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『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』みきいちたろう|ケアレスミスは、能力ではなく脳のメモリ不足だった

健康・メンタル ✍ みきいちたろう
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『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』
目次

会議の前になると、指先が震えて止まらない。呼吸を整えても、事前にシミュレーションを重ねても効果がない。

こうした反応を、単なる「本番への弱さ」という性格の話で片づけてよいものだろうか。本書の答えは明確にノーだ。原因は気合いや性格ではなく、扁桃体という脳の部位が過剰な警戒信号を出し続けている、身体側の反応だと本書は説明する。

この生きづらさの正体を神経科学の側から言い当てたのが、みきいちたろうさんの『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』である。原因が判然としないまま抱えてきた不調を、気合いや性格の問題としてではなく、身体のメカニズムとして説明し直す内容だ。

編集部として特に印象に残ったのは、仕事のミスに関する説明だった。ミスが続くのは能力の欠如ではなく、脳の作業領域が別の処理でふさがっているだけだという主張である。

なお、本書が取り上げる不調の範囲はかなり広い。読み進めるうちに、思い当たる項目が複数見つかる読者もいるはずだ。ただし、そこから自分に診断名をあてはめて完結させるのは早計だ。

本書自体、気になる不調が続く場合は精神科や心療内科などの専門機関で相談するよう促している。以下の要約も、その前提のもとで読んでほしい。

図解

「心の傷」ではなく「ストレス障害」と定義し直す

本書はまず、トラウマを「心の傷」という比喩でとらえることに待ったをかける。傷という言葉のままでは、何をどう手当てすれば回復に向かうのかが具体化しないからだ。

代わりに提示されるのが「ストレス障害」という枠組みである。脳や自律神経、内分泌系が慢性的なストレスによって変調をきたした、物理的な状態として位置づけ直す。定義が変われば、睡眠や運動、環境の調整といった手を打てる対象がはっきりする。

トラウマを扱った先行書として、ジュディス・ハーマンさんの『心的外傷と回復』やベッセル・ヴァン・デア・コークさんの『身体はトラウマを記録する』がある。

前者は戦争や監禁のような極限状況を主戦場とし、後者は神経科学の専門知識を要する。本書はその中間に位置を取り、学術的な知見を新書一冊の分量に圧縮したうえで、家庭内の言い争いや親の気分のむらといった、日本の読者にとって身近な場面へと接続している。

専門書に手を出しにくい読者にとって、最初の入り口として設計されている印象を受けた。

複雑性PTSDという診断名が、症状を一本の線でつなぐ

従来のPTSDは、事故や災害のような一度きりの出来事から生じるとされてきた。これに対し、虐待やハラスメントのように反復し長期化するストレスから生じるものを、複雑性PTSDと呼ぶ。提唱者はジュディス・ハーマンさんで、WHOの国際疾病分類ICD-11で正式な診断名として採用された。

本書は、この複雑性PTSDのもとになる子ども時代のストレス体験を「発達性トラウマ」と位置づける。複雑性PTSDでは、フラッシュバックや回避という従来型の症状に加えて、感情の波を制御できない、自分を無価値だと感じやすい、対人関係でつまずきやすいという3つの傾向が重なって現れるとされる。

症状の現れ方は一様ではない。慢性的な緊張や原因不明の身体の痛み、対人関係での過度な恐れ、自己評価の低さ、集中力やケアレスミスといった認知面の不調、そして記憶が飛ぶような時間感覚のずれ。

本書はこれらを個別の病気として並べるのではなく、ひとつの神経系の変調から分岐した枝と見る。この見立てを取るからこそ、回復も症状ごとの対症療法ではなく、後述する一連の手順として組み立てられる。

ケアレスミスの原因を、能力ではなく容量の問題として読み替える

数字が苦手、片付けが進まない、全体像を把握しにくい。この3つは、しばしばADHDの特性として語られる。

本書はここに、もう一つの説明を持ち込む。対人関係のストレスによって扁桃体が過剰に働くと、脳はいわば非常時のモードに切り替わる。そのあいだ、警戒のための処理が裏側で走り続け、目の前の作業に振り向けられる余力が削られていく、という理屈だ。

