「ゴールド会員になりました」と言われて、心から喜んだことがあるでしょうか。
たぶん、ない。それなのに、自分の会社では当たり前のように会員ランクを作り、アプリを開発し、サブスクに切り替えようとしている。本書は、その違和感の正体を真正面から突きつけてきます。
著者の垣内勇威さんは株式会社WACULの代表取締役。3万7000サイトのデータ分析と、4000人を超える顧客インタビューを20年近く続けてきた人です。その膨大な実例から導き出したのは、「LTVを上げようとする施策のほとんどが、企業の妄想で終わっている」という身も蓋もない現実でした。
こんな人におすすめ
特に、こんな場面で手が止まっている人に効きます。
- 会員プログラムや自社アプリを企画中だが、本当に顧客が喜ぶのか確信が持てない
- 月次レポートでCPA(顧客獲得単価)の改善に追われ、潜在層に手が回っていない
- 「データを統合すれば何か見えるはず」とCRM導入を進めているが、ゴールが曖昧なまま
- 既存顧客への提案をしたいのに「売り込みは迷惑かな」と遠慮して機会を逃している
逆に、サブスクモデルへの全社的な転換そのものを設計したい人には物足りないかもしれません。本書はビジネスモデルを根本から作り替える戦略論ではなく、いまあるカスタマージャーニーの「詰まり」を一点だけ直す、現場の処方箋だからです。
LTVには、企業視点と顧客視点の二つがある
本書のすべては、LTVという言葉の定義のし直しから始まります。
LTVはLife Time Valueの略で、日本語では「顧客生涯価値」と訳されます。多くの人が思い浮かべるのは「1人の顧客が生涯に生み出してくれる利益の合計額」という意味でしょう。これは企業視点の定義です。
ところがもう一つ、顧客視点の定義があります。「一生涯に、企業が顧客へ提供してくれる価値の総量」です。垣内さんが繰り返し強調するのは、この両面を同時に満たさないとLTVは持続的に上がらない、という一点です。
なぜそれが必要なのか。背景には「1対5の法則」があります。ベイン・アンド・カンパニーのフレデリック・F・ライクヘルド氏が提唱したもので、新規顧客に売るコストは既存顧客に売るコストの5倍かかる、という法則です。人口が減る日本で、一度きりの焼き畑ビジネスに未来はありません。
さらに実利もあります。1人の顧客が生む利益が2倍になれば、その顧客を獲得するためのコスト(CPA)も2倍まで上げられる。つまりLTVが上がるほど、打てる施策の幅が広がるわけです。
「妄想四天王」が、なぜ廃虚になるのか
ここから本書は、企業がやりがちな失敗を容赦なく並べていきます。
最初の章で槍玉に挙がるのが「妄想四天王」。会員プログラム、会員アプリ、サブスク、メディアの4つです。どれも「顧客を囲い込めば利益が安定する」という前提で始まりますが、垣内さんは「囲い込まれることによって、顧客に提供される価値が極小だから」失敗すると断じます。
具体例が生々しい。あるアパホテルの利用者は、ホーム画面に余計なアプリを置きたくないので、宿泊のたびにアプリを入れ、チェックアウト後に消していたといいます。スマホのホーム画面1ページ目に入るアプリは28個。そこに自社が割り込めると思うのは、ほとんど奇跡を期待しているのと同じです。
サブスクも同じ罠にはまります。WACUL自身、主力サービスを1回5万円の都度課金から月額5万円の定額課金に変えたところ、「毎月同じようなレポートが来る。何をすればいいのか」というクレームが大量発生して失敗しました。顧客側にメリットのないサブスクは、満足を下げてLTVを毀損するのです。
囲い込みが効くケースもあります。楽天経済圏のユーザーが、Amazonで見つけた本をわざわざ楽天ブックスで買い直す。これは巨大プラットフォーマーだからこそ成立する話で、一企業がアプリ一つで真似できるものではありません。
データを統合しても、答えは出てこない
