わからないことがあれば、すぐスマホで検索する。とても便利な時代になりました。けれど、その検索を「考えること」だと、いつのまにか取り違えてはいないでしょうか。
答えらしきものを見つけて安心したとき、私たちは本当に自分の頭を使っているのか。本書はその素朴な問いに、真正面から斬り込んできます。
著者の伊藤真さんは、司法試験の受験指導校「伊藤塾」を30年前に開いた塾長です。法律をまったく知らない人に、40年以上にわたって考え方そのものを教え続けてきた人物。
その伊藤さんが、法律家が培ってきた思考の技術を、昼食選びやニュースの読み方、家族との交渉といった日常レベルまで噛み砕いて差し出してくれるのが、この『考える練習』という一冊です。
タイトルが「考える力」ではなく「考える練習」であることに、私はまず惹かれました。考える力は生まれ持った才能ではなく、誰でも訓練して身につけられる技術だ──著者はそう言い切ります。
だからこそ「練習」なのだ、と。検索ばかりで自分の頭が錆びついた気がする人ほど、この出発点に背中を押されるはずです。

こんな人におすすめ
特に刺さるのは、こんな状態に心当たりがある人です。
- 「自分で考えろ」と言われても、具体的に何をどうすればいいかわからない
- 課題を出されると、まずネットで似た事例を探し回ってしまう
- ネットで正解らしきものを見つけると、それだけで満足してしまいがち
- 考えすぎて堂々巡りになり、いつまでも決断ができず立ち止まる
- 説明すると「で、なんでそうなるの?」と返されて言葉に詰まる
逆に、すぐ使える高度なビジネスフレームワークやデータ分析の手法を求めている人には、物足りないかもしれません。本書が扱うのは、もっと手前にある「考えるとはそもそも何か」という土台のほうだからです。難しいロジカルシンキング本で一度挫折した人にこそ、ちょうどいい入り口になります。
検索と思考は、まったくの別物
本書がまず壊しにかかるのは、「考える」という言葉への思い込みです。文献やネットを探し、答えらしきものを見つけて「正解だ」と喜ぶ。それは便利な作業ではあるけれど、思考そのものではない。著者はそこをきっぱり切り分けます。
検索するのは、「考える」ことじゃない
ロースクールの学生が陥りがちなのが、まさにこれだといいます。図書館やネットで判例を探し回り、答えを見つけて安心する。でもそれは「探す訓練」であって「考える訓練」ではない。
耳が痛い指摘です。私たちの多くも、検索結果の上位を読んで「わかった」と錯覚し、そこで思考を止めているのではないでしょうか。
では、考えるとは何か。著者の定義はシンプルです。未知の問題に対して、集めた情報の中にはない答えを、自分の意思でゴールに向かって積み重ねながらつくり出すこと。人生には、検索しても出てこない問いがあふれています。
災害、トラブル、人間関係。唯一の正解などない場面で、自分なりの答えを立て、それを「事実」と「論理」と「言葉」で他者に説得する。これが法律家の技術であり、本書の言う「考える力」の中身です。
著者は、インターネットやAIで膨大な知識にアクセスできる今だからこそ、知識をたくさん持っていること自体はもうアドバンテージにならない、とも書いています。検索して満足してしまう現代人への、静かな警鐘です。
心を「ざわつかせる」ことから始める
考える第一歩は、意外なところにあります。心をざわつかせることです。
たとえば新聞を二紙以上、立場の違うものを読み比べてみる。意見が食い違うと、心が落ち着かなくなります。著者はその居心地の悪さを、むしろ歓迎します。
「心がざわつくこと」が、考えることを始めるきっかけになるからだ。
このざわつきが、「当たり前」だと思っていた前提への疑問を生み、その疑問こそが思考のスタート地点になる。居心地のいい場所、同じ意見ばかりが流れてくる空間にいては、練習になりません。これは新聞に限らず、SNSのタイムラインにもそのまま刺さる忠告です。
著者は「あれっ?」を意図的につくる荒療治も紹介します。伊藤塾の塾生に「合格なんか考えるな、合格後を考えろ」とあえて極端なことを言う。すると塾生は引っかかり、本質を考え始める。
自分の意見をキャッチコピーのように極端に言い切ってみると、隠れていた本質が浮かび上がってくる、というわけです。
ここから思考を広げる方法として示されるのが、横展開と縦展開です。横展開は関係性に目を向けること。日本の鉄道のレール幅が狭軌で世界標準と違うと知ったら、なぜ違うのかと歴史や政治の背景へ視野を広げていく。
縦展開はひとつの対象をとことん深掘りすること。ある商品の栄養表示から、誰がどんな悩みで買うのかまで突き詰めていく。広げると深める、その両方が考えるという行為を立体的にします。
「なぜ?」を三回、具体と抽象を行き来する
深く考えるための代表的な道具が、「なぜ?」の三連打です。表面的な理由で満足せず、最低三回は「なぜ?」と問い直す。著者の例がわかりやすい。「人を殺すと処罰される」→なぜ?
