「今期は売上を15%伸ばす」「ROAを2桁に乗せる」——こうした数字が並んだ資料を、私たちは長らく「戦略」と呼んできた。だがリチャード・P・ルメルト氏に言わせれば、それは戦略ではない。行き先を指し示しただけの願望だ。
『戦略の要諦』は、『良い戦略、悪い戦略』で世界の戦略論を書き換えた著者の続編にあたる。前作が「悪い戦略の正体」を暴いたのに対し、本書はもう一歩手前、「そもそも戦略を立てるとは何をする作業なのか」を問う。
SpaceX、インテル、アップル、ボーイングといった実在企業の勝ち負けを解剖しながら、その問いに答えていく。
戦略とは「困難な課題への具体的な行動」であって目標ではない
ルメルト氏の定義は最後までぶれない。戦略とは、直面する困難な課題に対して論理的に組み立てられた、具体的な行動の束のことだ。目標でもスローガンでも財務計画でもない。
ここで著者が明かす「知られたくない秘密」がある。戦略を自動で生み出してくれるセオリー(定説)など存在しない、というものだ。フレームワークの空欄に数字を埋めれば戦略が出てくる、そんな便利な装置はどこにもない。
だからこそ多くの経営陣は、戦略を「あらかじめ決めた業績目標を達成するための方法」とすり替えてしまう。目標の達成に追われるうち、本当に手ごわい課題からは目をそらす。ルメルト氏が繰り返し撃つのは、この構図だ。編集部として補足すれば、この批判の鋭さは「悪意ある無戦略」を責めていない点にある。真面目な組織ほど、数値目標の一覧表を眺めて「これで戦略は決まった」と安心してしまう。その安心こそが最も危うい、という逆説なのだ。
本書の説得力を支えるのは、事例の圧倒的な厚みだ。SpaceX、アップル、インテル、IBM、ノキア、ボーイング。成功譚だけでなく失敗を細かく解剖し、ときに軍事やチェスまで持ち出して、戦略を現実の手ざわりで理解させる。抽象論に逃げないぶん、読み手は自社に引きつけて考えざるをえない。
SpaceXが下げたのは技術の壁ではなく、複雑さのコスト
本書が最初に置く成功例がSpaceXだ。ファルコン9は、地球低軌道へ荷物を運ぶコストをスペースシャトルの23分の1まで下げた。ペイロード1ポンドあたり、2018年時点で約2,000ドル。大型のファルコンヘビーでは、それをさらに半分にしている。
では、どうやって下げたのか。答えは拍子抜けするほど地味だ。設計と製造をシンプルにし、下請けの数を絞った。象徴的なのは、機内のフライトコンピューター同士をつなぐのに宇宙用の特注品ではなく、汎用のイーサネット規格を使った点だ。
工場そのものも、他の宇宙メーカーよりずっと低コストな仕様になっている。
ここに本書の核の一つがある。競争優位は派手な発明からではなく、複雑さを削り取る地道な単純化の積み重ねから生まれることがある、という視点だ。技術の最先端を追うより、コスト構造の急所を突く。
SpaceXの物語は、戦略の主戦場が「何を発明するか」よりも「何をやめ、どこを単純にするか」にあることを教えてくれる。
全部を守ろうとして動けなくなる前に、ASCを一つだけ選ぶ
課題を山ほど抱えると、人は「どれも死活的に重要だ」と感じて身動きが取れなくなる。ルメルト氏はここに切り込む。大事なのは、抱えている課題のうち、最も重要で、しかも現実に取り組める一点を見抜くことだ。
彼はこれをASC(Addressable Strategic Challenge)、対処可能な戦略的課題と呼ぶ。
本書のインテルのケースでは、課題を「重要度」と「取り組みやすさ」の二軸にプロットして整理する。ムーアの法則の終焉、AMDの台頭、製造プロセスの遅れ、モバイル市場からの撤退、ARMの脅威——課題は数えきれない。
だからこそ、どこに力を集中するかを決める作業こそが戦略の中心になる。戦略とは「やることを増やすリスト」ではなく、捨てなければ動けない現実の中で一点を選ぶ覚悟のことだ。
ただし留保も要る。ASCの発想は強力だが、「取り組みやすさ」を過大評価すれば、重要だが難しい課題を避ける言い訳にもなりうる。ルメルト氏自身、選ぶ一点はまず「重要度」を先に立てるべきだと釘を刺す。安易な一点集中と、覚悟のある一点集中は別物だ。
方針と行動がそろい、しかも速く回る——ペツルとOODA
戦略は計画書の中ではなく、行動の一貫性の中で価値を出す。ルメルト氏が挙げるのが、登山用品メーカー、ペツルの緊急避難システム開発だ。掲げた方針と実際の打ち手がぴたりと一致していた。
本人いわく、書き出してみればどこにも特別なところはなく、ただ思慮深い方針にすぎない。それでも、逆の方針を採っていたらどうなったかを想像すれば、一貫性の重みがわかる。
P&Gが老舗ブランドのオレイを立て直したときも、方針と打ち手が最後までぶれなかった。
一貫性に加え、変化の速い競争では反応の速さが決定的になる。ここで登場するのが、軍事戦略家ジョン・ボイド氏のOODAループだ。観察(Observe)、状況判断(Orient)、意思決定(Decide)、行動(Act)。
