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『センスメイキング――本当に重要なものを見極める力』クリスチャン・マスビアウ氏|データを集めるほど、人の心が見えなくなる理由

思考法・問題解決 ✍ クリスチャン・マスビアウ氏
約11分で読めます

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『センスメイキング――本当に重要なものを見極める力』
目次

「データは揃っている。分析もした。なのに、何も決まらない」。

会議室でこの感覚を味わったことがある人は、多いはずです。グラフは美しい。数字は正確。それなのに、お客さんが次に何を欲しがるのかが、まるで見えてこない。

打ち手の候補は出るのに、どれも決め手に欠ける。そんな膠着のなかで、また一枚グラフを増やしてしまう——心当たりのある光景ではないでしょうか。

本書はその正体を、ひとことで言い当てます。文脈を削ぎ落とした数字だけを見ているから、人間が見えなくなっているのだ、と。

著者のクリスチャン・マスビアウ氏は、ReDアソシエイツという人文科学ベースのコンサルティング会社の創業者です。哲学や文化人類学の知をビジネスの現場に持ち込み、「センスメイキング(意味づけ)」という人間特有の力を取り戻そうと訴えます。

AIやビッグデータがすべてを解決すると言われた2010年代に、真っ向から異を唱えた一冊です。データを否定する懐古趣味ではありません。むしろ、データを最大限に活かすためにこそ、その手前にある「人間の見方」を鍛え直そうという、攻めの主張だと読むのが正確です。

図解

この本の背骨——「薄いデータ」と「厚いデータ」

本書を貫くキー概念は、たったひとつの対比に集約されます。「薄いデータ」と「厚いデータ」です。

薄いデータとは、クリック数やGPSのログ、購買履歴のように、文脈を削ぎ落として数値化した記録のこと。著者の比喩を借りれば、ウィンクを「1ミリ秒の目の痙攣」と定義してしまうようなものです。

たしかに痙攣は起きている。計測もできる。けれど、それが「本気じゃないよ」という合図だったのか、目にゴミが入っただけなのか——その意味は、数値からはきれいに抜け落ちてしまいます。

便利さと引き換えに、人間がそこにいた痕跡が消える。これが薄いデータの正体です。

これに対して「厚いデータ」は、行動の背景にある感情やムード、文化、暮らしの文脈ごと捉えたデータを指します。

厚いデータは、単なる事実の羅列ではなく、こうした事実の「文脈」を捉えている。

(クリスチャン・マスビアウ『センスメイキング』より)

この対比こそが本書の背骨です。そして著者は、人文科学(哲学、歴史、文化人類学)に根ざして厚いデータを読み解く力を「センスメイキング」と呼び、そのルーツをアリストテレスの「フロネシス(実践知)」——知識と経験を融合させた知恵——にまでさかのぼります。

哲学を象牙の塔から引きずり出し、投資や新製品開発の武器に変えていく。その手つきが、本書を読む醍醐味です。

ここで強調しておきたいのは、これが単なる「数字否定論」ではない点です。著者は薄いデータと厚いデータを敵対させるのではなく、掛け合わせるものとして扱います。

薄いデータは「何が起きたか」を効率よく教えてくれる。そこに厚いデータが「なぜそうなったのか」を補う。両輪がそろって初めて、意思決定は地に足がつく。

この立て付けがあるからこそ、データ全盛の時代になってもなお、本書の主張は古びていません。

数字は「なぜ」を教えてくれない

著者はまず、データ万能論の足元を崩しにかかります。ここで持ち出されるのが、世界的なテック企業や金融機関の、それも華々しい失敗例です。

象徴的なのがグーグルの「ナウキャスト」です。検索語句のビッグデータから、CDC(疾病予防管理センター)より早くインフルエンザの流行を当てようとした野心的な試みでした。

ところが、因果関係を無視して相関だけを拾うアルゴリズムは、「高校バスケットボール」のような流行とは無関係な検索語にまで反応してしまう。本書によれば、2年間で出した108週の予測のうち100週が過剰予測のハズレだったといいます。

