。学び直しの本を開くと、必ずと言っていいほどこの言葉に出会います。
でも、5分10分をかき集めて、本当に力がついた実感がありますか。私は正直、なかったのです。通勤電車で単語アプリを開き、信号待ちでニュースを眺め、それで「学んでいる気」にはなる。
けれど一年経って振り返ると、手元には何も積み上がっていない。本書はまさにそこに釘を刺します。スキマ時間を過大評価してはいけない、と。
著者の三輪裕範さんは、伊藤忠商事で働き続けてきた現役のビジネスマンです。学者でも評論家でもない人が、忙しい毎日からどう学ぶ時間を絞り出すかを、泥臭く書いた一冊。
私がこの本に惹かれたのは、まさにこの「泥臭さ」でした。理想論ではなく、サラリーマンの生活実感から組み立てられている。だからこそ、読んでいて言い訳が効かなくなるのです。
スキマ時間を信仰しない、という出発点
本書を貫く立場は、ひとことで言えば「学びの土台は、まとまった時間にある」という主張です。そしてこの主張は、現代を生きる私たちへの危機感とセットで提示されます。
著者がまず直視するのは、能力主義の時代です。
「『どのような人なのか』という人柄重視から、『何ができる人なのか』という、能力や実力重視の時代になってきた」(三輪裕範『時間がない人が学び続けるための知的インプット術』)
人柄重視の年功序列から、何ができるかを問われる実力主義へ。黙っていても給料が上がる前提はもう崩れている。だから市場価値を高める学びが要る――ここまでは、よくある危機感の煽りに見えるかもしれません。
面白いのはその先です。著者は「だからスキマ時間を有効活用しよう」とは言わない。むしろ逆を行きます。スキマ時間は不規則で断片的だから、それだけを学びの核にしてはいけない。土台はあくまで、まとまった「絶対的な時間」だ、と。
スキマ時間術が一種の信仰のように語られる今の風潮のなかで、これは静かな、しかしはっきりした反論です。私はこの優先順位の置き方に、いちばん救われた気がしました。
細切れの時間をかき集めても積み上がらないのは自分の意志が弱いからだ、とどこかで責めていた。その罪悪感が、すっと軽くなったからです。問題は時間の長さ以前に、時間の「質」の見立てを間違えていたことにあった。
本書はその前提を、最初の数ページで静かにひっくり返してきます。
年間600時間を、朝と昼休みで作り出す
では、忙しい人間にまとまった時間がどこにあるのか。本書はここで具体的な作戦を出してきます。それが「年間600時間方式」です。
計算はシンプルです。平日に毎日1時間で年間約260時間。土日のどちらか、あるいは両日に各3時間で年間約312時間。これに祝日を足すと、合計でおよそ年間600時間になる。バラバラに見える日々の1時間を、年単位で束ねるとここまでの量になる、という発想の転換です。
この600時間がどれくらいの密度か。著者によれば、大学の入門レベルの講義時間に匹敵するといいます。つまり一つの分野に集中して投じれば、1年で専門家レベルの基礎知識を得るのに足りる量だということ。
「学び直しなんて、もう手遅れだ」と思っている人ほど、この換算は効くはずです。1日1時間は、何もない更地ではなく、1年で一つの教養の柱が建つだけの資源だったのです。
カギは時間帯です。著者は強く朝型を勧めます。
「朝1時間の知的作業は、夜の3時間に匹敵する」(同書)
仕事で疲れ切った夜に机に向かっても頭は働かない。一晩眠ってクリアになった朝のほうが、3倍効率がいい、と。これは精神論ではなく、自分の経験に照らしても頷けます。
夜にこなした勉強は、翌朝ほとんど記憶に残っていないことが多い。だとすれば、同じ1時間を投じるなら、最も歩留まりの高い時間帯に置くのが合理的です。
もう一つの宝の時間として著者が挙げるのが昼休みです。著者自身、人間ドックで血糖値を指摘されたのをきっかけに、昼食をおにぎり2つで済ませるようにした。
すると静かなオフィスで、昼休みのほぼ1時間が学びの時間に変わった。これだけで年間100〜200時間が生まれる計算になります。健康上の都合が、結果として学習時間を生んだという顛末が、いかにもこの本らしくて好きです。
そしてもう一つ、泥臭い知恵が出てきます。時間を守るには、誘いを断る勇気が要る、と。
「いったん勉強すると決意したのなら、まわりの人間からの誘いに対しては、心を鬼にして『ノー』と言う勇気がいる」(同書)
著者は「3回に1回は断る」というルールを勧めます。全部断れば角が立つが、3回に1回なら現実的に運用できる。どうしても出る飲み会では、元日銀理事の吉野俊彦氏が実践した「逃げの大家」の技まで紹介されます。
