部下のやる気がないのは、本人の覚悟が足りないせいではありません。多くの場合、それは「職場の問題」です。
上司の何気ないひと言、理由を説明しない指示、失敗を部下のせいにする空気。良かれと思った指導や、多忙ゆえの態度が、知らないうちに部下の意欲を削っている。松岡保昌さんの『こうして社員は、やる気を失っていく』は、その「見えない落とし穴」を組織心理学の知見で一つずつ照らし出す本です。
著者はリクルートやファーストリテイリングで人と組織の課題に向き合ってきた人物。本書の主張は逆転の発想に貫かれています。モチベーションを高める施策を導入する前に、まず「下げている要因」を取り除く。極端に言えば、下げる要因さえ消せば、やる気は勝手に上がっていく。
この記事では、本書の全体像と中心となる概念を、章の流れに沿って網羅的に整理します。

こんな人におすすめ
- 部下が主体的に動かず、「任せたのに」と感じている管理職の方
- 良かれと思った指導が、なぜか部下の意欲を削いでいる気がする方
- エンゲージメント施策を導入しても効果が出ず、原因が分からない人事担当者
- 勘や経験だけのマネジメントから、エビデンスに基づくスキルへ移行したいリーダー
この本の核心――「足し算」ではなく「引き算」のモチベーション管理
本書が最初に突きつけるのは、私たちの常識のズレです。
「まずは自社の状況を把握して、モチベーションを下げる要因=『やってはいけないこと』をしないようにするほうが、優先順位は高いのです。」
多くの企業は従業員満足度調査を実施し、新しい制度やイベントでモチベーションを「高める」ことに意識を向けます。しかし日常の職場で意欲を削ぐ言動が放置されたままでは、どんな施策も効果を発揮しません。
そして著者はマネジメントを感覚の問題から切り離します。
「人のマネジメントは、きちんとしたスキルなのです。学んで身につけるべきものなのです。」
やる気を削ぐ上司の共通点は、悪意ではなく「無自覚」です。自分のやっていることのまずさに気づいていない。だからこそ、心理学という共通言語で「なぜダメなのか」を理解する必要があります。本書はその地図になります。
第1章の核心――企業力格差は「当事者意識」で決まる
変化の激しい時代に企業の生き残りを左右するのは、社員の「主体性」と「当事者意識」だと著者は言います。
主体性とは、決められたことをやる「自主性」を超え、自ら何をすべきかを考え、結果に責任を持って行動する姿勢。当事者意識とは、物事を「自分事」として捉える自覚です。
会社の入り口にゴミが落ちていたとき、当事者意識のない社員は「自分のものではない」と通り過ぎます。この些細な行動に組織の健全性が表れる。
では当事者意識はどう生まれるのか。鍵は「会社のニーズ」と「個人のニーズ」が重なる瞬間です。
「『会社のニーズ』と『個人のニーズ』がうまく重なれば、今まで以上に、仕事への『当事者意識』が高まり、『主体性』を発揮して、積極的に取り組んでくれる可能性が高くなる」
人を動かすのはお金だけではありません。感謝、承認、成長の実感、社会貢献の実感といった「見えない報酬」が、行動の強力な源泉になります。著者はこれを、会社が世の中に提供する価値と社内の価値観の双方への共感から湧く力として「ビジョナリーモチベーション」と呼びます。
第2章の核心――やる気を奪う上司の言動と、心理学の処方箋
第2章は上司編。目を合わせない、理由を説明しない、丸投げする、手柄を奪う。こうした無意識の言動が部下の意欲を削ぎます。本書はそれぞれに心理学的な解決策を当てています。中心となる道具を順に押さえます。
推論のはしご。人は同じ事実を見ても、解釈や着目点によって違う結論に至ります。
「同じ事実や事象を見ても、どうとらえたか、何に着目したか、どのように考えたかで結論は大きく異なります。だからこそ、対話のなかでは、お互いの考えたプロセスを『聴き合う』ことが大切になるのです。」
結論だけをぶつけ合うのではなく、そこに至った思考の「はしご」を共有する。これが対立を防ぐ第一歩です。
ゼロベースシンキング。「ルールだから」と理由を説明しない指示は、部下の思考を止めます。前例や常識を白紙に戻し、仕事の本質を問う。本質を理解した部下は、指示されるまでもなく最適な行動を取り、創意工夫が生まれます。
正しく叱る技術。叱る際の三つのタブーは、「君はいつも」というレッテル貼り(一般化)、他人との比較、人格否定です。行為と人格を分け、「3つほめて、1つ叱り、1つ励ます」割合を意識します。相手を責める「Youメッセージ」ではなく、「私はこう思う」「私は期待している」という「Iメッセージ」を使うのも要点です。
アサーション(DESC法)。言いづらいことを伝えるとき、客観的事実(Describe)→自分の感情や意見(Explain)→具体的な提案(Specify)→選択肢の提示(Choose)の順で話す。相手も自分も尊重するコミュニケーションの型です。
SL理論。ハーシィとブランチャードが提唱した、部下の成熟度に応じて教示的・説得的・参加的・委任的の4つを使い分けるリーダーシップです。山本五十六の「やってみせ、言って聞かせてさせてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」も同じ精神を伝えています。
第3章の核心――組織を疲弊させる「構造」の問題