もう一つの定番の失敗が、目的の曖昧な「データ統合」です。
社内に散らばった顧客データを集めれば、何か金脈が見つかるはず。多くのDXプロジェクトがこの期待から始まりますが、垣内さんは「偶然たまっていたデータをいくら分析しても、LTV向上のアイデアはほとんど見つからない」と言い切ります。
理由は単純で、企業が顧客と接点を持てるのはカスタマージャーニーのほんの一瞬だから。過去のデータには、顧客体験を理解するための質も量も決定的に足りていません。「手段である分析が目的化し、無駄な仕事を生み出す」という指摘は、心当たりのある人が多いはずです。
ではどうするか。答えは、意図を持って顧客調査をすることです。とりわけ威力を発揮するのが定性調査で、「顧客の解像度を高める最強の手段」と位置づけられています。通常5人ほどにインタビューすれば、8割以上の発見点が出てくる。これは本書が何度も立ち返る実践の核です。
ここで大事なのが、聞き方です。顧客の「意見」を聞いても本質はわかりません。「こういう機能がほしい」という要望ではなく、過去に実際「何をしたか」という行動と、その前提となった「状況」を深掘りする。リモート会議ツールで実際にサイトを操作してもらう行動観察まで踏み込むと、無意識の「なんとなくの理由」まで見えてきます。
全体改造ではなく、ボトルネックを一点だけ直す
本書のいちばん大きな主張は、ここにあります。
カスタマージャーニーは顧客が主導するもの。それを企業の都合でまるごと作り替える「全体改造」は、99%の企業にとって失敗します。垣内さんの言葉では「カスタマージャーニーをねじ曲げようなんて大それた野望は抱かず」、その一部だけを直す「ボトルネックの解消」に集中すべきだ、となります。
LTVボトルネックとは、カスタマージャーニーの中で顧客との関係を途切れさせている部分的な障害点のこと。ここを局所的に直すのが、最もコストパフォーマンスに優れた唯一の方法です。課題が明確なので解決方針も立てやすく、低コストで素早く動ける。
たとえばプロ野球のファンを増やしたいとき。初心者が「球場への行き方がわからない」でつまずいているなら、巨大なアプリを作るのではなく、サイトに初心者向けガイドページを1つ足せばいい。地味な部分改善こそが、最適解なのです。
LTVを損ねる4つの詰まり「MAST」
そのボトルネックを見つけるための地図が、本書独自のフレームワーク「MAST」です。企業活動を4つのアクションに分け、それぞれで起きる詰まりを点検します。
M:Meet(出会う)── そもそも認識されていない
商品を一度や二度買っていても、メーカー名も商品名も覚えていない。そういう状態がMeetの詰まりです。ECランキングで買った家具、人から譲られた用品などが典型例です。所有後に認識を取れないと、リピートもクロスセルも起きません。
特に単価の高い商材は、買う気になる前に認識してもらえるかで勝率が大きく変わります。IKEAや無印良品は、まさにここが強い。引っ越しで家具を探す人は、ネット検索より先に店舗へ足を運び、指名買いをします。IKEAが週末にファミリーを集めてレストランで料理を振る舞うのも、いつか引っ越すときに思い出してもらう「ライトな接点」づくりです。ホンダがフィットを抽選でプレゼントしたのも、将来の見込み客リストを効率よく集める打ち手でした。
A:Attract(引き付ける)── 魅力が伝わっていない
Webや紙、デジタル広告のような「セルフサービスチャネル」では、顧客は自分の興味のある情報しか、ほんの短時間しか見ません。興味を持って見てくれる時間は、Webサイトで1分前後、チラシで数十秒、テレビCMで数秒。この前提に立てば、伝えたい魅力の大半は届いていないと考えるべきです。