→「法律で決まっているから」→なぜ?→「人の命を奪うのは悪いことだから」→なぜ?。こう掘り下げていくと、弾が外れた殺人未遂でもなぜ処罰されるのか、といった本質にたどり着きます。
重いテーマを例にしながら、読者の思考を一段ずつ引き上げていく手つきが見事で、思わず一緒に考え込んでしまいました。
この「なぜ」の達人として挙げられるのが、子どもとソクラテスです。ソクラテスは相手に問い続け、答えに詰まらせることで「自分はわかっていなかった」と気づかせた。著者は、コメディアンの萩本欽一さんが番組で「なんでそうなるの」とつっこむのも、論理的に考えるきっかけだと言います。
もうひとつの軸が、具体と抽象の往復です。
「具体的」な経験から「抽象的」な法則やルールが抽出できないと、同じ失敗をくり返すことになる。
著者自身の失敗が引かれています。屋外講演で日焼け止めを持参せず、スタッフに確認もしなかった。この具体的な失敗から「勝手な思い込みで判断せず相手に確認する」という抽象的なルールを取り出し、別の場面でまた使う。
この行き来ができないと、人は同じ失敗を延々と繰り返す。失敗を一度きりの不運で終わらせるか、次に生きる教訓に変えるかは、この抽象化の一手にかかっています。
ちなみに著者は「分析」も独自に定義しており、共通点と相違点を見つけて類型化することだとしています。漠然とした言葉が、急に手を動かせる行動に変わる定義です。
論理は、論破ではなく他者への優しさ
本書の核にあるのは、「論理的に考える」とは独りよがりを抜け出すことだ、という視点です。
論理的に考えるとは「目的を持って、一定の結論を根拠とともに導くこと」
逆に「論理的でない」とは、根拠づけをすっ飛ばして結論だけ言うこと。だから相手には、なぜそうなったのかが伝わりません。そのための枠組みとして、法律家の思考法「IRAC」が紹介されます。
Issue(課題)、Rule(ルール)、Application(あてはめ)、Conclusion(結論)の頭文字。たとえば「ある商品を売りたい」という課題に対し、「都心部で売れていない」という現状を置き、「店舗での配置が間違っている」とあてはめ、「都心部への営業を強化する」と結論する。
この順序で話すだけで、説得力が驚くほど増します。著者はこの型を、家族とのお小遣い交渉にまで当てはめてみせる。お堅い法律家の道具が台所の交渉術に変身する遊び心が、本書の魅力です。
そして本書がいちばん独特なのが、論理をどう捉えるかという姿勢です。
自分と他人は違うのだから、伝わらなくてあたり前。説明しないと、伝わらない。そういう前提で考えたほうがいい。
論理は、相手を言い負かす武器ではない。前提も文化も違う他者と歩み寄り、共有できる「物差し(根拠)」を見つけるための優しさの表現だ、と著者は言います。
だから「あたり前」「当然」という言葉は禁句にする。その一言を口にした瞬間、思考も対話も止まってしまうからです。共通の了解はない、という前提に立って丁寧に説明する。
この地味な習慣こそが、前提を疑う力を育てます。論理を冷たい技術ではなく温かい姿勢として描いたここは、本書でもっとも印象に残る部分でした。
集中する力と、「考えるのをやめる力」
思考の精度を上げるには集中力が要ります。著者の処方は、優先順位をつけて他を切り捨てる勇気。たくさんの課題を同時にこなそうとせず、目標を一点に絞り、他は一時的にわきに置く。