ボイド氏は朝鮮戦争の空中戦を分析し、勝つパイロットはこのループを敵より速く一周していると見抜いた。ビジネスも同じで、エヌビディアは製品サイクルを短くしてループを速く回し、競合を打ち負かした。
逆にインテルやノキア、マイクロソフトは、スマートフォンをめぐる局面でループが遅く、後手に回った。方針と行動の一貫性が進む「向き」を決め、ループの速さが「間に合うか」を決める。
この二つは車の両輪だ。
成功体験の偶像化と「誤ったアナロジー」が優良企業を殺す
組織の最もやっかいな問題は、その組織が得意としてきたことの歴史に根ざしている。ある時代、とりわけ最も繁栄した時期にうまくいったやり方が、「ウチのやり方」として固まる。
過去の成功が偶像になり、変化を拒む。インテルがわかりやすい。市場をほぼ独占し高い利益率を長年享受してきた文化が、低利益率の大量生産市場や新しいモバイル市場への対応を鈍らせた。
GEやフォードのDX計画が巨額を投じて失敗したのも、既存事業の幹部が本気で関心を持たず、大きく複雑な組織が動けなかったからだと指摘される。
偶像化とセットで働くのが「誤ったアナロジー」だ。iPhoneが登場したとき、マイクロソフトのバルマー氏やノキアの戦略担当は、スマートフォン市場を「利益率の低いPC業界と同じもの」と読んだ。
PCで儲けたのはOSとCPUを握ったウィンテル連合で、ハードは薄利。同じ構図がスマホにも来る、だからiPhoneはニッチで終わる、と。だが実際は逆だった。
PCがビジネス文書の需要で伸びたのに対し、スマホは個人がネットにつながりたいという需要で伸びた。アップルは少数モデルで平均66%の利益率を叩き出し、多品種薄利のサムスンは17%にとどまる。
App Storeを外部開発者に開いた結果、2008年に500本だったアプリは2015年に200万本へ膨らみ、iPhoneをまったく別物にした。
そのApp Storeの膨張は、本書が競争優位の源泉として重視する「ネットワーク効果」の好例でもある。使う人が増えるほど価値が上がる製品は、勝てば雪だるま式に強くなる。
表計算ソフトの主役がビジカルクからロータス1-2-3、そしてエクセルへ移った歴史がそれを物語る。加えてルメルト氏は「補完的資産」の重みも説く。
画期的な製品を作っても、流通やサービスといった補完資産を他社が握っていれば、生んだ利益を分け合わされてしまう。優位とは、良い製品さえ作れば自動で手に入るものではなく、周囲の力学ごと設計して初めて守れるものなのだ。
規模の経済と経験曲線も、産業ごとに効き方がまるで違う。同じ「大きくすれば安くなる」でも、超大型機エアバスA380は規模を狙って市場に見放され、一方で第二次大戦下のボーイングB-17は、累積生産量が増えるほど単位コストが下がる経験曲線を鮮やかに描いた。
効く土俵を見誤れば、規模はそのまま重荷に変わる。だからこそM&Aも万能薬ではない。過大なプレミアム、シナジーの過大評価、経営陣の過信が重なり、大型案件ほど失敗しやすい。
AOLとタイム・ワーナーの合併は、その戒めとして本書に刻まれている。
今の利益は過去の収穫——財務指標を実力と取り違えるな
本書でとりわけ刺さるのが、財務指標への警告だ。ルメルト氏は言い切る。現在の利益は、過去の投資や行動がもたらした収穫であり、ときには何世代も前の判断の結果だ、と。
今日の黒字は、今のマネジャーや社員の頑張りの証明とは限らない。むしろ過去の賢明な判断や、幸運や、既存の戦略に由来している。
ここを取り違えると、現状維持を「実力」と勘違いし、手ごわい課題に向き合う体力を失う。
逆に、株主や規制当局に好かれようと短期業績を追いすぎれば、長期の戦略がおろそかになる。ボーイング737MAXの設計上の欠陥が信頼を損なった件は、その象徴として語られる。
ベトナム戦争でマクナマラ氏が数値目標による管理に頼って判断を誤った例も、根は同じだ。そして診断すべき課題は、自社の困りごとに限らない。顧客やサプライヤーが抱える「未実現の価値」こそ、大きな戦略的課題になる。
ジョブズ氏がiPhoneで挑んだのはまさにこれで、人々が欲しがり、お金を出してもいいと思っているのに、まだ存在しない製品を、他社に先んじて形にした。
顧客を深く知る努力も欠かせない。インテュイットはデータに現れない声を拾うため顧客の家やオフィスを訪ね、レッドフィンは得た利益を顧客への価値に再投資する。
手ごわい課題は、自社の内側だけでなく、顧客の未充足のなかにも眠っている。
本を閉じたあとに残るのは、一つの問いだ。自社の資料に並んだあの数字は、目標なのか、それとも戦略なのか。今の利益が過去の収穫なら、今日選ぶ課題こそが何年も先の収穫を決める。
まずは、自社が本当に手ごわいと感じている課題を一つ、正直に紙に書くところから始めたい。戦略は、そこからしか始まらない。
