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『自分に気づく心理学(愛蔵版)』加藤諦三|あなたのイライラは、隠した「甘え」だった

健康・メンタル ✍ 加藤諦三
約7分で読めます

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『自分に気づく心理学(愛蔵版)』
目次

道をほんの少し間違えた。ただそれだけのことで、夫が我を忘れて怒鳴り、ついには妻に手を上げる。加藤諦三さんの『自分に気づく心理学』は、こんな不穏な場面から始まります。

傍から見れば取るに足らない出来事が、当人にとっては人生を揺るがす一大事になっている。なぜ人は、どうでもいいことにこれほど傷つき、怒り、消耗するのか。

852ページという分厚さに反して、本書を貫く問いはひどくシンプルです。人間関係ですり減っているあなたが、本当は何を隠しているのか——。編集部として通読してまず驚いたのは、これが心理学の解説書というより、身の回りの人間観察の記録に近いことでした。

だからこそ、どこかのページで「これは自分のことだ」と刺される瞬間が必ず来ます。

苦しさの根っこは「事実」ではなく、抑え込んだ甘えにある

本書の主張は、ひとつの言葉に集約できます。人間関係の苦しみの根本には、抑圧された「甘えの欲求」がある。

甘えの欲求とは、「こう扱ってほしい」「こうしてほしい」という、誰もが持つ当たり前の願いです。加藤さんはこれを、自分の存在の責任を相手にいったん預けることだと説明します。

責任という重荷をおろせる相手がいる人こそ、甘えられる人だというわけです。ところが多くの人は、この願いを「みっともないもの」「甘えてはいけないもの」として、無意識のうちに封じ込めてしまう。

とりわけ幼い頃に素直に甘えられなかった人ほど、大人になっても心の底にこの願いを抱え続けます。

ここで注意したいのは、加藤さんの言う「甘え」が、世間でいう怠けやわがままとは違うということです。むしろ甘えを健全に出せることが自立の土台になる、という逆説が、この本の背骨になっています。

編集部としては、この定義の置き換えこそが本書の肝だと感じました。甘えを悪者にしている限り、苦しさの出口は決して見えてこないからです。

傷つきやすさは相手の悪意ではなく、自己評価の低さのサイン

なぜ些細な一言でこんなに傷つくのか。加藤さんの答えは明快です。事実はそのまま心に届くのではなく、その人の価値観というフィルターを通ってから心に達する。だから同じ言葉でも、受け取る人によって重みがまるで変わる。

ここでカギになるのが「神経症的自尊心」という概念です。ありのままの自分ではなく、「こうあるべき」という理想化された偽りの自己像。それに寄りかかったプライドは、驚くほど脆い。

自己評価が低い人ほど、他人にとっては何でもない一言に、想像を絶するほど激しく傷つきます。傷つきやすさは相手の悪意の証拠ではなく、むしろ自分の自己評価の低さのサインなのです。

この視点の転換は、口で言うほどやさしくありません。イラッとした瞬間、私たちはほぼ反射的に相手を加害者に仕立てます。それでも、まず自分の側で何が起きているのかを見る。この一手間を挟めるかどうかが、読み終えたあとに何かが残るかどうかの分かれ目になると思います。

抑えた甘えは「投影」となって、他人の顔をして返ってくる

本書がユングを引きながら繰り返すのが、抑圧されたものは投影される、という一節です。

投影とは、自分が心の底に押し込めた感情を、他人が自分に向けていると錯覚すること。本当は自分が相手に甘えたいのに、その願いを封じているために、逆に「相手が自分に要求してくる」「責められている」と感じてしまう。

いつも誰かに責められている気がする——その感覚の正体が、実は自分自身の抑えた甘えだというのです。正直に言えば、編集部でも最初は逆だと思いました。

責めてくるのは向こうだろう、と。けれど読み進めるうち、順番が反対かもしれないと思わされます。

同じ構図で語られるのが「外づら」と「内づら」の関係です。外でいい顔をする人は、外では甘えの欲求を出していない人。その抑えた分が、家庭での不機嫌になって噴き出す。外面のよさと内面の当たりのきつさは、同じコインの裏表なのだ、と。心当たりのある人には、いささか耳の痛い指摘です。

尽くす人ほど尽くされたい——反動形成という仮面

抑圧された欲求は、正反対の行動となって表に出ることがあります。加藤さんはこれを「反動形成」と呼びます。

わかりやすいのが「尽くす」という行為です。世間では、尽くす人は思いやりがある人と見なされる。ところが加藤さんは反対を突きます。尽くすというかたちでしか関係をつなげない人ほど、心の底では人から尽くされたいと激しく欲している、と。

自分の価値に自信がないから、恩着せがましく尽くすことで、自分の存在を一方的に押し出そうとする。ここで引かれるゲーテの言葉が効いています。十万円を恩着せがましく与えるより、気分よく一万円あげたほうがよい。

