丸一日中家にこもって、いつもより長く眠った週末。それでも月曜の朝、体の芯に重さが残っている。休み方を間違えたわけではないのに、回復した実感がない。
『「精神科医の禅僧」が教える 心と身体の正しい休め方』は、この違和感に一つの答えを出します。横になっても取れない疲れがあるのは、休息の量が足りないからではなく、疲れている場所がそもそも体ではないからだという指摘です。
著者の川野泰周さんは、横浜にある禅寺の住職を務めながら、週に数回はクリニックで患者と向き合う精神科医でもあります。禅の実践と精神医学の臨床という、普通なら別々の場所にある2つの視点が、一人の書き手の中で結びついているのが本書の強みです。
実践編には41通りの休め方が並びますが、そのどれもが特別な道具やまとまった時間を要求しません。ラーメンをすする、顔を洗う、電車のつり革につかまる。日常の動作がそのまま休息に変わるという組み立てに、まず読みながら驚かされました。

こんな人におすすめ
休みの日をまるまる寝て過ごしても、週明けの朝から体が重い人。本書はこの重さを、根性や体力の不足ではなく、脳が休めていないサインとして説明します。
仕事中にスマホの通知が気になって、目の前の作業にも通知にも中途半端にしか向き合えない人。このあと触れる「注意資源」という考え方が、その落ち着かなさに理屈をつけてくれます。
以前は好きだった趣味に、この頃なぜか手が伸びない人。著者はこれを気力の問題ではなく、脳から発せられる初期のサインとして扱います。
この3つは、本書の前半で医学的な説明がつく現象です。心当たりが一つでもあれば、読み進める価値があります。
疲れには3種類ある。横になって消えるのは、そのうちの1つだけ
本書はまず、疲れを一括りにする習慣を疑わせます。著者が挙げるのは、筋肉が張るような身体の疲れ、悩みや人間関係からくる心の疲れ、そして複数の作業や思考を同時に走らせたことで脳が消耗するマルチタスクの疲れ。この3種類です。
資料を作りながら別件のチャットへの返信も頭の片隅で考えている。座ったまま動いていなくても、脳の中では2つの仕事が並走しています。これがマルチタスクの疲れの典型例で、体感としては疲労より焦りに近い形で表れることが多いようです。
壊れた機械を直すとき、どこがどう壊れたか調べずに修理する人はいません。ところが疲れに対してだけ、多くの人はその手順を省き、とりあえず横になって済ませようとする。
横になって回復するのは身体の疲れだけであり、心の疲れとマルチタスクの疲れは、いくら体を休めても取れないと著者は説明します。土日を寝て過ごしても月曜が重いままなのは、そもそも身体以外が疲れているケースが少なくないからです。
脳は、ぼんやりしている間ほど電力を食う
体を休めても取れない疲れの正体を説明するのが、「デフォルト・モード・ネットワーク」、略してDMNという脳の仕組みです。
意識的に何かに取り組んでいるときとは別に、ぼんやりしている間も脳は自動的に働き続けます。車で言えば、いつでも走り出せるようにエンジンをかけたまま待機するアイドリング状態。ここまでは正常な機能です。
問題は、このアイドリングが止まらなくなったときに起きます。DMNが働き続けると、脳はその瞬間に使う全エネルギーの6割から8割をそこに費やしてしまう。ソファに寝転がりながら「明日の会議、大丈夫かな」と考えている時間、体は止まっていても脳はほぼフル稼働なのです。
疲れをどう自覚するかについても、本書は近年の研究を引きます。ストレスや負荷で体内に活性酸素が生じ、酸化した細胞から出る物質が脳へ疲労のシグナルを送るという仕組みで、国内の医科大学のチームが2000年代に報告したものです。
疲れは気合いで押し込められる感覚ではなく、体からの通知だと捉え直させてくれます。
もう一つの鍵が「注意資源」という考え方です。人が一度に振り向けられる注意の総量には上限があり、目の前の作業をしながら通知や締め切りの不安にも意識を割いていると、その資源は静かに目減りしていきます。
著者はこれを、本人にすら自覚のない「無意識のマルチタスク」と呼びます。目的もなくネットの情報をだらだら見続ける行為にも名前がついていて、休憩のつもりのその時間が、実は注意資源を垂れ流している時間だという指摘は、耳が痛い人も多いはずです。
進行の先には、感情の麻痺もあります。外側の情報に注意を奪われ続けた結果、自分の内側にある「つらい」「悲しい」という感覚そのものに気づけなくなる状態です。
感情が消えたわけではなく、気づかれないまま溜まった感情は、何年も経ってから深いうつ状態として噴き出すことがあると本書は警告します。かつて楽しめていたことに喜びを感じられなくなる状態も、著者は同じ脳疲労の初期サインとして扱います。
「好きだった外食が急に面倒」「あんなに好きだったゲームがつまらない」。性格の変化に見えて、実は脳からの信号だという見立てです。