相関は因果ではない、という教科書的な教訓を、これほど高い授業料で示した例も珍しい。

似た壁は、ある世界最大級の医療技術企業にも立ちはだかりました。糖尿病患者がなぜ薬を飲み続けないのかを探ろうと、巨費を投じてアンケートを実施した。

出てきた答えは「患者の43%が規定を守らず、その84%が忘れっぽさを理由に挙げた」という数字でした。きれいな数字です。けれど、では会社として明日から何をすればいいのか——その答えは、誰一人として数字の中から見出せませんでした。

「忘れっぽさ」という言葉の裏で、患者が日々の暮らしの中で薬とどう向き合っているのか、その文脈がまるごと欠けていたからです。

そして、もっとも代償が大きかったのがリーマン・ブラザーズの破綻です。帳簿上の良好な数字だけを信じ、現実の利用者が本当に返済できるのかという文脈を無視した結果、株価は約1年で93%急落しました。

数字を細かく刻むほど、皮肉にも現実から遠ざかっていく。事実は常に文脈の中に存在するのであって、それを個別のデータポイントに切り刻んでしまえば、無意味で不完全なものになるだけだ——著者の警句は、ここで一段と重みを増します。

データは「何が起きたか」は示す。けれど「なぜそうするのか」「どうすれば変わるのか」は語らない。当たり前のようでいて、現場でつい忘れがちなこの線引きを、本書はしつこく突きつけてきます。

「本当に重要なもの」を見極める五原則

本書の骨格をなすのが、センスメイキングの五原則です。すべてが「機械的なやり方」から「人間的な見方」への転換を示しています。出し惜しみせず、五つとも紹介しておきます。

第一に「個人ではなく文化を」。人の行動は本人の選択だけでは決まりません。属する文化や社会の文脈に深く根ざしています。哲学者ハイデガーの言う「存在」、つまり世界を理解する土台となる暗黙の了解が、行動を形づくっているからです。

新興国で車を売るなら、個人の言動を追うより「その文化で車を持つことの意味」を読む。実際フォードは、車をエンジンの性能ではなく「自動車生態系」全体として捉え直しました。

第二に「薄いデータではなく厚いデータを」。これは先ほどの対比そのものです。数値化された統計だけでなく、暮らしや感情の文脈を含む実感のあるデータを重視する。

第三に「動物園ではなくサバンナを」。人間を理解するには、アンケートや実験室という切り取られた環境(動物園)ではなく、実際の生活空間(サバンナ)で観察すべきだ、という原則です。著者の比喩が鮮やかです。

その違いは、動物園でボウルに入った餌を与えられているライオンを見るのと、実際のサバンナで狩りをして生きるライオンの群れを観察することの違いに似ている。

これは現象学という哲学の実践でもあります。観察するときは、自分の業界の常識や先入観をいったん脇に置く。フッサールの言う「カッコに入れる」姿勢が求められます。

個人的には、この一つだけでも持ち帰る価値があると感じました。私たちは「もう分かっている」つもりで現場を見ているとき、たいてい自分の仮説しか見ていないからです。

第四に「生産ではなく創造性を」。効率を上げる「生産」ではなく、文脈に没入した先に生まれる「創造性」を大事にする。著者は創造性を、意思で絞り出すものではなく、外から与えられる「恵み」だと捉えます。

第五に「GPSではなく北極星を」。アルゴリズムが示す「最適化」の答え(GPS)に盲従するのではなく、自分の視点と関心(北極星)を持ってデータを解釈する。データはそれ自体では答えを出してくれない、という姿勢です。

この五つは別々の話に見えて、すべて「人を点ではなく、つながりの中で、現場で、関心を持って見る」という一本の線でつながっています。バラバラな箇条書きではなく、ひとつの世界観の異なる断面だと捉えると、腑に落ちやすいはずです。

