一生懸命いいものを作っているのに、なぜか人に求められない。
そんな経験、ありませんか。私はあります。時間をかけて磨いた機能が、誰にも使われずに終わる。技術は悪くないはずなのに、手応えがない。
本書はその空回りの正体に、静かに名前を付けてくれます。問題は「ものの作り方」ではなく「人の理解の仕方」のほうにあったのではないか、と。
著者のジャスパー・ウ氏は、スタンフォード大学のd.school(デザイン思考の総本山とされるデザイン研究所)で学び、サムソンのイノベーションチームなどで実践を重ねてきた人です。
本書はその経験を、難しい理論を脇に置いて、明日から手を動かせる形に翻訳した一冊。デザイン思考の本は数あれど、これだけ「とにかくやってみる」に振り切った本は珍しいと感じました。

「デザイン=見た目」という誤解を、まず壊される
本書が最初にやることは、読者の頭の中の言葉を入れ替える作業です。
私は「デザイン」とは「問題解決」だと考えています。
日本でデザインというと、製品の外見をきれいに整える仕事を思い浮かべがちです。でも英語のDesignは「設計する」。だからデザイン思考とは、問題を解く方法そのものを設計する考え方だ――この一行を飲み込めるかどうかで、本書の読後感はかなり変わります。
そして著者は念を押します。デザイン思考は決まった手順を暗記すれば解ける「方程式」ではない、と。ジムで体を鍛えるように、繰り返して自分の一部にしていくマインドセット(心構え)に近い。
だからこそd.schoolで最初に教わったのは、座学ではなく「Just do it.(とにかくやってみる)」だったそうです。水泳は本を読むだけでは泳げるようにならない。
その比喩が、読んでいて妙に腑に落ちました。
このマインドセットの中心には、いつも「人」がいます。優れたUX(ユーザーが得る体験)を作ること自体は目的ではない。人が求めていないものに上質な体験を足しても、「これは要らない」と早く気づかせるだけ。出発点は常に、人の本当のニーズだと著者は言い切ります。
耳が痛い指摘です。
ラーメンの「なぜ?」――共感と定義のプロセス
本書の骨格は、共感・定義・アイデア・プロトタイプ・テストという5つのプロセスです。
入り口の「共感(Empathize)」を象徴するのが、著者がd.schoolで最初に出された課題「学生のインスタントラーメンを食べる体験をデザインする」。教科書はなし。学生食堂で見知らぬ学生に片っ端から話を聞いていきます。
ある学生は「今月はお金がないからラーメンを食べている」と答えた。ここで満足すれば、解決策は「安くする」あたりに落ち着くでしょう。でも著者たちは「なぜ?」を掘り下げた。
すると本当の問題が出てきます――その学生の寮の近くには、夕食の食材を買える店がなかったのです。お金の話だと思った悩みが、実は買い物環境の問題だった。
表面の言葉と真因のあいだにこれだけ距離があるのかと、私は読みながら唸りました。著者が「何が起こったか」より「なぜ起こったか」を重く見るのは、このためです。
掘る手がかりは、ユーザーの言動の「ズレ」。言っていることとやっていることが食い違う瞬間、感情が動いた瞬間にこそ、本人も気づいていない本音が潜んでいます。
観察する・自分で体験する・直接聞く、という三つのアプローチを使い分け、インタビューでは事務的に質問を消化せず、相手に好奇心を持って心を開いてもらうことを優先する。
「分からないからとその場でググらない」という戒めも、デジタル時代だからこそ刺さります。
そして集めた声から「本当に解くべき問題」を一つに定めるのが「定義(Define)」。ここに本書で一番有名な発想があります。ニーズを「名詞」ではなく「動詞」で捉える。「紙を切るには?」に「ハサミ」と答えた瞬間、アイデアはハサミの改良版に閉じ込められる。
でも「何かを切る必要がある」と動詞で見れば、レーザーも糸も折って切る道具も視界に入ってくる。たったこれだけで、後のアイデアの広がりが決定的に変わるのです。
本書はこの着眼点を、POV(誰が・なぜ・何を必要としているか)やHMW(どうすれば我々は○○できるか)という問いの型に落とし込んでいきます。
「でも」を「いいね、さらに」に変えるだけで、場が変わる
問題が定まれば、解決策を広げる「アイデア(Ideate)」です。ジャッジしない、大胆に、質より量。けれど個人的にいちばん明日から真似したくなったのが、ここで挙がる一語の置き換えでした。
誰かのアイデアに「Yes, but(いいね、でも…)」と返すと、否定が入って空気がしぼむ。そうではなく「Yes, and(いいね、さらに…)」と肯定して上乗せしていく。
「宅配の再配達を減らすには? じゃあGPS付きの折りたたみ宅配ボックスを一緒に運ぼう」くらいの突飛な案も歓迎される。実現可能性は後回しで、まず数を出す。
