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『仕事で必要な「本当のコミュニケーション能力」はどう身につければいいのか?』安達裕哉|「話し上手」が評価されない本当の理由

コミュニケーション・文章術 ✍ 安達裕哉
約7分で読めます

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『仕事で必要な「本当のコミュニケーション能力」はどう身につければいいのか?』
目次

飲み会では場を盛り上げられるのに、仕事の会議になると発言が響かない。理屈は正しいはずなのに、相手が思うように動いてくれない。多くの働き手が一度は味わうこのねじれを、コンサルタントの安達裕哉さんは「コミュニケーション能力」という言葉そのものの誤解から解きほぐしていく。

私たちはこの言葉を、たいてい「話し上手」や「人あたりの良さ」と同義で使っている。しかし著者は、企業が本当に評価しているのはそのどちらでもないと言い切る。

1000社以上を訪ね、8000人以上と協働してきた経験から導かれた定義はこうだ。コミュニケーション能力とは、相手が何を求めているかを読み取り、自分の成果物を他者に使ってもらうための力である。

この再定義を軸に据えると、職場で起きるすれ違いの多くが一本の線でつながって見えてくる。なお本書はブログ「Books&Apps」のコラムを加筆した構成で、章立ての整った理論書ではない。

体系を期待すると肩透かしを食らうが、どこから読んでも膝を打つ具体例に出会えるのが持ち味だと、あらかじめ断っておきたい。

図解

コミュニケーション能力の正体は「気が利く」こと

著者が最初に壊すのは、「コミュニケーション能力=話がうまい」という思い込みだ。企業から高く評価される人材を観察して浮かび上がった共通点は、弁の立つことでも場を明るくすることでもなく、「気が利くかどうか」だったという。

たとえば「サイトのデザインをもっと良くしてほしい」という漠然とした依頼。評価の低い人は「どこから手をつければいいか分かりません」と指示を待つ。

評価の高い人は「なぜ良くしたいのか」「今どこが使いにくいのか」と、相手の意図を先回りして掘り下げていく。ここで見落としてはならないのは、著者が「気が利く」を生まれつきの性格ではなく、相手の要求を想像するという再現可能な技術として語っている点だ。

コミュニケーション能力を才能ではなく訓練で伸ばせるスキルとして捉え直すこと、それ自体が本書全体を貫く希望になっている。

もう一つの柱が「自分のアウトプットを誰かに利用してもらう力」である。作った資料やプログラムを、他者が誤解なく使える形に整えて手渡す。この地味な配慮こそ、分業で動く現代の仕事では決定的になる。

裏を返せば、どれだけ質の高い成果物も、受け手が使えなければ存在しないのと同じだということだ。

「伝えた」は「伝わった」ではない

正しいことを言えば人は動く——本書はこの素朴な信念をはっきり否定する。著者は伝わらない理由を三つに整理する。人は自分が見たいものしか見ないこと。

論理だけでは動かず、感情が揺れて初めて伝わること。そして「何を言われたか」より「誰に言われたか」を重んじること。だから自分が言って届かないなら、権威ある人や専門家に代弁してもらう工夫すら有効だという。

潔いほど身も蓋もないが、現場感覚には合っている。

会話を成り立たせる前提として著者が挙げるのが「手加減」だ。相手の知識レベルに合わせて前提を共有し、専門用語をかみ砕く配慮である。機械に不慣れな初老の夫婦が、Apple Storeのスタッフに「なんでそんなに上から目線なんだ」と怒った例が印象的だ。

悪気なくいつも通り話しているだけでも、知識の落差が大きすぎれば相手は見下されたと感じてしまう。伝える側の善意は、伝わることの保証にはまったくならない。

この延長で著者が警告するのが、日本の職場に根強い「察し」の文化だ。「言わなくても分かるだろう」という期待を、著者は自動車の「だろう運転」になぞらえる。

相手は察してくれず、裏切られた期待はやがて「なぜ分かってくれないのか」という不満へ、さらには憎しみへと変わっていく。正社員も契約社員も業務委託も混在する現場では、暗黙の共通認識はもう機能しない。

「伝わっているかもしれないが、伝わっていないかもしれない」と絶えず疑い、確認を怠らない姿勢こそが、すれ違いを防ぐほとんど唯一の現実解である。

なぜ現代の企業がこの能力を最重視するのか

コミュニケーション能力が「思いやり」から「必須のビジネススキル」へ格上げされた背景を、著者は知識労働の構造に求める。専門知識が細かく分化した結果、一人で完結できる仕事はほとんど残っていない。

ここで理解の土台になるのが、著者も引くドラッカーの言葉だ。専門家にとってコミュニケーションは問題であり、「自らのアウトプットが他の者のインプットにならないかぎり、成果はあがらない」。

どれほど優秀でも、成果物を他者が使える形にして渡せなければ、貢献はゼロに切り下げられてしまう。

数字も変化を裏づける。かつて企業が求める能力の上位に顔を出さなかったコミュニケーション能力は、近年の調査で長く最上位を占め、採用選考で重視する企業は9割近くに達する。

