「脂っこいものを食べ過ぎると、脂肪が溜まって脂肪肝になる」。私はずっとそう思っていました。
でも、この本を読んで、その理解が間違っていたことを知りました。脂肪肝の本当の原因は、油そのものではなかったのです。
著者の吉森保さんは、細胞の浄化機能「オートファジー」研究の世界的権威です。本書は、生命の基本である細胞から、病気、老化、そして健康寿命の延ばし方までを、数式も化学式も一切使わずに語った講義録になっています。
新型コロナのパンデミックの渦中、「絶対に効く」「絶対に安全」と断言する専門家がメディアにあふれた時代に書かれました。情報に振り回されないための科学の見方と、自分の体の取扱説明書。その両方が一冊に詰まっています。
こんな人におすすめ
健康番組で「これを食べると痩せる」を見て、つい試してしまう人 その情報、本当に効くのか。本書の「相関と因果」の見分け方を知ると、世の中の健康情報の見え方が変わります。
理科は苦手だったけれど、ウイルスやがんの仕組みを一度きちんと理解したい人 細胞を「小さな街」にたとえる説明なので、生物の授業で挫折した人でもすっと入ってきます。
「腹八分目がいい」「運動がいい」と聞くたび、なぜ?と引っかかってきた人 昔から言われてきた健康法が、最新の細胞研究でなぜ正しいと裏づけられたのか。その理屈がわかります。
親や自分の老化が気になり始めた人 老化は本当に避けられないのか。細胞レベルで何が起きているのかを知ると、向き合い方が変わってきます。
この本の核心――病気も老化も、出発点は「細胞」だった
本書の主張はシンプルです。どんな病気も、老化も、もとをたどれば「どこかの細胞が悪くなること」から始まる。
風邪はウイルスが細胞に侵入して壊すから。がんは細胞が遺伝子の変異で異常に増え続けるから。アルツハイマー病は、神経細胞の中にタンパク質のゴミが溜まって細胞が死ぬから。
「どんな病気でも、細胞が通常と違ったことになって起こります。」
つまり、細胞を健康に保てれば、多くの病気と老化を遠ざけられる。その鍵を握るのが、細胞内を自分で掃除する「オートファジー」という機能です。
吉森さんはこの仕組みを、たった2つの武器で読者に手渡そうとします。1つは情報を見抜く「科学的思考」。もう1つは体の仕組みを理解する「細胞の知識」。順番に見ていきます。
「これを食べたら治った」が、なぜアテにならないのか
まず、本書が最初に渡してくれる武器が「科学的思考」です。難しい計算ではありません。理屈で考える姿勢のことです。
その核心が、相関と因果を分けること。
「暗い部屋でスイッチを押したら電気がついた」。これは見かけ上、2つのことが同時に起きた「相関関係」です。でも、たまたま別の人が同時にスイッチを押したのかもしれない。自分が押したから電気がついた、という「因果関係」とは限りません。
「相関関係とは『原因と結果ではないかもしれない』関係です。」
「この枕を使ったら90%の人の肩こりが治った」という広告も同じです。その枕を使わなかった人たち、つまり「対照群」と比べていなければ、効果があるとは証明できません。吉森さんは、対照群のないものは「エセ科学」とみなされても仕方がない、とまで言い切ります。
そしてもう一つ。「断言する人は科学的に怪しい」。科学は100%の真理に到達できず、真理に近い仮説を磨き続ける営みだからです。未知のウイルスを前に「絶対に大丈夫」と言える専門家は、むしろ科学的な態度から外れている、というわけです。
19世紀、コレラが流行したロンドンで、医師のジョン・スノウは「悪臭が原因」という当時の通説を疑いました。統計を取り、特定の井戸の水を飲んだ人ばかりが死んでいることを突き止めます。悪臭の中でも、水を飲まずビールを飲んでいた醸造所の従業員は無事でした。彼は井戸のポンプのハンドルを外し、感染拡大を止めた。因果を見抜いた人が、人を救ったのです。
細胞は「小さな街」、DNAは設計図、タンパク質は働き手
科学の見方を手にしたら、次は体の仕組みです。
人間の体は約37兆個の細胞でできています。驚くのは、オードリー・ヘップバーンの細胞も、オランウータンの細胞も、顕微鏡で見ただけでは区別がつかないこと。細胞の形は、生き物が違ってもほとんど同じなのです。
