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ブクドリ | BOOK DRIP

「論理的に話して」の意味は、相手によって違う

約4分で読めます 思考法・問題解決
目次

「もっと論理的に説明して」と言われたことがある人は、たぶん多いと思います。

そのとき、何が足りなかったのでしょうか。

渡邉雅子さんの『論理的思考とは何か』を読むと、答えは「知性」ではないことが分かります。相手が期待していた順番と、違う順番で並べていただけかもしれません。

本書の主張は明快です。論理的かどうかは普遍的な基準ではなく、社会と文化が共有している型への適合の感覚である、と。

型を変えただけで、評価が三段跳びした

著者自身の留学体験が、この本の出発点になっています。

アメリカの大学に留学した彼女は、自分では完璧だと思える小論文を提出しては、評点不可能として赤ペンで返され続けました。

そこで、アメリカ式の型を意識して、思考の順番を倒立させて書き直します。結論を先に出す形です。

英語が急に上達したわけでも、知識が増えたわけでもありません。それでも評価は三段跳びで良くなりました。

同じことを、応用言語学者のロバート・カプランが世界30カ国以上の留学生の小論文を分析して示しています。英語圏は直線的、東洋は渦を巻くように間接的、セム語圏は平行、ロマンス語圏は余談を交えて紆余曲折。展開の型は言語圏ごとに違いました。

日米の小学生は、同じ漫画を違う形で説明した

本書でいちばん鮮やかなのは、著者自身が行った日米の作文実験です。

夜遅くまでゲームをして寝坊し、バスを間違えて野球の試合に出られなかった少年の1日。この4コマ漫画を見せて、何が起こったかを説明させました。対象は日本の小学6年生144名と、アメリカの小学5年生82名です。

日本の子どもは9割以上が、起こった順に「〜して、〜して」と述べる時系列型で書きました。アメリカの子どもは、3分の1以上が「彼はイライラした一日を過ごした」と結論から入り、その根拠として出来事を並べています。

さらに面白いのが、「主人公ががっかりしている理由」を尋ねたときの答えです。

日本の子どもの6割以上が、ゲームから試合まで全プロセスを最初から繰り返しました。アメリカの子どもは、最後の要因である「試合に出られなかったから」だけを抜き出して、ほかを切り捨てています。

前者は、すべての物事が相互に関係するという縁起の考え方。後者は、最も強い原因を1つ特定する考え方。どちらも理由の説明として成立しています。

私たちが習った「ロジカル・シンキング」は、ローカルな型だった

ここまで来ると、ひとつの疑問が出てきます。では、日本のビジネス書が推奨する「結論から話す」は何なのか。

本書によれば、あのアメリカ型の5パラグラフ・エッセイは、1970年代に大学進学者が激増した時期に考案されたものです。どんな背景の学生でも短時間で書けて、教員が大量の論文を素早く採点できるようにするため。つまり経済効率とコスト削減のための型でした。

普遍的な思考法ではなく、ある目的のために作られたローカルな様式のひとつだということです。

対照的なのがフランスです。バカロレアの哲学試験で書く小論文では、「私」という主語を一度も書いてはいけません。個人の体験を述べることも禁じられています。主観から距離を置いて客観的に熟考することが目的だからです。

「自分の意見を明確に主張しろ」と教わってきた身には、逆に見えます。

深沢真太郎さんの『そもそも「論理的に考える」って何から始めればいいの?』には、「1+1=2」を疑うと2進法の世界では「1+1=10」になる、という例が出てきます。

答えが変わったのは、計算を間違えたからではありません。前提としている枠が違うからです。論理も同じで、どの枠の中で話しているかが共有されていないと、正しさは通じません。

明日からできること

誤解:論理的な話し方には、唯一の正解がある → 本書は論理を4つの領域に分けます。経済、政治、社会、法技術です。アメリカのエッセイは経済の論理、フランスの小論文は政治の論理、日本の感想文は社会の論理、イランの作文は法技術の論理に対応します。

どれが優れているかではなく、目的が違います。

正しいアプローチ:相手が求めているのが結論か、経緯かを先に確かめる → 上司に報告するとき、相手が求めているのが判断材料なら結論から話す。合意形成が目的なら、経緯を共有するほうが機能します。

「論理的じゃない」という指摘を受けたら、自分の思考を疑う前に、相手が期待している順番を1回聞いてみてください。「結論からのほうがいいですか、経緯からのほうがいいですか」。この質問で終わることが、かなりあります。

そして、話が噛み合わない相手がいるとき。相手を非論理的だと判断する前に、その人がどの領域の論理で話しているかを考える。社会学者のハロルド・ガルフィンケルは、人が自分の当たり前を壊されたとき、職業や地位に関係なく強い怒りを示すことを実験で示しています。噛み合わなさは、たいてい怒りの形で表面化します。

おわりに

日本の学校で書かされる感想文は、非論理的な作文の代表のように言われてきました。

本書はそれを、他者の目を通して状況を把握し、互いのズレを微調整する訓練だと位置づけます。外的なルールに頼らずに共同体の秩序を保つための仕組み、という見立てです。

大学入学共通テストの国語で、毎年2割強を占める「登場人物の心情を問う」問題も同じ系譜にあります。自分の感情を排して、描写だけから他者の心を推測する。

私たちが非論理的だと思って捨てようとしていたものは、別の論理でできていました。


この記事で参考にした本

『論理的思考とは何か』渡邉雅子 → 論理を経済、政治、社会、法技術の4領域に分け、各国の作文教育の比較で実証した一冊。「論理的」の基準が文化に依存することを、データで示している。

『そもそも「論理的に考える」って何から始めればいいの?』深沢真太郎 → 論理の主役は数字ではなく構造だという立場から、前提を疑うことの意味を平易に説いた一冊。枠が変われば答えが変わる例が分かりやすい。


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