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『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』山口周|論理が「正解のコモディティ化」を招く時代の処方箋

思考法・問題解決 ✍ 山口周
約6分で読めます

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『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』
目次

海外のグローバル企業が、幹部候補をわざわざ名門の美術学校に送り込んでいる。出勤前のビジネスエリートが、美術館のギャラリートークに足を運んでいる。

それは教養を深めるためではなく、極めて功利的な目的のためだ、と山口周さんは言います。論理や理性だけでは、もう今の世界で戦えなくなっている。だから一見ビジネスから最も遠そうな「美意識」に、世界の知的エリートが投資し始めている。

本書の凄みは、その「なぜ」を精神論ではなく、経営学・脳科学・哲学の言葉で一つずつ証明していくところにあります。私は読みながら、自分が「論理的に正しい」と信じてきたものが、実は差別化を失う最短ルートだったと気づかされました。

図解

こんな人におすすめ

「外部のモノサシ」から「内部のモノサシ」へ

本書を貫く軸を私なりに言い換えると、こうなります。論理・法律・市場調査といった客観的な「外部のモノサシ」だけに頼る時代は終わり、直感・道徳・審美眼という主観的な「内部のモノサシ」を取り戻したリーダーが強い、と。

ここで言う「美意識」とは、絵画の良し悪しが分かることではありません。経営における真・善・美を判断するための、認識のモードそのものを指します。

著者はそれが四つの場面で発揮されると整理します。従業員をワクワクさせる「ビジョン」、自分たちを律する「行動規範」、効果的な「経営戦略」、顧客を魅了する「表現」。つまり美意識とは、デザイン部門だけの話ではなく、経営判断のあらゆる場面に効いてくる力なのです。

ではなぜ今、この内部のモノサシが切実に必要になったのか。著者はそれを三つの社会的背景から説き起こします。

なぜ今、美意識なのか――三つの背景

ひとつ目が「正解のコモディティ化」です。長年、ビジネスでは論理的思考が必須とされてきました。ところが誰もが正しく情報処理できるようになると、皮肉なことが起きます。全員が同じ正解にたどり着いてしまうのです。

正解を出す技術があまねく行き渡ったことによって発生しているのは、多くの人が正解に至る世界における『正解のコモディティ化』という問題です(山口周『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)

論理的に分析するほど、競合と同じ戦略に着地する。正しさが、武器ではなくコモディティに変わる。さらにVUCA(変動・不確実・複雑・曖昧)の世界では、要素が複雑に絡み合いすぎて、論理だけでは「分析麻痺」に陥り、いつまでも決められなくなる。

この一文に、私は背筋が寒くなりました。会議で評価されてきた自分の「ロジカルさ」が、そのまま没個性への道だったかもしれないからです。

ふたつ目が、すべてのビジネスの「ファッション化」です。世界が豊かになりモノが溢れると、消費者の欲求は機能的な便利さから、「自分らしさを表現したい」という自己実現や情緒の価値へ移る。

Appleが愛されるのはスペックだけが理由ではなく、確固たる世界観を提供しているからだ、と著者は見ます。

ここで決定的なのが、デザインやテクノロジーは模倣できても、ストーリーや世界観はコピーできない、という指摘です。技術はすぐ真似される。だからこそ、企業独自の美意識から生まれた世界観こそが、最後に残る競争優位の源泉になる。

三つ目は、ルールの整備がテクノロジーの速度に追いつかない世界です。明文化された法律だけを判断基準にする「実定法主義」に頼ると、「違法ではないから」とグレーゾーンで利益を追い、後からルールができて後出しジャンケンで裁かれる。

Googleが「邪悪になるな」を掲げ、AI企業の買収時に倫理委員会を置いたのは、ルールがない領域で自分の中の美意識を盾にした実践例だと言えます。

アートが、なぜ組織で必ず負けるのか

ここからが私が最も唸った部分です。経営学者ヘンリー・ミンツバーグを引きながら、著者は経営を「アート(直感・ビジョン)」「サイエンス(分析)」「クラフト(実行)」の混合体として捉えます。

理想は、ワクワクするビジョンを生むアートを中央に据え、サイエンスとクラフトが両翼を固める形だ、と。

ところが現実の組織では、アートが必ず負けます。著者はその理由を「アカウンタビリティ(説明責任)の格差」と呼びます。分析や経験は「こういう根拠で」と後から語れるのに、「なんとなく美しいから」という直感は語りにくい。