厚いデータが勝負を分けた現場——投資室から会議室まで

意外なのは、もっとも数字がものを言うはずの投資の世界で、厚いデータが勝負を分けた例が出てくることです。

1992年、ジョージ・ソロス率いる3人のトレーダーは、英国ポンドの空売りに打って出ました。彼らが分析したのは、各国のマクロ経済データだけではありません。

英国とドイツの政治家のエゴやプライド、歴史的な背景という「厚いデータ」でした。為替が政治家の面子という人間くさい要素で動くと読んだわけです。

資本の3倍もの資金を投じ、結果として「イングランド銀行を潰した男」として10億ドル以上の利益を上げます。

ソロスの右腕ロバート・ジョンソンのエピソードも忘れがたい。フィンランド通貨の切り下げを読むために、彼は経済モデルではなくヘルシンキの街に出ました。

カフェで人々が酒を飲みながら交わす「本物の会話」から、切り下げが近いと確信したというのです。数字のスクリーンを離れ、人々の不安や諦めのムードを肌で読む。

それが巨額の判断を支えた。

データの権化のような世界で、生身の人間の感情やムードを読む。それが「意味のある違い」を生む。著者がこの章で示したのは、薄いデータと厚いデータは対立するものではなく、掛け合わせるものだという主張の、もっとも鮮烈な証拠でした。

ただし留保もしておきたい。これは「数字を捨てれば勝てる」という話ではありません。マクロ指標を読み切った上で、最後の一押しを厚いデータが決めた——その順序を取り違えると、ただの勘頼みに堕ちてしまいます。

そして、もっと分かりやすく威力を示すのが保険会社の事例です。北欧最大級の生命保険・個人年金企業が、中高年の既存顧客の流出に悩んでいました。毎年顧客の10%が去っていく。著者のチーム(ReDアソシエイツ)は、会議室でのデータ分析をやめ、実際に高齢の顧客とともに時間を過ごしました。

そこで見えたのは、「老い」が顧客にとって実存的な危機だという事実でした。会社が良かれと思って打っていた「老後はパラダイス」という明るい営業は、まったく響いていなかった。

20代には死の実感がないのでメッセージは無駄に流れ、不安を抱える中高年にこそ寄り添うべきだった、という発見です。営業リソースを若者から中高年へ振り向け、若者向けは対面営業をデジタル化して削減する。

この方針転換だけで、2年間で解約率が80%減少しました。グラフをいくら眺めても出てこなかった答えが、顧客のそばに半日座っただけで姿を現したわけです。

似た発見は、ある欧州のスーパーマーケットでもありました。夕方に来店する親は「夕方の慌ただしさ」という気分の中で買い物をしている。店舗は単なる商品の置き場ではなく「料理という劇場の舞台装置」だった。

そこで時間帯ごとに照明や音楽、接客を変え、取り置きやドライブスルーを取り入れたところ、実験店舗の売り上げが大きく伸びました。同じ店でも、客が「どんな気分でそこにいるか」を読み替えるだけで、打ち手がまるごと変わるのです。

「デザイン思考」への痛烈な批判

本書の最も毒のある、そして独自の主張がここです。多くのビジネス書が礼賛する「デザイン思考」を、著者は「でたらめセンセーション」と一刀両断にします。

批判の矛先はIDEOの創業者デイビッド・ケリーに向かいます。「我々はプロセスの専門家であり、歯ブラシでもスペースシャトルでも同じようにデザインできる」という発想。

専門知識を持たず「知らぬが仏」の状態で、付箋にアイデアを貼ってブレインストーミングする。著者に言わせれば、これは社会的な文脈から切り離された浅いアイデアしか生まない。

対象の世界を深く理解していなければ、本当のイノベーションは起きない、という主張です。

賛否は分かれるでしょう。デザイン思考が多くの現場で成果を上げてきたのも事実で、この断罪はいささか乱暴に響きます。それでも、「観察と共感」という看板を掲げながら、実は対象を深く知らないまま付箋を貼っていないか——その問いには、誰しも背筋を正されるはずです。

では創造性はどこから来るのか。著者が持ち出すのが、哲学者パースの「アブダクション」という推論法です。トップダウンの演繹法でも、ボトムアップの帰納法でもない。

雑多なデータを広く集め、そこから浮かび上がるパターンを重ね合わせて、飛躍的な仮説を導く「答え探しの術」です。ありものを混ぜているうちに、ふっと新しい見え方が立ち上がる。

独創性あふれる洞察は「我々自身から」出てくるのではなく、我々が暮らす社会のどこかから「我々を通して」出てくるものだ、と著者は言います。創造は孤独な天才の専売特許ではなく、文脈に深く浸った者に社会の側から訪れる、という見立てです。

だからこそ、すぐに正解を求めず、曖昧な状態に耐える忍耐が要ります。不確かな状態に置かれない限り、新たな理解への道は開かれない。混乱を恐れて早く答えに飛びつく人ほど、創造から遠ざかるわけです。