その細胞の中を、吉森さんは社会にたとえます。実際に働くのは「タンパク質」。その職業を決める設計図が「遺伝子」。遺伝子が書かれている物質そのものが「DNA」です。混同されがちですが、DNAはアルファベット4文字でできた物質、遺伝子はその文字で書かれた文章、ゲノムは人間一人をつくる全情報の集合体、という関係になります。
ここで一番おもしろかった事実を紹介します。私たちの体では、1日に約240グラムのタンパク質が作られています。でも、食事から摂るのは70グラムほど。
「人間の体はタンパク質が動かしている」
では残りはどこから来るのか。答えは、自分の古い細胞を分解してリサイクルした「再利用品」です。体は壊れていない部品まであえて壊し、作り直すことで一定の状態を保っている。これを動的平衡といいます。この「あえて壊す」リサイクル工場こそ、次のオートファジーです。
腹八分目が、科学的に正しい理由――オートファジーとルビコン
ここからが本書の核心です。
オートファジーとは、細胞の中の古くなった部品や有害なものを回収し、分解してリサイクルする機能です。2016年に大隅良典先生がノーベル賞を受賞した分野でもあります。役割は大きく3つあります。
1. 栄養源の確保 飢餓状態になると、細胞は自分の中身を分解して、生きるための栄養(アミノ酸)を作り出します。
2. 細胞の新陳代謝 毎日少しずつ古い部品を新しいものに入れ替え、細胞を健康に保ちます。
3. 有害物の除去 侵入した細菌やウイルス、壊れた部品、病気の原因になるタンパク質の塊を狙い撃ちで掃除します。
この機能が老化や食生活で鈍ると、掃除が追いつかず病気が起こる。アルツハイマー病はその典型です。
では、なぜオートファジーは年とともに衰えるのか。吉森さんの研究室は、その原因となるタンパク質を世界で初めて発見し、「ルビコン」と名づけました。ルビコンはオートファジーのブレーキ役です。加齢とともに増え、細胞の掃除を止めてしまう。
「歳をとってオートファジーの働きが悪くなるのは、ルビコンの増加が原因なのです。」
そして冒頭の脂肪肝の話に戻ります。高脂肪食を食べると、このルビコンが増える。すると肝臓の細胞で脂肪滴を分解する掃除が止まり、脂肪が溜まる。つまり脂肪肝の原因は「油そのもの」というより「油でブレーキが増えて掃除が止まること」だったのです。
ルビコンの威力を示す実験があります。ルビコンをなくした線虫は、平均寿命が20%延びました。しかも、老いても通常の線虫の2倍の運動量で動き続けたのです。
明日から何を変えるか
知識を行動に変えます。本書が勧めるのは、特別な健康法ではなく、オートファジーを活性化させる地味な習慣です。
1. 週に数回、空腹の時間を意図的に作る 昼食を軽くするなどして、細胞を軽い飢餓状態にすると、オートファジーのスイッチが入ります。ただし、極端な断食は筋肉まで減らすので、プチ断食にとどめます。
2. 揚げ物や脂身の頻度を1つ減らす 高脂肪食はルビコンを増やし、掃除を止めます。フライドチキンを食べる回数を週に1回減らす。それだけでも細胞のブレーキは軽くなります。
3. エレベーターをやめて階段にする 運動は筋肉細胞のオートファジーを活発にします。心拍数が少し上がる程度の運動を、毎日の動線に組み込みます。
加えて、納豆・味噌・キノコに含まれる「スペルミジン」、赤ワインの「レスベラトロール」、お茶のカテキンなど、オートファジーを助ける成分も知られています。食卓に意識して加えてみてください。
これらは、寿命延長につながる5つの経路(カロリー制限、インスリンシグナルの抑制、TORシグナルの抑制、生殖細胞の除去、ミトコンドリアの抑制)の多くに共通して関わっていることが、研究でわかってきています。
おわりに
私が読んでいて少し意外だったのは、吉森さんが「老化は病気だから治す」という立場を取らないことでした。
老化は、進化の過程で生物があえて選んだプログラムかもしれない。だから無理に不老不死を目指すのではなく、死ぬ直前まで若く元気でいる「健康寿命」を延ばすことを目標にする。その姿勢に、私はむしろ安心しました。
最先端の細胞研究がたどり着いた結論が、「食べ過ぎず、適度な運動がベスト」という、昔から言われてきた当たり前だったこと。その当たり前が、なぜ正しいのかを細胞レベルで理解できたこと。これが本書の一番の収穫だと思います。
今日のお昼、少しだけ軽くしてみる。それが、細胞の掃除を始める最初の一歩になるはずです。
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