さらに厄介なのは、脳の疲れが必ず心の不調として自覚されるとは限らない点です。自律神経の乱れを経由して、下痢や便秘、原因のはっきりしない頻尿といった体の症状として先に表れることも珍しくないと本書は指摘します。
「今、ここ」に意識を戻す技術
対処として本書が持ち出すのがマインドフルネスですが、その定義はいたって実務的です。宗教的な装いを外してしまえば、目の前の1つのことに意識を固定し、脳をシングルタスクの状態に戻すための練習にすぎない、と著者は言い切ります。
暴走したDMNを止める方法は、脳をいったんシングルタスクに戻すことしかないというのが、本書を貫く一貫した立場です。
象徴的なのが、丼が来たらまず30秒ほど見た目と香りを味わい、そのあと麺の食感とスープの味に意識を集中させて食べる、というラーメンを使った瞑想です。
同じ1杯でも、スマホを見ながらかき込めば受け身のマルチタスクになり、味わい尽くせば能動的なシングルタスクに変わる。差を生むのは食べ物ではなく、意識の向け方の違いだという説明には納得させられました。
満員電車のつり革につかまりながら車内の広告を目で追う、洗顔のときに泡の感触に意識を向ける。生活の中の何気ない動作を、そのまま瞑想に転用できるという発想が、本書の実践編の厚みを支えています。
瞑想中に雑念が浮かんでも、それに気づけた自分を責めるのではなく認める。この姿勢も繰り返し出てきます。
後半で特に印象に残ったのが、感情との向き合い方でした。落ち込みを隠して無理に明るく振る舞う状態を、著者は泳ぎ続けなければ窒息してしまうマグロにたとえます。
走り続ける自分を鼓舞するほど、止まったときの反動は大きくなる。必要なのは感情を消すことではなく、「今はうまく言葉にできないくらいつらい」とそのまま認めることだと説きます。
対人関係の苛立ちについても、「〜にイライラしている、と考えた」のように心の中で語尾を足すだけの手法が紹介されていて、感情を少し外側から眺めるだけで距離が取れるという指摘は、試してみて実際に効きました。
本書ではこのほかに、マンネリを崩すための小さな寄り道もいくつも紹介されていますが、根っこにある発想はここまでと同じです。注意を今この瞬間に戻すこと。
眠りを決めるのは、夜ではなく朝の光
睡眠についても、本書は具体策の密度が高いところです。軸になるのは睡眠ホルモンのメラトニン。朝に強い光を浴びるとその分泌が止まり、体内時計のスイッチが入る。そこから約15時間後に、また自動的に分泌が始まります。
つまり夜の眠気は、前日の朝の行動によってあらかじめ決まっているということです。休日に昼近くまで寝ていれば、その日の夜更かしはもう仕込まれている計算になります。
だから著者は、休日であっても一度は決まった時刻に起きて光を浴び、そのあとで二度寝することを勧めます。入浴は就寝の1時間前までに、ぬるめの湯に15分ほど。
熱すぎる湯は交感神経を刺激して逆効果になるため、筋トレやストレッチも寝る2時間前には切り上げる。昼寝は30分以内、遅くとも午後3時までに済ませる。
どれも「そういえば」と思い当たる人が多い、地に足のついた助言です。
数字も添えられていて、日本人成人のうち睡眠6時間未満の人は男女ともに4割近くにのぼるという調査結果や、潜在的な人も含めると数百万人規模とされる睡眠時無呼吸症候群の存在にも触れられています。
「体内時計は1日25時間」という定説も、近年の研究では24時間10分程度に修正されているそうです。ずれの主因は脳の構造ではなく、朝に光を浴びられない生活環境の側にあるという見方は、覚えておいて損はありません。
今日からできる3つのこと
本書の提案から、まず着手しやすいものを3つ選びました。
朝、起きたらすぐに光を浴びること。休日であっても、いつもの時刻に一度起きて光を浴びてから二度寝すれば、夜の寝つきへの影響を抑えられます。
スマホの通知を切り、確認する時間を自分で決めること。外から鳴る通知は自分でコントロールできない刺激で、それに反応し続けるだけで注意資源は静かに削られていきます。
そして1日に1つだけ、いつもと違う行動を選ぶこと。各駅停車に乗る、1駅手前で降りて歩く。数分の寄り道が、凪いだ自律神経に小さな揺らぎを取り戻すきっかけになります。
本書には、こんな言葉が引かれています。
身体が疲れたら寝ればいい、心が疲れたら禅をすればいい
この本を読んで変わったのは、休み方そのものより、休む前に自分へ投げる問いのほうでした。今の疲れは、体なのか、脳なのか。
その答えが脳であるなら、布団はおそらく解決策になりません。ここで書いた見立てはあくまで本書の紹介であり、医学的な診断の代わりにはならない留保つきの話です。
気になる不調が続くようなら、まずは専門家に相談してください。それでも、目の前の1つに意識を戻す数分から試してみる価値は、十分にあると思います。