学校の成績は一人で勉強すれば上げられるが、仕事の貢献は他者に認められて初めて成立する——この評価軸の違いが、他者を巻き込む力を必須にした。象徴的な例として、スタンフォード大学のターマン教授が高IQの1400人を追跡してもずば抜けた成功者はほとんど出なかった、という調査が引かれる。

知能は、それを売り込む力がなければ成果に変わらない。ここは相関の解釈に議論の余地も残るが、主張の向きそのものは腑に落ちる。

聞き方・相談・質問が、評価を静かに分ける

第3章以降、話は日常の実践へと降りていく。まず著者は、話を聞くときの態度を四つに分ける。相手の欠点を探す「否定してやろう」、親切に見えて依存を生む「解決してやろう」、余計な口を挟まない「ただ聞くだけ」、そして相手から学ぼうとする「自分の中に取り込もう」。

真の聞き上手は最後の姿勢を持つ。相談者の多くが本当に欲しいのは解決策ではなく、自分の考えを整理する相手だからだ。知識をひけらかすより「知らないふり」をして語らせるほうが真意を引き出せる、という逆説も鋭い。

相づちのテクニック論ではなく、相手への敬意という人格の問題に踏み込んでいるのが本書らしい。

著者は「相談」のハードルも大胆に下げる。課題が明確になってから相談すべき、という常識を覆し、モヤモヤした段階でとりあえず口に出してみるのが相談だと言う。仕事を一人で抱え込みがちな人ほど、この定義変更で肩の荷が下りるはずだ。

質問については、評価を上げる問い方と下げる問い方を切り分ける。丸投げの「どうすればいいですか?」を、著者は主体性のない受け身の象徴として退ける。

代わりに、自分の仮説を添える、目的を告げる、知りたい範囲を絞る、教わった内容を自分の言葉で確認する、同じことを二度聞かない——この五つが信頼をつくる。

Googleの新人研修でも「とにかく質問しろ」と教わるが、それは丸投げではなく、自分の理解を確かめるための質問を指している。

依頼とアドバイスの品質は「渡し方」で決まる

第4章は、より具体的な技術に入る。まず会話には三つのモードがあるという。互いに意見を出し合う「議論モード」(発言はおよそ5対5)、聞き役に徹する「共感モード」(2対8)、情報を発信する「提供モード」(8対2)。

共感を求めている相手に解決策を並べ立てるすれ違いは、このモードの読み違いから生まれる。今どのモードなのかを一拍おいて意識するだけで、会話の失敗はかなり減る。

アドバイスも同じ発想だ。理想は相手が9割、自分が1割話す配分だという。まず聞いてほしいだけか解決したいのかを見極め、すでに試したことを聞き出し、うまくいかなかった原因は本人に考えさせる。

そして自分の意見は直接ぶつけず、「他者の事例」に変換して渡す。「こういうケースでこうした人がいたよ」と語れば、相手は責められたと感じずに自分の意思で選び取れる。

著者が最も強く戒めるのが「あなたのためを思って」という常套句で、これを相手を傷つけることの自己正当化に使われる免罪符だと断じる。この一刀両断には、思い当たる読者も多いだろう。

部下に頼んでも期待通りの成果が返ってこない——その原因も、著者は頼む側に引き寄せる。「品質管理を相手に委ねる」のが最悪の頼み方だ。トヨタの「品質は上流の設計でつくり込む。

検査では品質は向上しない」という思想を引き、成果物を見てからの後出しのダメ出しは「検査」にすぎないと指摘する。依頼の最初に、どの形式で・どの粒度で・どの範囲で作るかを合意しておくこと。

ただし手順や進め方まで細かく縛ると効率が落ちるので、やり方は相手に任せる。この線引きは実務的で、頼み方に悩む人には具体的な指針になる。人間関係についても、衝突のない付き合いはむしろ脆く、ぶつかることを前提に理解し合おうとする関係こそ強い、と通念をひっくり返してみせる。

成果は「知的能力×コミュニケーション能力」という結論

最終章の結論は明快だ。成果は知的能力とコミュニケーション能力の掛け算で決まる。足し算ではなく掛け算だから、後者がゼロに近ければ、どれほど頭が良くても成果はゼロに落ちる。厄介なのは、当人が「コミュ力が低いのは周りのほうだ」と無自覚なまま、静かに孤立していくことだ。

リーダーシップも、役職や人を動かした経験ではなく、「成果への責任をどこまで積極的に引き受けようとするか」という態度の問題として定義し直される。

加えて人を束ねるには、わかりやすく魅力的な物語を語る力が要る。ハラリが『サピエンス全史』で描いたように、共有された物語こそが多数の人間を一つの方向へ動かしてきたからだ。

そして本書の核心を、著者はこう言い切る。「コミュニケーション能力の本質は、自分自身を俯瞰する能力である」。自分の言葉が相手にどう届くか、自分の常識がどこまで通用するか、自分が正しいと思っていることは本当に正しいのか。

一歩引いて自分を観察する力こそが、その正体だという。話し上手になる必要はない。誰かに何かを頼むとき、あるいは聞くとき、「まだ伝わっていないかもしれない」と一度だけ立ち止まってみる。

その小さな自己点検を淡々と繰り返すことこそが、本書の言う「本当のコミュニケーション能力」へのもっとも確かな近道である。


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