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『組織戦略の考え方』沼上幹|官僚制は悪ではなく、創造性の足腰だった

リーダーシップ・組織 ✍ 沼上幹
約9分で読めます

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『組織戦略の考え方』
目次

「うちの会社、官僚的でダメだよね」。飲み会の席で、あるいは転職を考えた夜に、この種のため息をついた経験は誰しもあるはずだ。官僚的=悪、フラットで風通しのよい組織=善。私たちはほとんど反射的にそう信じている。

ところが本書は、その反射を真正面から否定する。著者の沼上幹さんによれば、官僚制こそが組織設計の土台であり、それが堅固だからこそトップは創造的で戦略的な仕事に専念できる。本当に警戒すべきは、官僚制を捨てて流行りのカタカナ組織論に飛びつくことのほうだ、と。

経営組織論を専門とする研究者が書いた一冊だが、机上の組織図の話ではない。承認欲求、権力闘争、フリーライダー、社内政治。職場で薄々感じていながら言葉にできなかったあの感覚に、本書は一つずつ名前を与えていく。

読み終えると、自分の会社で起きている「決まらなさ」の正体が、不気味なほどくっきり見えてくる。

図解

アメリカ製の教科書が答えてくれない問題

本書がまず据える前提は、コア人材の長期雇用だ。同じ会社に長く勤める人たちが組織の中核を担う、いわゆる日本型の雇用慣行である。これは強みであると同時に、独特の病理を生む土壌でもある。

ここが重要なのだが、アメリカ製の組織論の教科書は、労働市場が流動的で各階層が専門分化していることを前提に書かれている。だから「評価が曖昧なまま誰も辞めずに居座る」「フリーライダーが何年も組織に寄生し続ける」といった、日本企業に固有のじっとりした悩みには答えてくれない。

輸入された理論をそのまま当てても効かないのは、薬の前提となる体質が違うからだ。

もう一つの背景として、本書は日本の経営論をめぐる振り子運動を挙げる。1979年の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』に象徴される日本型経営礼賛から、バブル崩壊後の手のひら返し、すなわち成果主義・フラット化・カタカナ新概念へのアメリカ型盲信へ。

沼上さんはこの極端な往復運動を虚しいと切り捨て、流行に踊らされない地に足のついた立て直しを試みる。この姿勢自体が、本書をいま読む価値の核だと私は思う。

官僚制は創造性を殺さない。むしろ足腰になる

第1部の出発点が、官僚制の再評価だ。お役所仕事という負のイメージを一度脇に置いてほしい。沼上さんの定義では、官僚制とはプログラムとヒエラルキーという二つの仕組みのことである。

プログラムとは、繰り返し起きる仕事を確実にこなすためにあらかじめ決めておく手順。ヒエラルキーとは、プログラムで処理しきれない例外が出たとき、上司の判断を仰ぐための命令系統。定型業務は現場でミスなく自動処理し、例外だけを上に上げる。この単純な骨格こそが官僚制の本体だ。

なぜこれが創造性の土台になるのか。本書はキューバ危機を例に引く。映画『13デイズ』が描いた緊迫の13日間、ケネディが核戦争の瀬戸際で迅速に決断できた背後には、偵察機が撮ってきた膨大な航空写真をミスなく現像・分析する官僚制機構があった。

足腰が盤石だったからこそ、トップは戦略的判断という一点に集中できたのだ。

逆の例も鮮烈だ。2000年の雪印乳業の食中毒事件では、ある工場でマニュアル通りの洗浄を怠り、別の工場では停電という異常事態に上司の判断を仰がず作業を続けた。

官僚制の基本ができていないと、こうして凡ミスが積み重なり、企業を揺るがす危機を招く。地味な手順の徹底が、実は最大の防波堤なのである。

ここで本書が紹介するのが、ハーバート・サイモンの意思決定のグレシャムの法則だ。「ルーチンワークは創造性を駆逐する」。

目先の例外処理に追われると、人は長期的展望や革新的解決を考えなくなる。経営層までが日々の火消しに埋没した瞬間、組織全体の思考は止まる。だからこそ、定型業務を確実に処理する仕組みが、上層部の頭を空けておくために必要なのだ。

では不確実性が高まり、例外が増えてヒエラルキーがパンクしそうなときはどうするか。本書の答えは「官僚制を壊す」ではなく、その足腰の上に付け加える、というものだ。

現場の知的能力を上げて簡単な例外を現場で片づける、意思決定者を補佐するスタッフを置く、ITで情報処理を速める、事業部制で日常をそちらに任せトップは長期構想に専念する、部門同士がヒエラルキーを通さず直接調整する水平関係をつくる。

マトリクス組織もこの最後の系譜に位置づけられる。

注意したいのは、IT万能論への釘刺しだ。「ITが普及すればヒエラルキーは滅び、水平ネットワークの時代になる」という言説に対し、本書はヒエラルキーの役割が弱まっても官僚制の基本骨格そのものは消えないと言う。

道具が変わっても、決めて伝える仕組みは要る。フラット化を掲げて骨格まで捨てた組織が機能不全に陥る光景は、いまも各所で繰り返されている。

ボトルネックを中心に組織を回す

第2部の鍵が、ボトルネックの発想だ。下敷きになるのは、ゴールドラットの『ザ・ゴール』である。ボトルネックとは、処理能力が最も低く、全体の生産量を決めてしまう工程のこと。本書の仮設例では、能力の異なる三工程のうち最も弱いB工程が、いくら他工程が速くても全体のアウトプットを縛る。