身軽な格好で行き、出口に近い席に座り、頃合いを見てサッと抜ける。ここまで具体的だからこそ、真似ができる。時間の作り方が「気合い」ではなく「何を捨てるかの技術」として語られる点に、私はいちばん唸らされました。
学びとは結局、足し算ではなく引き算の作業なのだと気づかされます。
スキマ時間には「適時適書」を当てる
誤解してほしくないのは、著者はスキマ時間を全否定したわけではない、ということです。著者が説くのは、時間の性質に本のほうを合わせる「適時適書」という考え方です。
5分10分のスキマには、語学の単語暗記や、一区切りで読み切れる短編、雑誌の切り抜きを充てる。逆に、まとまった時間が取れたときには専門書を腰を据えて読む。
時間と本を適材適所で組み合わせる発想です。スキマ時間に分厚い専門書を開くから、毎回出だしだけ読んで集中できないまま終わる。本のほうを時間に合わせれば、細切れの時間も生きてきます。
著者は雑誌を丸ごと持ち歩くのをやめ、読みたい記事だけをカッターで切り取って内ポケットに入れたといいます。同じ工夫を作家の池澤夏樹氏もしているそうです。
重い雑誌をばらして必要なページだけを持つ――こうした小さな最適化の積み重ねが、死んでいたスキマ時間を生きた時間に変えていく。スキマ時間は核ではないが、使い方次第で立派な脇役になる。
そのバランス感覚が現実的です。
本は「身銭を切って」買う
第2章の主張は明快です。読書こそ勉強の王道であり、本は借りずに買え。
「本は図書館や人から借りるのではなく、多少無理をしてでも、身銭を切って買っていただきたい」(同書)
理由は大きく3つあります。
ひとつ、身銭を切ると人は真剣に選ぶようになり、「選書眼」が養われる。痛みなく返せる借り物では、選ぶ目はいつまでも育たない。出費そのものが訓練になる、という逆説です。
私が一番なるほどと思ったのもこの点でした。借りた本を「とりあえず」読んで何も残らなかった経験は、誰しも心当たりがあるはずです。
ふたつ、身の回りに本が増えることで「精神の巣」とも呼べる読書環境ができる。背表紙を毎日眺める空間そのものが、読書への心理的な抵抗を下げてくれる。本棚は飾りではなく、自分を読書へ引き戻す装置なのです。
みっつ、読みたいと思った瞬間に手元になければ、その本との縁は切れてしまう。知的好奇心が湧いた一期一会を逃さないために、買って手元に置く。借りる手続きをしているうちに、熱は冷めてしまうものです。
著者はこの姿勢の極端な例として、マイクロソフト日本法人元社長の成毛眞氏を挙げます。入社後3年間、服も娯楽も我慢し、1食200円の宅配で食費を削ってまで、給料の大半を本に注ぎ込んだ。
その投資が今の自分を作ったと考えているといいます。さすがにここまで真似する必要はないでしょうが、本を消費ではなく投資と見るその姿勢は、確かに伝わってきます。
良書を見抜く、4つのチェックポイント
では、買うべき本をどう見極めるか。著者は具体的なチェックポイントを示します。
ひとつめは、本文に入る前に目次・前書き・解説文を読むこと。これで問題設定や内容が自分に合うかをまず判断する。ふたつめは、文章が論理的で明晰かを見ること。
接続詞が適切に使われ、筋が通っているか。読みにくい本は、たいてい中身も濁っている。みっつめは、形容詞の多用を警戒すること。飾り立てた本は、内容の薄さを「厚化粧」でごまかしている可能性がある、と著者は釘を刺します。
そしてよっつめが、かなり独特です。著者の略歴を見て「年齢」で選ぶ。大学教員の本なら、一番勉強している准教授・講師、あるいは執筆意欲の衰えない65歳以上の教授が書いたものを選ぶ、と。
働き盛りの教授は雑務に追われ、かえって筆が鈍るという見立てです。この基準が万能とは思いませんが、書店で背表紙を眺める目つきが確実に変わる着眼点であることは間違いありません。
入門書については、意外な助言があります。「○○入門」と銘打った本が、必ずしも初心者にやさしいとは限らない。むしろ図解の多い「お手軽本」や、高校の学習参考書、子供向けの本やマンガから入るほうが、全体像をすんなりつかめることが多い、と。
「本の価値というのは、その本が現在の自分にとって役に立つのか立たないのか、その一点だけにかかっている」(同書)
大人が子供向けの本を読むのは恥ずかしい、という見栄を捨てさせる一言です。難しい本に何度も挫折してきた人ほど、この割り切りに救われるはずです。
