きれいな資料を一生懸命つくったのに、上司の赤ペンが止まらない。色を直し、フォントを揃え、グラフの軸を整え、それでも返ってくるのは「で、結局なにが言いたいの?」
の一言。直しても直しても終わらず、やがて「正解がどこにあるのか」さえ見えなくなる。心当たりのある人は、たぶん少なくないはずだ。
榊巻亮さんの『世界で一番やさしい 資料作りの教科書』は、その消耗の原因を「見栄え」ではなく「伝えたいことの不在」だと断じる。配色のコツもレイアウトのテンプレも、この本はほとんど教えない。代わりに、資料・メール・会議・プレゼンまでを一本で貫く「伝える技術」そのものを扱う。
入社4年目の鈴川葵が、コンサルタントの父に助けられながら仕事を覚えていく小説仕立てなので、抽象論にならず、自分の職場の風景を重ねながら読めるのも親切なところだ。

こんな人におすすめ
- 資料を出すたびに「ここ直して」と赤入れされ、なにが正解か分からず疲れている人。本書はその赤入れの多くが本質を外していると指摘する。
- きれいな図やグラフは作れるのに、「で、何が言いたいの?」と返されてしまう人。主張を置くべき場所がはっきりする。
- 「資料を転送するので確認お願いします」式の曖昧なやり取りで、毎回すれ違っている人。頼み方と受け方の型が手に入る。
主役は「キーメッセージ」、図表はぜんぶ脇役
本書の出発点は拍子抜けするほどシンプルだ。資料の役割は「なにかを伝えること」であって、見ためが多少わるくても伝わればいい。極端にいえば、口頭やメモで伝わるなら資料など作らなくていい、とまで言い切る。
タイトルの「世界で一番やさしい」は、難しいテクニックを足すのではなく、むしろ余計なものを引いていく方向のやさしさなのだと、読み進めるうちに分かってくる。
だから主役は「キーメッセージ」。その資料で一番伝えたい一行のことだ。これをスライドの最上部、一番目立つ場所に置くのが鉄則で、図や表はそれを補強する脇役にすぎない。
書き方にもコツがある。「リリーススケジュール」のような体言止めではなく、「6月にサービスをリリースするスケジュールです」と口語体で言い切る。
体言止めは一見スマートだが、受け手に「で、それがどうした?」の解釈作業を押しつける。口語にした瞬間、書き手の意図がそのまま相手に渡る——この小さな差は、実務で効いてくる。
葵も最初は、頼まれた業務プロセスの資料を意図を確かめないまま見栄えだけ直して提出し、何度もダメ出しを食らう。ところが「新しい業務フローでリードタイム2日を実現したい」というキーメッセージを最上部に置いた途端、課長から一発OKが出る。
脇役である図表は、その主張を裏づけるために選ぶ。解約率を語りたいなら、オプション利用なし25%・あり10%・他社30%という数字を並べてメッセージを支える、という具合だ。
数字は主張のためにあるのであって、数字を並べること自体が目的ではない。
キーメッセージがない資料は、そこら辺にある物体と同じになってしまうんだ
曖昧な指示は「仮説の質問」で引き出す
とはいえ現実の上司の指示は、たいてい曖昧だ。「とりあえず資料にまとめといて」と言われても、本人の頭の中でも伝えたいことが固まっていないことすらある。ここで「で、何を伝えたいんですか?」と正面から聞くと、相手は答えに詰まるか不機嫌になる。
本書のうまさは、質問を「仮説の確認」にすり替える点にある。①これは○○さんに見せる資料ですよね(ターゲット)、②結局この資料で○○が伝えたいんですよね(核心)、③その結果、相手に○○と言ってもらえればいいんですよね(ゴール)。
自分の読みをぶつけられると、相手は「いや、そうじゃなくて」と修正しやすい。空欄を埋めさせるより、たたき台を否定させるほうが人は動く——交渉やヒアリングにも通じる普遍的なコツだと思う。
この姿勢の根っこには「作業と仕事の違い」がある。言われたままこなすのは作業、自分から意図を引き出して相手が本当に欲しいものへ近づけるのが仕事だ、と著者は線を引く。
上司に言われたことだけを粛々とやるのは仕事ではない。それはただの作業だ。
PCを開く前に、勝負はついている
資料を頼まれると、反射的にPowerPointやExcelを立ち上げてしまう。本書はこれを「絶対に避けるべき」と戒める。構成が決まる前に画面に向かうと、文字サイズや色やレイアウトに意識が吸い寄せられ、肝心の「なにを伝えるか」が後回しになるからだ。
