バズった。話題にもなった。SNSのタイムラインは自社の名前で埋まった。なのに、レジは静かなまま――。
広告やキャンペーンに関わったことがある人なら、この種の徒労感に心当たりがあるはずです。本書が冒頭で紹介するのは、大ヒットしたバズ動画を世に放ちながら、売上にはほとんど跳ね返らず、しかもその動画が数日で忘れ去られて悔しい思いをした、ある洗剤メーカー担当者のエピソードです。
佐藤尚之さんの『ファンベース』は、この「話題になったのに売れない」という現象の正体を突き止め、まったく別の道を指し示す本です。新しい客を追いかけ続けるのをやめて、いまそこにいる「ファン」を土台に据え直そう。提案そのものは驚くほどシンプルで、だからこそ刺さります。

えこひいきこそ正攻法、という発想の転換
ファンベースとは、ファンを大切にし、ファンを土台(ベース)にして、中長期で売上と価値を上げていく考え方です。一見ただの「常連大事に」論に見えますが、本書の射程はもっと広い。
まず「ファン」の定義が独特です。アイドルやスポーツチームに熱狂する人だけを指すのではありません。佐藤さんはファンを「企業やブランド、商品が大切にしている『価値』を支持している人」と定義します。
味、デザイン、企業姿勢、創業者の想い。そのいずれかに静かに共感しているだけの、声高に騒がない人も立派なファンに含まれる。この線引きの広さが、施策の対象を一気に現実的なサイズに変えます。
本書の主張を乱暴に縮めると、こうなります。新規顧客より、いまいるファンをえこひいきしよう。全員に平等に手を伸ばすのではなく、支えてくれている人を優先して報いる。
公平を美徳とする日本の企業文化では、この「えこひいき」という言葉選びそのものが挑発的で、私はここに本書の覚悟を感じました。
2割のファンが8割を支えているという生々しい現実
なぜえこひいきが正しいのか。根拠はパレートの法則です。全顧客の上位約20%が売上の約80%を生む、というあの経験則を、本書は抽象論で終わらせず、具体的な数字で突きつけてきます。
ある有名飲料ブランドでは、たった8%のコアファンが消費量の46%を支え、その下のファン層まで含めると全体の約90%を担っていました。カゴメのトマトジュースでは、上位2.5%のコアファンが全売上の30〜40%を占め、彼らは年間8万円以上を使う。BtoB企業でも、約20%のお得意様が全売上の約80%をつくるケースが挙がります。
業種が変わっても構造は変わりません。少数のファンが大黒柱になっている。だとすれば、やるべきことは明快です。この柱を太らせる――つまり彼らのLTV(ライフタイムバリュー、一人の顧客が生涯にもたらす価値)を上げる。それだけで売上は底堅く伸びる、というのが本書の骨格です。
ここで本書が鳴らす警鐘が効いています。ファンベースの施策でいちばんやりがちな失敗が「全員にファンになってほしい」と望んでしまうこと。万人に好かれようとした瞬間に商品の個性はぼやけ、結局いまのファンまで離れていく。
ファンは多数派ではなく20%の少数派だ――この前提を握り続けられるかどうかが、すべての出発点になります。
新規獲得は、もう物理的に無理ゲーになっている
「常連も大事だが、新規も追うべきでは」という反論は当然出ます。本書はそこに、三つの時代背景で答えます。
ひとつは人口の急減。日本の人口は2008年をピークに、毎年100万人ペースで減っています。千葉市や仙台市クラスの都市が、毎年ひとつ丸ごと消えていく規模です。客の母数そのものが縮む国で、新規獲得だけを追い続けるのは構造的に無理がある、という冷静な指摘です。
ふたつ目は超成熟市場。モノがあふれ、機能的な差(USP)を打ち出してもすぐ模倣され、行き着く先は消耗戦の安売りです。しかも選択肢が多すぎると、人はかえって買わなくなる。
コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授によるジャムの実験は象徴的で、24種類を並べた売り場では3%しか買わなかったのに、6種類に絞ると30%近くが買いました。
選びすぎは人を疲れさせ、財布を閉じさせるのです。
みっつ目は情報過多。世に流れる情報量は2011年時点で「世界中の砂浜の砂粒の数」を超える1.8ゼタバイトに達していたといいます。この砂嵐のなかで、企業発の広告はほとんど届かず、届いても一瞬で忘れられる。
SNSでバズっても、実はSNS総利用時間の82%をわずか22%のヘビーユーザーが消費している。つまりバズは思っているより狭い池の中で起きている、という身も蓋もない事実が突きつけられます。
次のファンは、広告ではなくファンが連れてくる
では新しい客はどこから来るのか。本書の答えは一貫しています。「ファンから」です。
情報が信じられない時代に、唯一強く心を動かすのは、価値観の近い友人――本書はこれを「類友」と呼びます――からの推薦です。エデルマンの調査でも、情報の信頼度は「家族や友人」が63%で群を抜いて高い。
佐藤さん自身、興味のなかったスーパー歌舞伎を、価値観の近い友人がSNSで激賞しているのを見て、一番高い席を買い、ファンになった体験を率直に明かしています。
ここで効くのが、広告で言わせた言葉ではなく、ファン自身の心からの言葉が届く回路です。本書はこれを「オーガニック・リーチ」と呼びます。100人のファンがそれぞれ10人の類友に伝え、それがまた10人へ広がれば、理論上は1万人に届く。