私たちの会議が「でも予算が」「でも前例が」で死んでいくのは、この一語のせいかもしれません。
ここでリーダーの役割も反転します。決断を下すボスではなく、全員の創造性を引き出すファシリテーターへ。創造性は一部の天才の専売特許ではなく、環境とマインドセットで誰もが発揮できる――IDEO創業者デイヴィッド・ケリー氏の「どんな人もクリエイティビティーをもっている」という言葉を引きながら、本書はそう励まします。
だから、ヒエラルキーを排したフラットで多様なチームをどう組むかが効いてくる。
早く失敗したほうが、損が小さい――プロトタイプとテスト
4つめと5つめが「プロトタイプ(Prototype)」と「テスト(Test)」。本書のキーフレーズは「Fail fast(早く失敗する)」です。
理由はシンプルで、損が小さくて済むから。5000万円かけて作り込んでから失敗すれば痛手は大きいが、段ボールとガムテープの試作で失敗すれば、弱点だけが安く手に入る。
プロトタイプは完成品の披露ではなく「アイデアがニーズを満たすかを確かめる質問の具現化」だ、という割り切りが気持ちいい。これを体で覚えるのが、乾燥パスタとマシュマロで塔を作る「マシュマロタワー」のゲームです。
塔は何度も崩れる。でも短時間で失敗を重ねるほど改善できる――その感覚をチームで共有する練習なのだと。
テストで効くのは「Show don’t tell」。使い方を説明せず、ユーザーがどう触るかをじっと観察する。後にアマゾンに買収されたオンライン薬局PillPackが、システムを作る前にショッピングモールのブースで白衣のスタッフが「オンラインで処方薬を買いたいですか?」と聞いて回った実例も鮮やかでした。
立派な仕組みの前に、人に聞く。それで方向は確かめられる。
なお、この5プロセスは一直線ではありません。テストの結果が悪ければ共感や定義に戻る。後戻りは失敗ではなく織り込み済みの動き、というのは実務での安心材料になります。
「シックデータ」と、問題を“発見する”という宿題
終盤、本書は視野を社会と未来へ広げます。
数字で見えるビッグデータだけでは足りない、と著者は言う。そこで出てくるのが「シックデータ(thick data)」――人の経験や感情、行動の背景にある文脈といった、定性的で深みのあるデータです。
何人が使ったかではなく、なぜそう感じたのか。共感のプロセスで掘っているのは、まさにこれだったと気づかされます。
さらに本書は、組織のUX成熟度を6段階で示し、AirbnbやUberはレベル5〜6、日本企業の多くはレベル2〜3あたり、と踏み込みます。優れた体験づくりを一部門の仕事に留めるか、組織戦略の核に据えられるか。
それが競争力を分けるという話です。そして、中国のシェアサイクルが大量のゴミと化した例や、顔認証ゲートとプライバシーの問題を挙げ、これからのデザインは問題を解くだけでなく「問題を発見する」必要があると結びます。
「間違いはない。勝利も失敗もない。あるのは創造のみ」というd.schoolの精神が、最後まで通奏低音になっています。
どんな人に効くか
理屈より先に手が動くタイプの企画・開発者に、本書はよく効きます。「いいものを作れば売れる」の空回りに心当たりがある人、会議でアイデアが潰れていく職場にいる人にも。逆に、5つのプロセスをすでに実務で回している人や、見た目のデザイン技法を学びたい人には物足りないかもしれません。
私自身、読み終えて腑に落ちたのは順番でした。「いいものを作る」より先に「人を正しく理解する」がある。私は逆をやっていた気がします。良い機能を積み上げれば、いつか求められると信じて。当たり前のようで、見落としていた順番です。
完璧を待つのをやめて、紙の試作を人に見せてみる。「でも」を「いいね、さらに」に変えてみる。動詞でニーズを書き出してみる。どれも、本書を閉じた今日から始められることばかりでした。
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半年かけて開発した。ローンチした。なのに、誰も使ってくれなかった。 「いいものを作れば求められる」という思い込みが、なぜ空回りを生むのか。本書の出発点である「人のニーズを先に理解する」を、開発現場の痛みから掘り下げた記事です。
顧客は商品を買っていない。『進歩』を買っている。 人がほしいのはドリルではなく「穴」だ、というジョブ理論の視点。ニーズを名詞でなく動詞で捉える本書の発想と、同じ景色を別の角度から見せてくれます。
『非クリエイターのためのクリエイティブ課題解決術』齋藤太郎さん 創造性は一部の天才のものではない、という本書のメッセージと響き合う一冊。広告のプロが明かす「なんとかする力」の中身は、デザイン思考の実践とも重なります。