見返りを求める「尽くす」は、相手をただ重くするだけなのです。

甘えたいのに過度に自立を誇示する、頼りたいのに過剰に生真面目を装う。反動形成は、こうして本音と逆の仮面をつくります。だから生真面目な人ほど、深い関係を築きにくい。

本質を隠しているぶん、相手に自分の輪郭が伝わらないからだ、という指摘は示唆に富みます。ただ、編集部としてはここに一つ留保も置きたい。すべての「尽くす」を反動形成と決めつけてしまうと、素朴な親切心まで疑わしく見えてくる。

本書の道具は切れ味が鋭いぶん、自分に向けるときと他人を裁くときとで、使い方を変える慎重さが要ります。

「すべき」で空虚を埋める人が行き着く、無気力という終着点

本書が繰り返し描くのが「執着性格」です。生真面目で責任感が強く、社会からは立派だと評価されるタイプ。ところがその内側には、深い空虚が広がっています。

ありのままの自分に存在感を持てないため、「〜すべき」という過剰な規範で自分を支えようとする。休日にのんびりしていても「こんなことをしていてはいけない」と焦り、風の心地よささえ味わえない。

空虚を埋めようと、仕事や勉強や達成をやみくもに追い求める。ここで本書はロロ・メイの『愛と意志』を引き、現代人は不安から逃れるために達成に執着していると指摘します。

けれどどれだけ達成しても心は満たされず、やがてエネルギーを使い果たす。その果てにあるのが「アパシー」、つまり無気力です。無気力はなまけではなく、自然な感情を長年殺し続けた末に心が消耗し尽くした、自己防衛のサインなのです。「辛い」と感じる前に「辛いと感じてはいけない」という規範が働いてしまう。

この感情の圧殺こそが、うつや無気力の根にある——ここは本書のなかでもとりわけ切実な一節でした。

同じ根から、あのイライラの正体も説明されます。30分休むはずが5分ずれただけで不満が爆発する。加藤さんは、問題はその5分ではないと言います。

人生全体の生き方がどこかで間違っているから、その歪みが小さな出来事に噴き出しているのだ、と。イライラを目の前の出来事のせいにしている限り、根はほどけない。

この視点の大きさは、本書ならではのものです。

「共生」ではなく、自分自身の保護者になることから始まる回復

回復の話に入る前に、加藤さんが「理想の関係」として静かに退けるものを見ておきたい。いつも一緒にいて、他を排するほど仲がいい——世間で「仲良し」ともてはやされるこの状態を、本書は「共生的関係」と呼び、真の愛とはっきり区別します。

共生とは、互いの自律性を差し出し合った依存の絡み合いで、相手が自分の知らない世界で幸せになることを許せない関係です。反対に、本当に親密な間柄では、相手が自分の見ていないところで幸せであることをむしろ喜べる。

そして加藤さんは、真実の愛は間接的に示されると言います。試合で子どものヒットに歓声を上げ、帰りにバッグを持ってやる母親が、家では手を抜いてインスタント食品で済ませてしまう——目に見えるところで示す愛はしばしば自己満足に傾き、見えない場所で手をかける愛こそが本物だ、という指摘は、読んでいてじわりと刺さります。

では、どうすれば、その本物のつながりを結べる自分になれるのか。最終章がたどり着く回復の道は、意外なほど地味です。何かを足すのではなく、手放すことから始まります。

まず、「立派な自分」「愛される自分」という偽りのイメージを捨てる。周りは自分の欠点も含めて好いてくれているのに、それが信じられず、欠点を隠そうと無理を重ねる。

その虚勢をおろし、心の中の弱々しい自分、頼りない自分を、そのまま認める。これが第一歩です。そして加藤さんは、自信は他人の評価から生まれるものではないと言い切ります。

「自分は生きるに値する存在だ」と、他人の好意を待つのではなく、自分自身が決断すること。

回復の核心は、自分が自分の最大の理解者になることにあります。疲れたときや失敗したときに、自分を厳しく責めるのをやめて、「疲れているんだね、休んでいいよ」と養育的な態度で自分に接する。厳しい批評家ではなく、やさしい保護者として自分のそばにいてやる。ここから、他人の好意を素直に受け取り、親密な関係を築く力が戻ってくる、というのが本書の見立てです。

読み終えて残るのは、達成の量ではなく、つながりの質へ、という価値の置き換えです。人と親密になれたときにこそ人生がうまくいっていると感じられるなら、それが成功だと加藤さんは言います。

その入り口は、他人を変えることでも、もっと頑張ることでもありませんでした。まず自分の心の底にある甘えや弱さに気づき、それを許してやること。今夜、疲れて自分を責めそうになったら、一度だけ言葉を変えてみてください。

「休んでいいよ」と。あなたが探していた理解者は、案外あなた自身なのかもしれません。


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