「パソコンでも、余計なアプリやプログラムによりCPUを圧迫すると動きが重くなりますが、まさにそのような状態です」(みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』より)

裏で走り続けているのは、他者への警戒心と、恥や自責の記憶の再生だという。目の前の仕事とは関係のない処理に脳の容量が奪われているのだとすれば、精神論で気合を入れ直しても効果は薄い。減らすべきは対人関係のストレスそのものだ、というのが本書の立場である。

文部科学省の調査によれば、発達障害を理由とする通級指導の利用件数は、この10年でおよそ4倍に膨らんでいる。児童精神科医の杉山登志郎さんは、不適切な養育によって発達障害と酷似した状態が生じることを「第四の発達障害」と呼んだ。

海外でも「発達性トラウマ障害」という近縁の概念が提唱されている。両者に共通するのは、ストレスが脳の発達を妨げるという経路であり、違いは原因が先天的か、生後の環境に由来するかという一点にある。

この整理は、生まれつきだからと諦めていた不調に、後天的なケアで変化する余地があることを示している。とはいえ、これは自己診断の材料としてよい、という意味ではない。

ADHDと発達性トラウマでは経過も対応も違い、見分けには専門的な評価が要る。思い当たる点があっても、判断はあくまで医療機関に委ねるのが妥当だろう。

「自己が抜け落ちている」という感覚と、社会性過多という逆説

本書がこの生きづらさの説明に使うキーワードが「自己の喪失」だ。傷ついた記憶や感情そのものではなく、行為の主体である自分が、自分の人生から抜け落ちてしまう感覚を指す。著者はこれを、家電量販店に並ぶ展示用スマートフォンにたとえている。

「物理的には動くけれども、自分のIDではログインしていない。自分の身体はあるし、行動はしているけれど、そこに自分がない、自分のものではない」(同書より)

業務はこなせているし、周囲からの評価も悪くない。それでも積み重ねた経験が内側に定着していかず、実績が自信という形に変わっていかない。何年働いても手応えが残らないという感覚の背景に、この状態があると本書は説明する。

結果として、自分なりの判断基準を持てないまま、常に他人の評価軸に頼ることになりやすい。

人付き合いを避ける傾向は、一般に「社会性が足りない」と見なされる。本書はここを裏返し、むしろ社会性が過剰に働きすぎているせいで人とつながれなくなっているのだと説明する。相手の表情や機嫌を先回りして読み取り、場の調和に神経のすべてを使ってしまう。自他の境界があいまいなぶん、相手の領域の責任まで抱え込みやすい。エネルギーが切れると表情が消え、体が動かなくなる。配慮を尽くしているのに周囲から冷たい印象を持たれてしまうのは、この機序で説明がつく。

そのため有効な打ち手も、世間一般のアドバイスとは向きが逆になる。もっと自分をさらけ出そう、心を開こうという助言は、境界線をすでに保てなくなっている人には負担を増やすだけだ。本書がまず勧めるのは、適切に断り、自分の領域を区切り直す練習である。

トラウマを深くする2つの条件と、家庭という不確定要素

ストレス研究の祖とされるハンス・セリエさんの実験では、扱いが乱暴でいつ捕まえられるか予測できない環境に置かれ続けたラットの副腎が膨張し、胃に潰瘍ができていた。

ここから導かれる原則はシンプルだ。生体のストレス対応の仕組みは、数分で終わる短期の危機を想定して作られている。何ヶ月も続くハラスメントは、この設計の想定外にある事態であり、短期用の対処を繰り返し使ううちに、身体のほうが先に音を上げる。

負荷を特に悪化させる条件は2つある。次に何が起きるか予測できないことと、自分の行動で状況を変えられないことだ。この2つが重なる状況ほど、心身への負荷が大きくなるという実験結果がある。