ファンは単なる消費者ではなく、次のファンを生むエンジンなのです。
ただし、ひとつ見落とされがちな盲点があります。ファンは意外なほど自信がない。「この商品を好きな自分ってイケてるのかな」「薦めて笑われないか」と内心ためらっている。
だから企業が「あなたの好きは間違っていない」と背中を押す仕掛けを用意して、はじめて口コミは動き出す。本書がバズを「新規獲得の手段」ではなく「既存ファンに自信を持たせる手段」へと再定義するのは、ここに理由があります。この視点の反転は、広告の目的設計そのものを書き換える力を持っています。
支持を強くする三段、そしてさらに上の三段
ファンを大切にすると言っても、掛け声だけでは現場は動けません。本書は支持を強くする三つの軸を、具体的なアクションへ落とし込みます。
ひとつ目は「共感」を強くすること。価値そのものを上げる工程で、出発点はファンの言葉に耳を傾ける「傾聴」です。ファンミーティングを開き、ファン同士に「どこが好きか」を語り合ってもらう。
すると企業側が想定もしていなかった「愛されている本当の理由(偏愛ポイント)」が浮かび上がる。そして新規より既存ファンを優先して喜ばせることを、意識的に習慣化していきます。
ふたつ目は「愛着」を強くすること。鍵は「モノ」ではなく「コト」です。ただの商品にストーリーやドラマを纏わせると愛着が生まれる。ある居酒屋では、売れなかったおにぎりを「かなちゃんが握った真心おにぎり」と書いただけで毎日売り切れるようになりました。
さらに、店舗・コールセンター・SNSといったあらゆる接点を「真実の瞬間」と捉えて磨く。スカンジナビア航空のヤン・カールソン社長は、1回15秒の接点を徹底的に改善し、傾いた会社を1年でV字回復させました。
みっつ目は「信頼」を強くすること。誠実な企業姿勢を貫くことに尽きます。不祥事はどうせネットですぐ露見する時代だからこそ、隠さず自社サイトで経緯と改善策を公開するほうが、結果として信頼は厚くなる。
ここで本書は「社内=社外」という鋭い命題を置きます。情報がすぐ漏れる透明性の時代、社員が自社を信頼していないのに社外のファンが育つはずがない。
まず社員を最強のファンにすることが、マーケティングの課題になるのです。
そして共感・愛着・信頼が基礎編なら、応用編が「熱狂・無二・応援」です。マツダはロードスターの新車を、メディアより先にファンが自発的に開く「軽井沢ミーティング」で初披露し、ファンを身内として熱狂させました。
カルビーはファンコミュニティ「それいけ!じゃがり校」でコアファンと1年がかりで新フレーバーを共創し、その商品が年間トップ級の売上を記録するようになった。
でんかのヤマグチは大手量販店に囲まれるなか、顧客を3万人から1万人へあえて絞り、電化製品と無関係の雑用まで引き受ける徹底サービスへ転換し、価格が2倍以上でもファンに「応援消費」されて20年連続黒字を達成しました。
コミュニティの鉄則は、中で売り込まないこと。ファンに売る(Sell to the Community)のではなく、ファンを通して外へ売る(Sell Through the Community)。
この一文は、コミュニティ運営の指針として何度も立ち返る価値があります。
効果はNPSで測る、ただし弱点も正直に
ファンベースの効果は、従来のリーチ数では測れません。本書が薦めるのがNPS(ネット・プロモーター・スコア)です。「この商品を友人に強く薦めますか」を0〜10点で聞き、推奨者の割合から批判者の割合を引いて算出する。
売上成長率との相関が高いのが利点です。ファンベース流の見方では、批判者の数に一喜一憂せず、9〜10点をつける「推奨者」の推移と熱狂度にこそ目を凝らすべきだ、とされます。
そして本書は弱点も隠しません。ファンベースは時間がかかる。効果が売上に表れるまで忍耐が要り、四半期の成果を迫る経営陣をどう説得するかという壁が残ります。佐藤さんはこれを前向きに言い換える。時間が「かかる」のではない、じっくり「かけたい」のだ、と。
明日からの一手も明快です。まず自社の購買データで「上位何%の顧客が売上の何%を占めるか」を算出し、パレートの法則が自社にも当てはまることを数字で示して社内を説得する。
次に少人数のファンミーティングを開いて偏愛ポイントを掘り当てる。そして新商品やキャンペーンを、メディアより先に既存ファンへ届け、態度で「あなたは身内です」と示す。
BtoBにも、コンプレックス商材にも応用は効きます。
佐藤さんは、商品が長く安定して売れ続けることを「企業ができる最大の社会貢献」と呼びます。新規を追う焦りから一度離れて、いま支えてくれている人の顔を思い浮かべてみる。次の一手は、たぶんそこから始まります。
合わせて読みたい
『LTVの罠』垣内勇威 本書がファンのLTVを上げて売上を安定させると説くのに対し、こちらは「LTV至上主義」の落とし穴を指摘します。ファンを大切にする前に、その指標の使い方を点検したい人に。
『“未”顧客理解』芹澤連 ファンベースが既存ファンを軸にするのに対し、買っていない人をどう取り込むかを科学します。本書の弱点である「新規をどう広げるか」を別角度から補える一冊です。
『THIS IS MARKETING』セス・ゴーディン 「全員に好かれようとしない」「成長しそうな最小の市場を狙う」という発想は、ファンベースの少数集中とそのまま響き合います。海外マーケティングの視点で同じ核心に触れたい人に。