第3章は組織編。個人ではなく、仕組みや風土の問題を扱います。
仕事が特定の優秀な人に集中する偏り。誰も責任を取らず「たらい回し」になる稟議制度。前例踏襲主義。形骸化した理念。こうした構造が組織を静かに疲弊させます。
ここで中心になるのが、MITのダニエル・キムが提唱した組織の成功循環モデルです。結果ばかりを追うのではなく、まず互いを尊重し一緒に考える「関係の質」を高める。すると「思考の質(当事者意識)」が上がり、「行動の質(自発的な挑戦)」が高まり、最終的に「結果の質」へとつながる好循環が生まれます。逆に結果だけを急かすと、関係が悪化する悪循環に陥ります。
業務のブラックボックス化を防ぐには、困りごとや知見を瞬時に共有できる「フロー型」の情報共有が有効です。失敗が起きたときは、犯人探しの「減点主義」をやめ、「どうすれば解決できるか」という未来志向の解決志向アプローチに切り替えます。
組織文化についての指摘も鋭いものです。
「組織の文化は、無意識のうちに、そこにいる人たちが使っている言葉でつくられているからです。」
「どうせ無理だ」が飛び交う職場では、文化そのものが諦めに染まる。だからリーダーは「どうすればできるか」という言葉を意識的に使い始める必要があります。
第4章の核心――組織心理に基づくマネジメント
最終章では、問題を根本から解決する心理学の理論が体系的に並びます。要素を落とさず押さえます。
心理的安全性。組織の中で、誰もが安心して自分の考えや気持ちを話し、行動できる状態です。
「『心理的安全性』があるというのは、組織の中で、誰もが安心して自分の考えや気持ちを話し、行動できる状態です。」
Googleが「チームの生産性を高めるには心理的安全性が必要」と発表し、エドモンドソンの『恐れのない組織』とともに広く知られるようになりました。多様な価値観がぶつかるからこそイノベーションが生まれる。心理的安全性はその土台です。
自己効力感(セルフ・エフィカシー)。バンデューラが提唱した「自分ならできる」という感覚で、一歩を踏み出す勇気の源です。これは4つから生まれます。自分でやり遂げる「成功体験」、他者の成功を観察する「代理体験」、励ましを受ける「言語体験」、そして良好な「生理的状態」。成功は結果だけでなくプロセスを共有すると、周囲にも成功イメージが伝わります。
経験学習モデル。コルブが理論化した成長サイクルで、4ステップすべてが重要です。①具体的経験(任せてみる)→②内省的観察(なぜ起きたか振り返る)→③抽象的概念化(教訓を導く)→④積極的実験(次に応用する)。上司の役割は答えを与えることではありません。
「正しく言えば、『気づかせる』のではなく、本人が自ら『気づく』ためのきっかけになるような『問い』を投げかけるのです。」
欲求階層論とウェルビーイング。マズローの欲求階層論は、人が承認や自己実現へと成長する存在であることを示します。セリグマンの提唱したウェルビーイング(PERMAの5条件)は、心身ともに充実した状態が生産性に直結することを示します。労働時間短縮などの「働きやすさ」だけでは足りず、「働きがい」が必要です。
ライフ・キャリア・レインボー。スーパーが示したこの概念は、人が職業人だけでなく、家庭人・学習者・余暇を楽しむ人など複数の役割を同時に担っていることを表します。仕事と人生を対立させず調和させ、個人の「キャリア自律」を会社が支援する。それが結果的にエンゲージメントを高めます。
なお、自発的にやっている行動に報酬を与えると、報酬自体が目的化してかえって意欲が下がる「アンダーマイニング効果」にも注意が必要です。
明日から何を変えるか
理論を実践に変える具体的なアクションを3つに絞ります。
1. 自分の言動の「やる気クラッシャー」を棚卸しする PC画面を見ながら話を聞いていないか、「ルールだから」で理由を省いていないか、丸投げしていないか。第2章・第3章のあるある事例に照らして、自分の1週間の言動を振り返ります。やりがちな失敗は「自分は大丈夫」と思い込むこと。下げる要因は無自覚から生まれるので、360度評価や1on1で他者の目を借りるのが確実です。
2. 1on1を「答えを渡す場」から「問いを渡す場」に変える 部下が失敗を報告したら、すぐ解決策を言いたくなります。そこをこらえ、経験学習モデルの問いを投げます。「なぜ起きたと思う?」「次からどう活かせる?」。傾聴の姿勢で、まず信頼関係を築いてから本題に入ります。
3. 失敗の扱いを「犯人探し」から「解決志向」に切り替える トラブルが起きたとき、原因究明は責任逃れの犯人探しに発展しがちです。一旦それを横に置き、「どうすれば解決できるか」という未来に集中する。挑戦自体をプラスに評価する制度設計も、挑戦を恐れない風土を作ります。
おわりに
本書を一言で表すなら、「モチベーションを下げる見えない落とし穴に気づき、社員が自ら輝く組織をつくるための処方箋」です。
著者の言葉に、本書の核心が凝縮されています。
「人間心理を徹底的に考え抜く。(中略)新しいものを生み出すのも、新しいことに挑戦するのも、すべては『人の気持ち』しだいだからです。」
どれほど優れた戦略やシステムも、最終的にそれを動かすのは人の感情です。やる気を「上げる」前に「下げない」。その引き算から、強い組織は始まります。
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