これは私自身も身に覚えがある。きれいなスライドができていくほど、中身が薄いことに気づきにくくなる。手を動かしている充実感が、思考停止の言い訳になってしまうのだ。
だからまず紙とペン。頭の中身を箇条書きで一気に出す「発散」から始め、伝えたいことを整理し、ストーリーの流れを手書きのラフで固める。電子化に入るのはそのあと。
必要なのはデザインの技術ではなく、熱い思いと国語だというのが本書の立場で、この順番を守るだけで手戻りは劇的に減る。
資料を超えて——「良い依頼」の3条件
ここから本書は資料の枠を飛び出す。資料もメールも口頭も、すべて「伝える」手段だから押さえどころは同じ、という発想だ。良い依頼の条件は三つ。①動作が明確(どう体を動かせばいいかイメージできる)、②期限が明確(いつまでに、どれくらいの工数で)、③目的と背景が明確(なぜ必要かを自分の言葉で語れる)。
「資料のコピーよろしく」では足りない。「会議でお客様に渡したいから、12〜14ページを2部、明朝までにコピーして」まで言えば、頼まれた側は迷わない。
実際、葵は「コピーよろしく」だけを真に受けて、相手が欲しかったインタビュー記事ではなく価格表をコピーしてやり直しになる。面白いのは、これが家庭でも効くこと。
「バナナ買ってきて」に父が目的・期限・本数を確認すると、本当はお菓子作りに使うこと、アルミホイルも要ること、本数まで、抜けていた情報が次々埋まっていく。
三つの中で著者が最重視するのが「目的と背景」だ。目的を共有された人は、ただの作業者から自分で考える人へ変わる。この一点が本書の思想の核だと感じる。
人間は本来、自分がすることには納得したいし、自分の意思で動きたい生き物なんだ
頼まれたら反射的に「はい」と言う前に、目的・動作・期限を確認する。最初の30秒の手間が、あとの膨大な手戻りを消す。これは口頭に限らず、「転送しますので確認お願いします」式の曖昧メールにもそのまま当てはまる。媒体が変わっても押さえる三条件は変わらない。
会話と複数枚資料に同じ原則を通す
会議や日常会話には「3つのお作法」がある。①発言に見出しをつける(「質問です」「相談です」と先に宣言する)、②質問にストレートに答える(言い訳から入らない)、③最後まで言い切る(語尾を濁さない)。
見出しの効果は相手に聞く態勢を作らせること。世間の「結論から話せ」に対し、本書は結論が出ていなくても「まだ答えは出ていませんが聞いてもらえますか」と頭出しすればいい、と一歩柔らかく構える。
相手の語尾が消えたら拾って続きを促し、質問のあとは心の中で8秒待つ——沈黙を埋めず、考える時間を相手に渡す姿勢も印象に残る。
複数枚のプレゼン資料になると「伝えたいこと」だけでは足りず、主張(自分が伝えたいこと)と要望(相手にどうしてほしいか)をセットで設計する。要望はさらに行動・状態・感情のどの変化を狙うかで考えると組み立てがぶれない。
手順は「資料作りの7つのStep」——発散→主張と要望→相手の状態→シナリオ→ラフスケッチ→電子化→レビュー。ここでもPCを開くのは6番目だ。
レビューは上司の側にも責任があり、てにをやデザインの趣味的指摘ではなく「誤解なく伝わるか」だけを見る。必須と趣味を切り分けることが、部下の工数を守る。
プレゼンは流暢さでなく「腹落ち」で決まる
最終章では思い込みが次々ひっくり返る。「あー」「えーっと」のヒゲをなくそうと小手先を意識するほど不自然になる。伝えたいことが自分の中で腹落ちしていれば、ヒゲは自然に消える——だから資料を朗読せず、自分の言葉で語れ、と本書は説く。
流暢さや過剰にへりくだった言葉づかいは、むしろ「伝わることより体裁を気にしている証拠」。聞き手が求めているのは体裁ではなく、伝わる話だ。
そして全体を貫くのが、知っていることとできることの間の大きな溝。学んだら翌日の会議で一つ試す。本書のメソッドは、そうやって体に入れていくものだ。
明日なにか資料を頼まれたら、PCを開く前にノートへ一行だけ書いてみてほしい。「この資料で一番伝えたいことは何か」。本書のすべては、その一行から始まる。
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