だから文脈に沿って、必要な情報だけを端的に伝える。逆に、顧客が求めていない多機能アプリや凝ったコンテンツのような「過剰品質の魅力もどき」は、LTVに一切貢献しないので一刻も早くやめろ、と斬り捨てます。実際、ホテルアプリで高頻度リピーターが使うのは「ポイントカード」と「スムーズな予約」だけで、照明や空調のコントロール機能は誰も求めていなかったといいます。
S:Sense(検知する)── 顧客の状況が見えていない
顧客の状況は刻々と変わります。わずかに状況が変わっただけで、反応は180度変わる。年齢や性別といった属性よりも、その時々の「状況」が行動を決めるからです。
その変化を検知するには、嫌がられない範囲で接点を増やすしかありません。まずは氏名とメールアドレスを確実に取得する。一番踏んでほしいCV(コンバージョン)ボタンを用意して顧客のシグナルを拾う。距離感の遠いメールで、定期的に状況をうかがう。キーエンスの顧客である町工場の職人が、検索せずにキーエンスのサイトを開いて待っていたら営業から電話がかかってきた、という例は、検知の理想形です。
T:Trade(商売する)── 遠慮して機会を逃している
最後のTradeは、企業の心理的なブレーキの話です。「営業=迷惑」「売り込みは卑しい」と勝手に思い込み、提案を控えてしまう。けれど垣内さんは「営業行為は決して卑しいことではなく、顧客にも望まれている行為だ」と明言します。
現状のサービスに満足している顧客や、ニーズが顕在化している顧客は、むしろ適切なタイミングの提案を静かに待っています。「今のままでいいのか」と不安なまま放置されているのです。遠慮せず、障壁を下げて背中を押す。これがTradeの解消です。
完璧なKPIは存在しない、と割り切る
ここまで読むと「で、成果はどう測るのか」が気になります。本書の最後の主張は、ここでも現実的です。
生涯価値という未来の数字を正確に予測する「完璧な指標」は存在しない。だから妥協していい、と垣内さんは言います。「LTVのKPIは、極論すればLTVにほんのわずかでも相関してさえいれば構わない」。
実務で毎月PDCAを回すなら、1年分の合計売上を見る「1年LTV」や、NPS(顧客推奨度)のような代替指標、あるいはアンケートで判明した「ボトルネックの解消率」をKPIに据える。完璧さより、現場が納得して回せることを優先します。
ただし一つだけ条件があります。指標を形骸化させないために、組織のトップが本気でコミットすること。「組織の長が本気であることを示せれば、それだけでいい」。会議で自らその数字を語り、改善した社員を表彰する。指標を生かすのは、計算式ではなく経営者の姿勢でした。
明日から始める3つの行動
本書の提案を、今日の机の上に落とすと、次の3つになります。
1. 進行中の囲い込み施策を、顧客視点で棚卸しする 会員プログラム、自社アプリ、サブスク、オウンドメディア。いま動いているものを「顧客に本当のメリットがあるか」で一つずつ見直し、なければ停止を検討する。
2. ロイヤル顧客5人に、行動を聞くインタビューをする 新サービスを作る前に、まず聞く。「どう思うか」ではなく「過去に何をしたか」を、できれば画面を操作してもらいながら深掘りして、ボトルネックの仮説を検証する。
3. 遠慮していた提案を、適切なタイミングで一度やってみる 顧客のシグナルを拾い、ニーズが見えたら背中を押す。営業は迷惑ではなく、待たれている親切だという前提に立ち直す。
おわりに
本書には、もう一つ心に残る言葉があります。
「ファンビジネスとは、ファンに甘えるビジネスではなく、ファンを大切にするビジネスであってほしい」。熱心なファンに囲まれている会社ほど、初心者に塩対応になりがちです。囲い込んでいるつもりが、いつのまにか顧客の価値を削っている。
LTVという言葉を、利益を測る企業の物差しとしてだけ使っていないか。明日、自社の施策を一つだけ「これは顧客が喜ぶか」で問い直すところから、始めてみてください。
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