ホームズとレイの社会的再適応評価尺度をもとにした日本のデータでは、直近1年のストレス点数がさほど高くない人でも、およそ4割に精神面の不調リスクが確認されている

大きな事件が起きなくても、日々の積み重ねだけで人は消耗する。

家庭についても、本書は「無条件に安全な場所」という前提を疑ってかかる。機能不全に陥った家庭は、外の世界よりも強いストレス源になりうる。福井大学の友田明美さんらによる画像研究では、体罰を受けた子どもの前頭前野の一部が、平均でおよそ2割縮小していたという結果が示されている。

さらに注目すべきは、直接の体罰よりも、親同士の言い争いを見せられることや日常的な暴言のほうが、脳をより強く萎縮させるという指摘だ。

アメリカの医師ヴィンセント・フェリッティさんが実施した大規模調査(ACE研究)では、子ども時代の逆境体験が多い人ほど、成人後のアルコール依存や自殺未遂のリスクが跳ね上がることが示された。同時に、逆境をまったく経験しなかった人は全体の3分の1程度にとどまるというデータもあり、特別な誰かだけに関わる話ではないこともうかがえる。

職場のハラスメントにも似た構図がある。狙われやすいのは不真面目な人ではなく、まじめで人の役に立ちたいと願う人だ。その健全な願いにつけこみ、理不尽な要求を「指導」の名目で飲み込ませる。

「アットホームな職場」のような家族的な言葉づかいには警戒したほうがいい。役割と対価で関係を定義したほうが、働く人にとってはかえって安全だと本書は指摘する。

回復は5段階、過去をすべて思い出す必要はない

本書が示す回復の道筋は、5つの段階に整理されている。

第一に、環境を調整する。トラウマは過去の記憶だけでなく、いまの環境によっても再生産される。支配的な関係やハラスメントのある職場から距離を取り、利害関係のない人と行き交う場に身を置く。

第二に、自律神経を含めた身体を整える。トリプトファンを含む食品を朝にとり、睡眠を通じてホルモンバランスを整え、有酸素運動で扁桃体の興奮を鎮める。

うつ病の患者を10ヶ月追跡した調査では、運動を続けた群のおよそ9割が回復を維持した一方、薬物療法だけの群は半数程度にとどまり、4割近くが再発したという結果が紹介されている。

第三に、自分なりの判断基準を立て直し、第四に、記憶や経験を整理していく。ここで本書が繰り返し念を押すのは、忌まわしい過去を正確に思い出す必要はないという点だ。

無理に掘り起こそうとすると、事実とは異なる記憶を作ってしまう危険がある。頭の中で自分を責め続ける声も、多くはかつて他人から向けられた言葉が居座っているだけであって、いまの自分の本心とは限らない。

第五に、他者や社会とのつながりを結び直す。ここでも、いきなり深い親密さを目指す必要はない。役割と境界線がはっきりした関係から始めればよい。愛着研究者のエドワード・トロニックさんの観察によれば、良好な親子関係であっても、感情の同調が取れているのは3割程度にすぎなかった。

残り7割はズレたままだという。完全にわかり合えなくても関係は成立するという事実は、対人関係への不安を和らげる材料になる。

本書が今日からの一歩として挙げる行動も具体的だ。1日5分、主語を「私は」に置き換えて独り言を言い、他人基準に乗っ取られていた思考を自分のものに引き戻す。

「〜すべき」という自分ルールを紙に書き出し、一つひとつ「本当にそうか」と問い直す。そして週3回、30分ほど歩き、朝にトリプトファンを含む食品をとる。

どれも、頭で考えるより先に、身体の状態から手をつける手順である。

冒頭で触れた、会議前に震える指先も、性格の欠陥ではなく神経系の誤作動として説明がつく。ただし、その説明を自分でADHDや複雑性PTSDという診断名に変換して終わらせるのは、本書の狙いとは違う方向だ。気になる不調が続くようなら、まず専門機関に相談したうえで、今夜の睡眠時間を少し確保することや、明日の短い散歩から始めてみてほしい。


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