同じ土俵で戦わせると、説明しやすい側が必ず勝つのです。

そして著者は、説明責任とは天才を否定するシステムでもある、という挑発的な視点を放ちます。言語化できない創造性は、説明責任の名のもとに組織から排除されていく。

さらにサイエンスに偏りすぎた組織は、論理的に確度の高い案件にばかり逃げ込み、新しいビジョンを描けないまま現場へ無理なKPIを課す。やがて現場は疲弊し、モラルの低下と数字の偽装が起きる。

サイエンス偏重が不正の温床になる、というこの論の運びには、近年の企業不祥事を思い出さずにいられませんでした。

優秀な人ほど、なぜシステムに飲まれるのか

本書でもっとも鋭いのは、優秀なエリートほど「悪」に染まりやすい、という第5章の議論だと私は感じました。

達成動機が高く、与えられたシステムに適応して得点を稼ぐのが得意な人ほど、そのシステムそのものの正当性を疑わなくなる。ルールに従うことを「誠実さ」と取り違えてしまうのです。

ここで哲学者ハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」に通じる議論が引かれます。悪とはシステムを無批判に受け入れることだ、と。だから美意識とは、自分が所属するシステムを客観視し、批判的に相対化する力でもある、と位置づけられます。

システムに最適化しながらも、システムへの懐疑を失わない知性。これは凡庸な「正しさ」とはまるで別物です。

直感は危険か――ソマティック・マーカー仮説

「直感で決めるなんて危険では」という当然の反論に、著者は脳科学で答えます。

脳神経学者アントニオ・ダマシオが提唱した「ソマティック・マーカー仮説」。情報に接したときの身体的な感情反応(胸騒ぎや嫌な予感)が、無数の選択肢を事前に絞り込み、意思決定の効率と質を高めるという理論です。

純粋に理性だけの意思決定など、そもそも不可能なのだ、と。チェスや将棋の名人も、まず直感で筋の良い手を思い浮かべ、それを論理で検証している。

つまり著者は「論理を捨てろ」とは一言も言っていません。論理と理性を最大限使っても白黒つかない問題でこそ、直感を駆動させるべきだという、抑制の効いた主張なのです。

美意識はどう鍛えるか

ではどう鍛えるのか。本書は四つの実践を示します。

ひとつは絵画を見ること。ニューヨーク近代美術館が開発したVTS(対話型鑑賞)では、解説を読まず「何が描かれ、これから何が起き、どう感じるか」を言葉にしていく。経験が生んだパターン認識を一度壊し、純粋に「見る力」を取り戻す訓練です。

残り三つは哲学・文学・詩。哲学は過去の哲学者の結論ではなく、彼らが常識をどう疑ったかという「思考のプロセス」を学ぶこと。文学は割り切れない人間の生き方に触れ、自分なりの真・善・美のアンテナを磨くこと。

そして詩は、少ない言葉で豊かなイメージを伝えるメタファーの引き出しを増やすこと。本書には「詩人をマネージャーにしなさい」という印象的な一節もあります。

人を動機づけビジョンへ束ねるのがリーダーの仕事なら、これは決して比喩だけの話ではありません。

私がこの本を勧める理由

この本が一番効くのは、論理を磨いてきた人ほど、だと思います。データで武装し、説明責任を果たし、正しく振る舞ってきた——その優等生的な強さが、いつのまにか自分から世界観を奪っていたのではないか。本書はそこを静かに、しかし容赦なく突いてきます。

逆に、主観や直感を経営に持ち込むこと自体を拒みたい人には、最後まで居心地が悪いはずです。著者は哲学者や脳科学者の議論を地道に積み上げて結論へ向かうので、手順化されたフレームワークだけを求める人にも向きません。

外部のモノサシに頼り切ってきた自分に、内部のモノサシを取り戻す。その第一歩として、本書はとても誠実な道案内をしてくれます。読み終えたあと、次に下す一つの決断の前で、きっと一度立ち止まりたくなるはずです。


合わせて読みたい

『「仕事ができる」とはどういうことか?』楠木建・山口周 同じ山口周さんが、スキルや論理だけでは到達できない「仕事ができる」の正体を語った対談本。本書の「美意識」と地続きのテーマで、論理偏重への違和感を別角度から深められます。

水野学×山口周『世界観をつくる』 「ストーリーや世界観はコピーできない」という本書の核心を、デザインの実務側から掘り下げた一冊。美意識が競争優位になる理由がさらに腹落ちします。

『ハーバードの美意識を磨く授業』ポーリーン・ブラウン AIに奪われないビジネスの「美意識(Aesthetic Intelligence)」を扱った本。山口さんの議論とほぼ同じ問題意識を、海外の最前線から論じており、併読で理解が立体的になります。


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