新聞は読みすぎない――週末まとめ読みで鳥瞰する
第3章のテーマは、情報との距離の取り方です。ここでも著者は通説に逆らいます。新聞は読みすぎてはいけない、と。
毎日すべてを精読すると、時間を奪われるうえ、断片的な情報を追うだけの「虫瞰的視点」に陥る。虫の目で地面を這うように、細部しか見えなくなる。代わりに著者が勧めるのが「週末まとめ読み」です。
平日は見出しとリード部分だけを流し読みし、じっくり読みたいコラムや特集には赤ペンで印をつけておく。そして週末に一気に読む。すると、点として散らばっていた情報が線でつながり、物事を高い空から俯瞰する「鳥瞰的視点」、つまり大局観が育っていきます。
記事の読み方にも注意点が示されます。事実と記者の憶測を区別すること。観測記事に振り回されないためです。そして「論理の連鎖」を自分で補うこと。
日本の新聞は字数の制約から、原因と結果の中間がすっぽり抜け落ちた記事が少なくない。読者の側が補助線を引いて読む必要がある、というわけです。さらに、紙面の隅の小さな「ベタ記事」、とりわけ国際面のベタ記事には、後に大ニュースに化ける情報が潜んでいることがある、とも。
情報を「浴びる」のではなく「噛む」ための作法だと感じました。
そして本書は、新聞の限界もはっきり言い切ります。
「新聞を読んで得た知識だけでは、単なる『物知り』にすぎません」(同書)
断片情報をいくら集めても専門性にはならない。気になったテーマは本で深掘りする。流れていく情報(フロー)と、積み上げる知識(ストック)。ジャーナリストの池上彰氏が呼ぶこの往復こそが、教養を血肉に変えていきます。
時間より「量と密度」、そしてゴールはホームグラウンド
最後に著者が突きつけるのは、学びの成果は時間そのものでは測れない、という視点です。「今日は2時間やる」ではなく「今日は問題集を20ページ進める」。
時間目標ではなく成果目標を立てる。やった時間ではなく、残した量で測る。同じ1時間でも、集中の密度次第で得るものはまるで違うからです。その密度を保つコツとして、著者は異ジャンルの組み合わせを勧めます。
同じ分野を長く続けると飽きるから、英語の本を読んだら次は日本語の本、というように意図的に切り替える。能率が上がるうえ、知識の幅も広がる。
そして本書がいちばん最後に置くゴールが「ホームグラウンド」です。一生をかけて探求したいと思える、自分だけのテーマや専門領域。さまざまな勉強を試行錯誤した末に行き着く、知的活動の拠点です。
著者は文豪・谷崎潤一郎の例を挙げます。西洋かぶれの作品を書いていた谷崎が、関西へ移り住み、その風土と『源氏物語』に没入することで「関西」と「平安期」という二つの井戸を掘り当て、『細雪』などの傑作を生んだ、と。
通読して思うのは、本書は「もっと頑張れ」と発破をかける本ではない、ということです。むしろ「頑張る場所を間違えるな」と方向を正してくれる本でした。
資格やスキルアップは通過点にすぎない。一生問い続けられる軸を一つ持つこと。そこに向かって、時間術も読書術も新聞の読み方も、すべてが収斂していく。
この終着点が示されることで、日々の地味な努力に意味の背骨が通ります。
向いているのは、「時間がない」が口癖になった現役の会社員、学者の高尚な読書論に挫折してきた人、ニュースを追っても大局がつかめず疲れている人です。逆に、すでに自分の学習リズムが確立して成果が出ている人や、まとまった自由時間を潤沢に持てる人には、当たり前に響くかもしれません。
スキマ時間をかき集めて疲れていた人ほど、本書は楽にしてくれます。学びの主役は、まとまった時間。スキマは脇役でいい。難しいことは一つもありません。
まず一つやるなら、いつもより30分だけ早く起きて、買って積んだままの本を1冊、開いてみてください。あなたのホームグラウンドは、その繰り返しの先にあります。
合わせて読みたい
『20歳の自分に伝えたい 知的生活のすゝめ』齋藤孝 本書が何度も引く渡部昇一『知的生活の方法』の系譜にある一冊。インプット術で土台を固めた人が、知的生活そのものをどう人生に根づかせるかを描いてくれます。
『調べる技術 書く技術』佐藤優 高校教科書を「知性のOS」として使い倒す技術を説く本。本書の「入門は学習参考書から」という助言と重なり、独学の基礎づくりをさらに具体化してくれます。
『レバレッジ・リーディング』本田直之 1,500円の本を15万円に変える「投資としての読書」を説く一冊。本書の「身銭を切って買う」という主張を、リターンの観点から裏づけてくれます。