制限時間とノルマを課すと脳の回転数も上がる、という現実的なアドバイスも添えられます。一人で静かにいるより、人に話したりアウトプットしたりするほうが、かえって考えが深まるという指摘も面白い。
そして本書がもっとも実践的なのが、ここです。考えるのをやめる力。
「ベストな結論でなくても、多少ましな結論でいい」と思って、いったん決めることが大事である。
完璧を求めて決断できなくなるくらいなら、いったんマシな結論を出して行動に移す。必死に考えた末の決断なら、たとえ間違っても次に活きる。これは単なる開き直りではありません。
出した結論を検証し、次の素材に使うために、戦略的に思考を止める。決断して、行動して、結果から学び、また考える。考える力と考えるのをやめる力、この両輪が本書の核心です。
どうしても結論が出ないときは一晩寝かせるのも有効だ、と著者は付け加えます。「ひらめき」についての見方も地に足がついていて、名案は無から降ってくるのではなく、膨大な知の集積と考え続ける強い思いが結びついたときに初めて訪れる、と。
安易な天才論への静かな反論になっています。
鳥の目と虫の目で、想像力を広げる
最後のテーマは、想像力の拡張です。年をとると頭が固くなるとよく言われますが、著者はそれを否定します。固くなるのは年齢のせいではなく、自分の過去の経験や先入観という「枠」に勝手に縛られているからだ、と。
その枠を外す技術が、視点を動かすこと。全体を俯瞰する鳥の目と、細部にズームする虫の目を自在に切り替える。高い場所に登る、地図をさかさまに見る、日本中心の世界地図をひっくり返す。
物理的に視点をずらすだけで、見慣れた風景がまったく違って見えてきます。時間軸を動かす方法もあり、今すぐ解けない問題は無理に白黒つけず「解決の棚上げ」をする。
人間は成長するという前提に立って、双方が育った段階で解決を委ねる。これもただの先送りとは違う、立派な選択肢だといいます。
世の中におもしろくないものなどない。自分に楽しめる度量があるかないかにすぎないと思っている。
どんな些細なことにも関心を持てば、日常のすべてが考える練習の場になる。著者の根っこにあるのは、この姿勢です。考える練習ができる人が増えるほど、社会の幸せの総量も増えていく──終盤に置かれたこの一文に、本書の温度がにじみます。
明日から始める4つのアクション
本書の教えを生活に落とすなら、この4つが現実的です。
- 日常の選択に「理由を3つ」つける。今日のランチ、買う服、出したい企画。「なぜこれを選んだか」を必ず3つ言語化する。説得力と多角的な見方が同時に育ちます。
- あえて「ざわつく」情報を取り入れる。普段読まない新聞や反対意見の記事を1日1回読み、反射的に否定せず「なぜこの人はこう考えるのか」と問う。
- 提案にIRACを組み込む。会議や上司への提案で、課題→現状→あてはめ→結論の順で話すと、論理の飛躍が消えます。
- タイマーで強制的に結論を出す。まとまらないときは「30分で答えを出す」と決め、時間が来たら完璧でなくマシな結論を出して次へ進む。
増やすほど続きません。1番から始めて、習慣になったら次へ。それくらいでちょうどいいと思います。次にスマホで答えを検索しようとした瞬間、一度だけ手を止めて、自分なりの仮説を口に出してみてほしい。その小さな引っかかりから、本書の言う「考える練習」は始まります。
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