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『経営リーダーのための社会システム論』宮台真司・野田智義|便利さの代償に、社会の底が抜けた

戦略・経営・事業 ✍ 宮台真司・野田智義
約11分で読めます

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『経営リーダーのための社会システム論』
目次

コンビニで欲しいものはたいてい手に入る。スマホを開けば誰かとつながっていて、役所の手続きも宅配も止まらない。生活の不便はほとんど消えた。それなのに、ふとした瞬間に深い孤独がよぎる。この感覚は気のせいではなく、社会の構造そのものから生まれている。本書はそう診断します。

著者が掲げるのは「経済は回っているのに、社会が回っていない」という見立てです。表面上は何も壊れていない。けれど災害や不況でインフラが一瞬でも止まると、人々はたちまち立ち行かなくなる。

支え合う関係の蓄えが、いつの間にか枯れているからです。著者はこれを「社会の底が抜けている」と表現しました。

『経営リーダーのための社会システム論~構造的問題と僕らの未来~』は、社会学者の宮台真司さんと経営学者の野田智義さんによる共著です。ビジネススクール「至善館」の講義が下敷きになっていて、社会学を経営リーダーが身につけるべき必須教養として正面から扱う、という構えが珍しい一冊です。

経営書の棚にありながら、語られているのは現代社会の病理そのもの。だからこそ、ビジネスパーソンにとって視界が一段広がる読書になります。

図解

こんな人に効く一冊

便利なサービスに囲まれているのに、職場や家庭でのつながりが年々薄くなっている気がする。その違和感を、感覚論ではなく構造として言語化したい人に、本書はぴったりの補助線を引いてくれます。

部下に正解を示して従わせても、なぜか主体性が育たない。指示すればするほど受け身になっていく。そんな手詰まりを感じているマネージャーにとっても示唆が多い。本書は従来とはまったく別のリーダー像を提示するからです。

そしてカスタマーハラスメント、無差別の事件、SNSでの誹謗中傷。一見バラバラに見えるこれらの現象を、本書は「感情の劣化」という一本の筋で束ねます。日々のニュースに通底する何かを読み解きたい人にとって、これは強力な解釈の枠組みになります。

悪役がいないのに、悲劇が起きる

本書を貫く最大の逆説は、これほど深刻な問題なのに「悪役がいない」という点にあります。誰かが悪意で仕組んだわけではない。むしろ全員が善意で、合理的に動いた結果として悲劇が生まれる。ここに、この問題の厄介さが凝縮されています。

象徴的なのが、開発経済学者スーザン・ジョージが寓話で描いた自給自足の島の話です。島民は豊かさを求め、自分たちの意志でコーヒー豆のような換金作物の栽培へ切り替える。

最初はうまくいく。ところが国際市場で価格が暴落した瞬間、もう後戻りはできません。畑も、技術も、暮らしのかたちも、すべて換金作物向けに作り替えてしまっていたからです。

著者はこの転落を「自律的依存」から「他律的依存」への頽落と呼びます。自分の意志で選んだはずの依存が、時間とともに、抜け出せない依存へと質を変えてしまう。

映画『ダーウィンの悪夢』も同じ構造でした。EUや世界銀行がタンザニアで外来魚の輸出産業を後押しした結果、湖の生態系は壊れ、住民は貧困や売春やドラッグに沈んでいきました。

良かれと思った支援が、共同体の底を抜いてしまったのです。

ここに悪役は一人もいません。誰もが目先の合理的な利益を選んだだけ。その選択が積み重なって、誰も望まなかった破滅に至る。本書はこれを「構造的貧困」と名づけ、人間が長期より短期を優先する近視眼的な生き物である以上、この罠は「社会の摂理」と呼べるほど普遍的だと言い切ります。

