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ブクドリ | BOOK DRIP

データを集めるほど、人の心が見えなくなる

約5分で読めます 思考法・問題解決
目次

顧客アンケートを何百件も集めた。きれいなグラフもできた。なのに、なぜ売れないのかは結局わからないまま。

そんな経験はないでしょうか。

私たちは「データさえ揃えば答えが見える」と信じています。数字が多いほど真実に近づく、と。でも、その前提自体が間違っているとしたら、どうでしょう。

文化人類学者でコンサルタントのクリスチャン・マスビアウは、著書『センスメイキング』でこう言い切ります。ビッグデータが捉えているのは「薄いデータ」に過ぎない、と。人や文化を本当に理解するには、まったく別の種類のデータが要る。今日はその話をします。

ビッグデータは「なぜ」に答えられない

まず、データ万能主義のどこに穴があるのかを見ます。

ビッグデータが得意なのは、相関関係を見つけることです。Aが起きるとBも起きる。その関係を大量に拾い上げる。ただ、そこには決定的な弱点があります。「なぜそうなるのか」という理由を、データ自身は説明できないのです。

マスビアウはGoogleのインフルエンザ予測の例を挙げています。検索データから流行を当てようとした有名な試みですが、予測は大きく外れました。相関は、文脈が変わればあっさり崩れる。数字は中立に見えて、実は解釈なしには意味を持たない。

ここで彼は、データを2種類に分けます。

数値化され、文脈から切り離された情報が「薄いデータ」。アンケートの点数、アクセス数、購買履歴。一方、人の経験や感情、文化的な背景まで含んだ情報が「厚いデータ」です。

たとえば「ウインク」を考えてみてください。コンピュータに定義させれば「一瞬のまぶたの痙攣」で終わります。これが薄いデータです。でも、そのウインクが仲間内の合図なのか、皮肉なのか、誘いなのか。文脈がわかって初めて意味が立ち上がる。それが厚いデータです。

問題は、現代のビジネスが薄いデータばかりを集め、厚いデータを「主観的で非科学的だ」と切り捨ててきたことにあります。

優れた判断は「現場の意味」を読んでいる

では、厚いデータを読むとは具体的に何をすることなのか。実在の事例で見ます。

投資家ジョージ・ソロスが1992年にポンドを空売りし、巨額の利益を上げた話は有名です。彼が見ていたのは経済指標だけではありませんでした。ドイツ連銀総裁と英国財務大臣のあいだにあった、傷ついたプライドや国家としての面子。そうした人間的な力学を読み解いたうえでの判断だった、とマスビアウは指摘します。

もう一つ。あるヘッジファンドのマネージャーは、フィンランド通貨への投資を決める前に、ヘルシンキのバーへ行きました。オフィスのモニターではなく、地元の人々が経済をどう感じているか、その本音を肌で確かめるためです。

これは、車の話でも同じです。

フォードが高級ブランド「リンカーン」を立て直したとき、当時のCEOマーク・フィールズが向き合ったのは、エンジン性能のスペック表ではありませんでした。富裕層が車内外でどんな上質な時間を過ごし、何に「らしさ」を感じるのか。その文化的な意味の連なりを理解することが再建の鍵だった、と本書は語ります。

共通しているのは、数字の裏にある「人が何に意味を見出すか」を掴んでいる点です。これは観察と共感の仕事であって、集計の仕事ではありません。

効率を上げたのに、質が下がる逆説

厚いデータを無視すると、何が起きるか。介護の現場が、わかりやすい例です。

認知症介護では、転倒の回数や褥瘡(じょくそう)の減少といった、数値化しやすい指標が重視されがちです。管理しやすいからです。ところがマスビアウによれば、そこに偏ると、かえって質もコストも悪化することがある。

本当に効くのは、その人がどんな人生を歩み、何を大切にしてきたかという厚いデータを理解し、一人ひとりに合わせる「顔の見える介護」のほうだった。結果として、こちらのほうがコストも下がったといいます。

北欧のある生命保険会社の例も同じ構造です。解約率に悩んでいた彼らは、数字を眺める代わりに、顧客が「老いる」という経験そのものに入り込みました。退職で職場の地位を失う不安、体の衰えへの戸惑い。その実存的な揺らぎを理解して初めて、効く打ち手が見えた。

経営学者の内田和成も『右脳思考』で似たことを言っています。

ロジカルシンキングがコモディティ化した今、正解を出すだけでは差がつかない。優れた経営者はむしろ「なんかおかしい」という違和感や、人の感情への嗅覚から出発し、それを後から論理で裏づけている、と。観て、感じて、勘を働かせる。この順番こそが価値を生む、という見立てです。

「データを捨てろ」ではなく「両目で見る」

ここで誤解を避けたいことがあります。

正直に言うと、私もこのテーマを深掘りするまで、これは「数字より直感が大事」という話だと思っていました。でも、それは違います。

誤解:厚いデータが大事なら、ビッグデータや分析は不要だ → これは逆方向の極端です。マスビアウも内田も、数字を捨てろとは一言も言っていません。

正しいアプローチ:薄いデータで「何が」起きたかを掴み、厚いデータで「なぜ」を読む → 二つは補完関係です。片目だけでは距離がつかめないのと同じで、両方あって初めて立体的に見える。

では、明日から何を変えられるか。具体的に三つだけ。

一つ目。重要な判断の前に、数字の現場へ一度足を運ぶこと。顧客アンケートを読む前に、顧客が実際に使う場面を15分でいいので見にいく。ソロスのバー、フォードの顧客体験と同じ発想です。

二つ目。データを見たら「だから、なぜ?」と一度だけ口に出すこと。相関の先にある理由を、人の感情や文脈で説明できるか試す。説明できないなら、まだ薄いデータしか持っていません。

三つ目。普段触れない人文系の本を月に一冊だけ読むこと。歴史でも小説でもいい。人が何に意味を見出すかを読む筋肉は、数字の本では鍛えられません。

おわりに

データは「北極星」ではなく「GPS」だ、とマスビアウは言います。

GPSは現在地を正確に教えてくれます。でも、どこへ向かうべきかは教えてくれない。向かう先を指し示すのは、いつだって意味を読む人間のほうです。

次に分厚いレポートを前にしたとき、一度だけ顔を上げてみてください。この数字の向こうに、どんな人が、何を思って立っているのか。そこが見えた瞬間に、判断の質は変わります。


この記事で参考にした本

『センスメイキング 本当に重要なものを見極める力』クリスチャン・マスビアウ → ビッグデータが捉える「薄いデータ」の限界と、文脈・意味を読む「厚いデータ(人文知)」の価値を、フォードやソロスの事例で示した一冊。

『右脳思考 ロジカルシンキングの限界を超える 観・感・勘のススメ』内田和成 → 論理だけでは人もイノベーションも動かない。直感や感情から出発し論理で裏づける「観・感・勘」の実践を説く。


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