GPSに従わない「達人」たち

最後の原則「GPSではなく北極星を」を体現するのが、各分野の達人たちです。

ワイン醸造家のキャシー・コリソンは、ナパバレーで最新の科学データやアルゴリズムに頼りません。タンニンの測定数値ではなく、自らの身体感覚と長年の「関心」を頼りに、添加物を一切加えない伝統的なワインを造り続けています。

一方、ワインの構成要素を徹底的に数値化し、専門誌の採点を予測するモデルを売ったエノロジックスは、短期のスコアは最適化できても、永続的に評価される偉大なワインは生み出せませんでした。

関心がなければ「正確さ」がすべてになり、「真実」は失われてしまう——著者はこの差をそう言い表します。

元FBIの交渉人クリス・ボスも同じです。イラクでの誘拐事件で、犯人のビデオが米国向けではなく中東の民衆向けのアピールだと読み取り、人質の父親にメディアで「娘はあなた方の敵ではない」と語らせた。文脈を読む力が、人質を解放に導いたのです。

達人たちに共通するのは、データに答えを出してもらうのではなく、自分の関心と経験でデータを「解釈」していることです。北極星とは、ブレない自分の視点のこと。

GPSは現在地から目的地への最短経路を教えてくれますが、そもそもどこを目指すべきかは教えてくれません。その問いに答えるのは、いつだって人間の側です。

明日から試せること

本書は「明日すぐ使える定量分析の手順書」ではありません。説いているのは、数字の手前にある「人間の見方」を鍛え直す話だからです。それでも、姿勢を行動に落とす入口はいくつもあります。

数字を眺めて手が止まったら、お客さんが実際に商品を使う場所、暮らす場所に半日足を運ぶ。動物園を出てサバンナへ、です。アンケートを集計するときは、数字だけで終わらせず、自由記述や個別インタビューから行動の背景にある一言を拾ってレポートに併記する。

薄いデータに厚いデータを掛け合わせる習慣です。新しい課題に取り組む前には、「うちの業界では当たり前」と思い込んでいる前提を一つ紙に書き出して疑ってみる。

フッサールの「カッコに入れる」を、机の上の小さな作業にするのです。そして行き詰まったら、デスクで悩み続けずにあえて離れる。散歩や全然違う環境に身を置くと、脳の濾過機能が働き、アイデアが「恵み」として降りてくる確率が上がります。

あれもこれもと欲張ると続きません。まずは一つ、現場に身を置くことから始めて、習慣になったら次へ進むくらいでちょうどいい。

読み終えて残るのは、具体的なフレームワークではありませんでした。数字の手前にいる「人間」を、文脈ごと見ようとする姿勢です。会議室のスプレッドシートと、お客さんが本当に暮らす場所。

その間にある距離を、自分の足で埋めにいく覚悟、と言い換えてもいい。著者は本書を「人は、意味をつくり出し、意味を解釈するために存在するのだ」という一文で締めくくります。

データの処理はアルゴリズムに任せればいい。けれど、そこから「何が本当に重要か」という意味を取り出すのは、いまも人間の仕事です。むしろAIが進むほど、その役割は重くなる。

次にダッシュボードの前で手が止まったら、もう一本グラフを増やす前に、一度、現場の空気を吸いに行ってみてほしい。数字が「なぜ」を語り始めるのは、たぶんその瞬間からです。

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『論点を研ぐ』則武譲二 本書が説く「GPSではなく北極星を」と同じく、データに答えを出させるのではなく、解くべき問いを自分で定義する力を扱った一冊です。厚いデータを集める前に「そもそも何を見極めるのか」を研ぎたい人に効きます。

『デザイン思考が世界を変える』ティム・ブラウン 本書がもっとも痛烈に批判した相手、デザイン思考の本家を読むと、議論が立体的になります。両方を並べて初めて、「観察と共感」をどこまで深めるべきかという論点の本当の輪郭が見えてきます。

データを集めるほど、人の心が見えなくなる まさに本書の問題意識をそのままタイトルにしたようなコラムです。薄いデータと厚いデータの話を、もっと身近な日常の場面で確かめたい人の入口になります。


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