編集部として補足すれば、ここは個人を責めても何も解決しないという冷徹な前提でもあります。犯人探しが効かないからこそ、私たちは構造そのものに目を向けるしかない。

本書のすべての処方箋は、この一点から出発しています。

地元商店とコンビニ、ふたつの世界

ではなぜ、人はこうも依存を深めていくのか。その背後にあるのが「汎システム化」という概念です。

本書は社会を二つの層に分けて見ます。「生活世界」と「システム世界」です。生活世界の象徴は地元の商店。店主と客は顔なじみで、互いの履歴を知っていて、「ちょっとおまけしてよ」といった感情の通うやり取りがある。

維持には手間がかかるけれど、損得勘定を超えた善意やつながりが、そこには自然と生まれます。

対するシステム世界の象徴はコンビニです。誰がレジに立っていても同じように買い物が成立する。店員はマニュアル通りに役割を演じればよく、関係は徹底して道具的で匿名的です。安全で快適で便利。その代わり、人は「いつでも入れ替えのきく部品」として扱われます。

汎システム化とは、このシステム世界が生活世界を内側から侵食し、社会の隅々まで覆い尽くしていく現象を指します。注意したいのは、その原動力が外からの圧力ではないことです。

私たち自身の「安全・快適・便利」を求める欲望こそが、システム化を駆動している。便利だから、楽だから、私たちは自分の手でシステムを選び取り続けている。

誰かに強制されたわけではない、というのが本書のいちばん痛いところです。

そして本書が冷たく言い放つのは、この世界に「つまみ食い」は許されないということです。システムの便利さだけ受け取って、共同体の温かさも欲しい。

そんな虫のいい取り合わせはありえない。「絆には絆コストがかかる」。つながりを得たいなら、面倒くささを引き受けるしかない。

地元商店が消えてコンビニだけが残るように、生活世界が痩せ細ってシステム世界だけが残っていく。便利さと引き換えに、私たちは静かに、しかし確実に何かを手放しているのです。

なぜ人の感情は劣化するのか

システムに依存しきった社会で、次に何が起きるか。本書はそれを「感情の劣化」という強い言葉で説明します。

ここでいう劣化とは、他者の悲しみや苦しみを自分のことのように感じる「同感能力」が失われ、相手を風景や背景のように見なしてしまう状態です。なぜそうなるのか。

システム社会では、人は労働市場においても常に「入れ替え可能」な存在として扱われます。著者はこの状態を「過剰流動性」と呼びました。

ここに本書の鋭い洞察があります。自分を入れ替え可能だと感じている人間は、他者のことも入れ替え可能だと見なすようになる。自分の尊厳が削られれば、他者の尊厳も同じだけ軽くなる。

誰かと共にいるための感情、共感する感情は、筋肉と同じで、使われないうちにじわじわ衰えていく。豊かで便利な社会が、感情の使われ方そのものを変えてしまうという指摘は重いものです。

その帰結として、本書はバラバラに見える現代の事象を一枚に並べてみせます。些細なことで激怒する高齢クレーマー。コールセンターへの問い合わせは60歳以上が35.8%で最多を占め、刑法犯に占める高齢者の割合は1990年の2.2%から2019年には22.0%へと跳ね上がりました。

そして秋葉原で7人を殺害した加藤智大のような「誰でもよかった」という無差別の事件。著者はこれらを特殊なモンスターの仕業とは見ません。入れ替え可能性のなかで尊厳を奪われれば、ごく普通の人にも起こりうる地続きの現象だと捉えます。

ここは賛否の分かれる読み筋ですが、現象を孤立した異常としてではなく構造の症状として見る視点は、確かに私たちの目を覚まさせます。

人間関係そのものの空洞化も進みました。本書は戦後日本を「3段階の郊外化」で整理します。団地化(1960年代)で地域が空洞化し、コンビニ化(1980年代)で家族が空洞化し、ネット化(1990年代後半)で人間関係そのものが空洞化した、という流れです。

ネット上の関係は「つき合いたい相手とだけ、見たいところだけを見る」つまみ食い的なものになりがちです。マッチングアプリはその象徴で、市場は2018年に374億円まで伸びたものの、本書はこれを全人格的な性愛を回復させる装置とは見ません。

