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『デザイン思考が世界を変える』ティム・ブラウン氏|「自分はクリエイティブじゃない」という思い込みを壊す本

思考法・問題解決
約5分で読めます

新しい掃除用具を作るとき、まず何から考えますか。

たいていの人は「もっと吸引力の強いモーターを」「コストを下げる素材を」と、技術やお金から発想します。でもこの本が言うのは逆です。出発点は人間。掃除をしている人の手元をじっと観察するところから、すべてが始まります。

著者のティム・ブラウン氏は、世界的なデザインコンサルティング会社IDEOのトップ。デザイン思考という言葉を世に広めた一人です。本書が突きつけてくるのは、デザインとは製品の見た目を美しく整えることではない、という主張でした。それは、人々のニーズに共感し、素早く試作して失敗から学び、イノベーションを生み出すための「考え方」だというのです。

そして、それは専門教育を受けたデザイナーだけのものではありません。「自分はクリエイティブな人間じゃない」と思っている人にこそ、本書は手渡されています。私がこの本を「企画職の自己防衛本」だと感じる理由は、まさにそこにあります。

「外観を整えること」ではない、という入口

著者がまず壊そうとするのが、デザインへの誤解です。

多くの人は、デザイナーの仕事を「完成したアイデアを最後に美しく飾ること」だと考えています。でも本書が求めるのは、その正反対。開発のいちばん上流に入り込んで、アイデアそのものを生み出す役割です。下流の装飾から、上流の戦略へ。この視点の移動だけでも、企画会議での自分の立ち位置がぐらっと変わるはずです。

著者はこれを、論理や分析に偏りすぎない「第三の方法」と呼びます。直感で考え、パターンを見分け、機能だけでなく感情に響く解を生む。そうした、人間が本来持っている力を使うアプローチだというわけです。引用されるハーバート・サイモンの言葉が、その射程をよく表しています。

現在の状態をより好ましいものに変えるべく行為の道筋を考案するものは、だれでもデザイン活動をしている。(本書より)

デザインは特権ではなく、現状をよくしようとするすべての人の活動だ——この一文を受け入れられるかどうかで、本書の読後感は大きく変わると思います。

「アンケートを捨てる」がいちばん効く

本書には印象的な道具立てがいくつも出てきます。着想・発案・実現という3つの空間を行き来する反復プロセス、有用性と技術と経済の3つの制約をあえて引き受ける発想、専門の深さと幅を併せ持つ「T型人間」のチーム論。どれも面白いのですが、ここで全部を並べても消化不良になるだけなので、私がいちばん効くと感じた一点だけ取り上げます。

それは、アンケートやフォーカス・グループへの不信です。人に「何が欲しいですか」と尋ねても、表面的な答えしか返ってこない。なぜなら人は、不便な状況に無意識のうちに適応してしまい、自分のニーズを言葉にできないからです。だから「聞く」のではなく「観察する」。本人すら気づいていない隠れたニーズを、現場の何気ない行動から掘り出す。著者はこれを共感と呼び、学問的な思考とデザイン思考を隔てる決定的な違いだと位置づけます。

象徴的なのが、自転車部品メーカーのシマノの事例です。売上が伸び悩んだとき、IDEOが観察対象に選んだのは熱心な自転車ファンではなく、「自転車に乗らなくなった大人たち」でした。なぜ乗らなくなったのか。その答えから、ある一台の自転車が生まれます——が、それが何で、どう市場を作ったかは本書で確かめてほしい。「使っている人」ではなく「使わなくなった人」を見る、という発想の転換そのものが、この本のいちばんの土産だと思います。

ほかにも、平均層ではなく端にいる「極端な利用者」を観察する手法など、現場で効く視点が続きますが、ここは原著の現場描写ごと味わうのが正解です。

「早く作って、早く失敗する」の凄み

もう一つだけ、紹介したい柱があります。プロトタイピングです。

頭の中で完璧な計画を練る前に、まず形にする。本書の合言葉は「早めの失敗は成功への早道」。プロトタイプは完成品である必要はありません。ポスト・イットの模型でも、絵コンテでも、寸劇でもいい。「両手を使って考える」ための道具だと著者は言います。

ここで衝撃的なのが、ある病院の緊急治療室の改善プロジェクトです。IDEOのメンバーは、患者の不満を聞き取るのではなく、自ら患者になりすまして担架に横たわりました。すると見えてきたのは、言葉では出てこなかった種類の体験です。サービスという「形のないもの」まで、演じることでプロトタイプにしてしまう。この発想の柔らかさに、私は一番しびれました。具体的に何が見えたのかは、ぜひ本文の描写で追体験してください。

本書の射程は、製品から「経験」のデザインへ、さらにインドの眼科病院や途上国の灌漑、社会全体を動かしたキャンペーンへと広がっていきます。アップデート版で加わった章では、AIや循環型経済といった「厄介な問題」にまで議論が伸びる。どこまで本当に世界を変えうるのか——その手応えは、事例の数字を含めて本書で確かめるのがいいと思います。

どんな人に効くか

向いているのは、論理と分析だけでは突破できない壁を感じている企画・開発の人です。過去データを並べた無難な案しか出せない、アンケートを分析しても他社と似た施策に落ち着く、完璧な企画書づくりに時間をかけすぎて前に進まない——こうした手詰まりに、本書は「第三の方法」という抜け道を差し出します。

逆に、すぐ使える手順書だけがほしい人には物足りないかもしれません。著者自身が「本書はハウツー本ではない」と明言しているからです。実技を一段細かく学びたいなら、後述の入門書と併読するのが現実的でしょう。

読み終えて残るのは、手法そのものより一つの姿勢です。技術やお金からではなく、人間から考え始める。完璧を待たず、早く作って早く失敗する。制約を嘆かず、創造の燃料に変える。著者は最後に「今日をプロトタイプと考えよう」と読者を促します。「自分はクリエイティブじゃない」という思い込みは、最後のページを閉じる頃には、少し溶けているはずです。


合わせて読みたい

『実践 スタンフォード式 デザイン思考』ジャスパー・ウ 本書がデザイン思考の思想と社会への射程を描くのに対し、こちらは初学者向けに手順を一段細かく示した入門書です。本書で「ハウツー本ではない」とされた部分の実技を、補って身につけたい人に向いています。

なぜ良いアイデアが生まれないのか──「人間中心」と「前提を疑う」が突破口を開く 本書の核心である「人間中心」を、別の角度から掘り下げたコラムです。アンケートを捨てて観察に立ち返るという本書の主張と、前提を疑う発想がどうつながるかを整理したい人におすすめします。

『非クリエイターのためのクリエイティブ課題解決術』齋藤太郎 「自分はクリエイティブじゃない」という思い込みを壊すという問題意識が、本書とぴたりと重なる一冊です。広告のプロが語る「なんとかする力」を読むと、デザイン思考が特別な才能ではないという主張がより腑に落ちます。


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