スペックで相手を選ぶ属性主義と相互不信を、むしろ加速させる仕組みだと辛口に評しています。

数字も孤立の深さを裏づけます。2015年からの5年間で孤独死は4448件、その8割以上が男性でした。OECDの調査では、友人らとの交流が「ほとんどない」と答えた日本人は15.3%にのぼり、加盟20カ国中もっとも高い水準だったといいます。

便利さの最先端を走る国が、つながりの貧しさでも先頭を走っている。この皮肉こそ、本書の問題提起の核心です。

われわれ意識が消えると、統治まで壊れる

感情の劣化は、個人の心の問題にとどまりません。社会の統治そのものに影を落とします。

民主政が機能するには、ある政治的決定が他の誰に何をもたらすかを「想像でき」、しかもそれが「気にかかる」という感情の力が要る、と本書は説きます。

ところが「自分たちは仲間だ」という「われわれ意識」が失われると、富の再分配について合意することが極端に難しくなる。見知らぬ他人のために自分の取り分を譲る理由が、感情のレベルで湧いてこなくなるからです。

結果として、社会を回すための統治コストはひたすら膨らんでいきます。

そのコストを下げる手段として現実味を帯びてくるのが、監視社会です。中国に代表される政府主導の垂直型監視と、評判スコアのような個人どうしの水平型相互監視。

どちらも人々に「よき市民」を演じさせ、秩序維持のコストを下げます。けれど行き過ぎれば、他者の親切すら「どうせ点数稼ぎだろう」と疑い合うようになる。

自分の内発的な善意を誰にも信じてもらえなくなることは、尊厳の根を断つ問題だと著者は警告します。

もう一つの危険な道として挙げられるのが、米国流のアプローチです。マクドナルド化(没人格化)が生む疎外感を、VRやドラッグといった「ディズニーランド化」した祝祭的消費で埋め合わせる方向です。

これを推し進める「新反動主義」や「加速主義」は、もはや民主政そのものを諦め、テクノロジーで人々の脳内の快・不快を直接制御することで秩序を保とうとする。

けれどそれは、システムが生んだ苦痛をシステムの快楽で塗りつぶすだけのマッチポンプにすぎない。人間を制御可能な動物へと貶め、社会の主人公としての主体性を奪うものだと、著者は強い言葉で批判します。

便利さの行き着く先が、人間性の放棄になりかねない。ここは本書がもっとも危機感をにじませる箇所です。

縁の下の力持ちが、社会を立て直す

では、どうするのか。本書の処方箋は意外なほど地味で、しかし腰が据わっています。出発点は「国を一気に変えようとしない」ことです。

国家規模で「われわれ意識」を取り戻すのは、もはや不可能だと著者は認めます。だからこそ、小さなユニットから「(疑似)共同体自治」を地道に再構築する。

その入り口として最適なのが「食とエネルギーの地産地消」だといいます。生きる土台である食と電気を自分たちの手に取り戻すことが、当事者意識を芽吹かせる最初の一歩になるからです。

ここで誤読してはならないのは、テクノロジーを敵視して昔の自給自足に戻れという話ではない点です。外部のシステムやテクノロジーは最大限に使い倒す。

そのうえで、自分たちの意思で外とつながる相手や方法を選び取る。この「自律的に選ぶ」感覚こそが鍵です。デンマークのサムソ島では、ソーレン・ハーマンセンが「オーナーシップ」を旗印に住民を巻き込み、10年で再生可能エネルギー100%を実現しました。

兵庫県の家島では、コミュニティデザイナーの山崎亮さんが島外の人を呼び込む仕掛けをつくり、島の女性たちが海苔の佃煮「のりっこ」を生み出すなど、住民自身の知恵で地域が息を吹き返しています。

この再生を牽引するのが、本書が提唱する新しいリーダー像です。トップダウンで「俺についてこい」と正解を掲げる従来型のエリートを、本書は「1階(直接)の卓越者」と呼びます。

これに対して時代が求めるのは「2階(半地下)の卓越者」だといいます。表に立って答えを配るのではなく、縁の下の力持ちとして住民どうしのコミュニケーションと場をデザインする人。

人々が「自分たちで知恵を出し合って決めた」と実感できるように、後ろから導く人です。

なぜトップダウンではいけないのか。エリートの指示に従って動くと、失敗したときに「あの人のせいだ」と責任を他人に押しつける外部帰属化が起きるからです。

逆に、自分たちで決めて失敗した経験だけが、当事者意識を育てる。この洞察は、企業の組織運営にもそのまま刺さります。優秀なリーダーが正解を出し続けるほど、メンバーは考えなくなり、責任から逃げる体質になっていく。

心当たりのある管理職は少なくないはずです。

その具体的な手段の一つが、行動経済学の「ナッジ」です。強制するのではなく、環境をほんの少し変えて、人々が自発的に望ましい行動を選べるようにする。

気がついたら「われわれ意識」が芽生えていた、という体験をそっとデザインする手法です。そして本書がリーダーに求める最終形が「ミメーシス」、すなわち感情的模倣です。

「あの人のようになりたい」と内側から湧き上がる衝動のこと。利他性や倫理は、言葉や命令では決して伝わらない。リーダー自身が立派に振る舞う姿を見て、人が自然に感化されることでしか伝播しない。

だから著者は「ミメーシスを起こす人間たれ」と呼びかけます。

特筆すべきは、本書がこの処方箋の限界を正直に認めている点です。共同体自治に実際に参画してくれる人は、最大でも全体の2割程度。場をデザインできるファシリテーターの育成は、きわめて稀少で難しい。

即効性のある大規模な解決策は、あえて手放されています。耳ざわりのいい万能薬を売らない誠実さは、かえって本書の信頼性を高めています。

明日からできること

本書のアクションは、壮大な社会改革ではなく、自分の足元から始まります。抽象的な議論を、生活サイズに翻訳してみましょう。

第一に、コスパで判断している領域を一つ書き出してみること。仕事や生活のなかで、損得だけで割り切っている関係はないか。効率の追求が、長い目で見て信頼や「われわれ意識」を削っていないか。まずはそれを疑うところから始めます。

第二に、肩書き抜きで関われる集まりに、月に一度でいいから顔を出すこと。会社や役職を離れた、損得なしのコミュニティを意図的に持つ。地域の活動でも趣味の集まりでもかまいません。

これが、システムが止まったときの精神的な安全網(ホームベース)になります。人間はもともと弱い。だからこそ自分を包む共同体が要る、というのが本書の人間観です。

第三に、会議では自分の結論を口にする前に、まず全員へ問いを投げること。正解を配るのをやめて、場をデザインする側に回る。極端な意見をなだめ、参加者に問いを返し、「自分たちで決めた」という納得感を生む。

2階の卓越者の振る舞いを、まずは小さな会議で試してみる。これは明日の朝礼からでも実行できます。

ただし、全員を巻き込もうとして消耗しないこと。本書はそこも釘を刺します。最初に動くのはせいぜい1割。それが2割に増えれば、場の空気は確実に変わる。完璧を求めず、動く少数から始めればいい、という現実的な励ましです。

おわりに

便利さそのものは悪ではありません。問題は、便利さを無条件の善だと思い込み、その裏で支払っている代償に気づかないことです。本書は便利さを糾弾する本ではなく、便利さの値札を読み直す本だと言えます。

本書が最後に残すのは、「社会はビジネスを必ずしも必要としないが、ビジネスは社会を必要とする」という一文です。経済が社会を支えているのではない。

社会という土台の上に、かろうじて経済が成り立っている。その順序を取り違えたとき、足元の底が静かに抜ける。経営リーダー向けと銘打ちながら、本書がいちばん問うているのは、私たち一人ひとりがどんな関係のなかで生きたいのか、という根本の選択です。

明日、損得抜きで誰かに何かを手渡せる場面が一つでもあれば、そこから始めてみる。社会の底を編み直す糸は、案外そういう小さなところに転がっているのかもしれません。


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