ここで肝になるのが、ボトルネックでの1時間のロスは工場全体の1時間のロスに等しいという事実だ。だからボトルネックは常にフル稼働させ、その手前に検査工程を置いて不良品を流し込まない。

貴重なボトルネックの時間を、不良品の処理という無駄に使わせないためである。

沼上さんの独自性は、この製造現場の論理をホワイトカラーの意思決定プロセスに持ち込んだ点にある。新製品開発で基本コンセプトを練る優秀な技術者の「思考時間」がボトルネックだとしよう。

このとき、その人に根回しや雑務を振って時間を奪うのは最悪手だ。さらに厄介なのが、営業が「顧客の声を全部集めてきました」と未整理の情報を技術者に丸投げするケース。

良かれと思った非ボトルネック部門の頑張りが、かえってボトルネックの時間を食いつぶし、組織全体の生産能力を落とす。「ボトルネック以外が無闇に頑張りすぎるとろくなことにならない」というわけだ。

誰もが手を抜かず全力を尽くすことが正義、という素朴な勤勉信仰への痛烈な反証で、身に覚えのある人は多いだろう。

自己実現の前に、承認・尊厳欲求がある

本書がもう一つ強く鳴らす警鐘が、マズローの欲求階層説の誤用だ。生理的欲求から自己実現まで五段階のあれである。日本の企業人はこれを「低次が満たされれば誰もが最後は自己実現へ向かう」と単純化し、自己実現の支援にばかり夢中になってきた。

沼上さんはこれを「気高く美しくて安上がりな言い訳」と切り捨てる。ポストや金で報いられないから、自己実現という耳触りのよい言葉に逃げているだけだ、と。

耳が痛い指摘である。組織運営で日常的に最も効くのは、その一歩手前の承認・尊厳欲求のほうだ。周囲に認められたい、自分は不可欠だと思われたい。

多くの人はこの欲求で動いている。

ではどう満たすか。本書は二つの実践を示す。一つは、部下に「勝ち戦」を経験させること。勝てる戦略を上司が立てて自己有能感を持たせる。精神論で励ますのではなく、勝たせること自体が上司の仕事だという発想だ。

もう一つは、縁の下の力持ちに誠意ある言葉で報いること。昇進昇給が難しくても、地味な貢献に「ありがとう」「あなたは不可欠だ」とはっきり伝える。

勝ち戦を経験させられるかどうかは、かなりの部分、上司のたてる戦略の巧拙に依存する(本書より)

この承認の話は、フリーライダー問題に直結する。「みんな頑張ったよね」という曖昧な評価しか下さないシステムは、誰かの努力にタダ乗りする者を温存する。

たかだか一部の不公平を放置するだけで不満は伝播し、フリーライダーは増殖していく。だから本書は、一人ひとりを真剣に評価するシステムのほうが望ましいと言う。

そして「優しい上司は愛され、恐い上司は陰で煙たがられる」からこそ、組織に害をなす厄介者を叱るという損な役回りを、誰かが嫌われる覚悟で引き受けねばならない。

曖昧な優しさは、しばしば組織への裏切りなのだ。

意思決定と「決断」は別物である

第2部後半、本書は組織の疲労を解剖していく。最初の標的がマトリクス組織だ。短期の市場適応と長期の効率性を両立したい願いを形にしたものだが、構造それ自体がバランスを取ってくれるわけではない。

機能させるには、部門長同士が腹を割るか、トップが強権で対立を解消するか、二人の上司に挟まれるミドルが葛藤に耐え抜くか、そのどれかが要る。

沼上さんはこれを「権限の委譲ではなく、悩みの委譲」と呼ぶ。本来トップが背負うべき葛藤を、構造のせいにしてミドルに押し付けているだけだ、という辛辣な見立てだ。

ここで本書の核心的な区別が登場する。意思決定と決断の違いである。意思決定が情報を集めて選択肢を選ぶ作業であるのに対し、決断は「何かを捨てて何かを取る」「今は悪化しても長期で再浮上する」「特定の人には不利だが組織の長期成長には不可欠」といった、大胆で不連続な性格を持つ。

痛みを伴い、不公平を生む。だからこそトップ自らが責任を負って下すしかない。

決断のできない組織には、わかりやすい徴候が出る。「フルライン・フルスペックの製品企画」や「全方位全面戦争型の戦略計画」だ。すべての性能で他社を上回り、あらゆる目標で勝つ。

一見すると意欲的だが、これは「何を捨てて何を取るか」を一切決めていない、つまり何も考えていない証拠だと本書は見抜く。社長が次々と改革検討委員会を立ち上げるのも同じで、決断しているように見えて、実は相場と落としどころを探りながら先延ばししているだけ、というわけだ。

組織を腐らせる「キツネ」と「宦官」

ここからが本書の真骨頂、生身の人間が起こす腐敗のメカニズムだ。

一つめがキツネの権力。「顧客が怒り狂っている」「専務が強硬に反対している」など、誰も直接確かめていない強大な権力者(トラ)のイメージを勝手にでっち上げ、その代弁者として振る舞うことで他者を動かす権力である。

分業が高度化し、二つの部門が直接顔を合わせなくなるほど、この権力は生まれやすい。怖いのは、対立解消のために調整ポストを新設すると、その担当者が自分の存在価値を高めるために、わざと両者が対立する状況を演出しかねないことだ。

調整役が問題を延命させる、という倒錯が起きる。

見分け方はシンプルで、本当に調整している人なら「それほど言うなら自分で確かめてこい」と言えるはず。だから噂を真に受けず、直接「トラ」に確認しに行けばいい。本書は「羊たちの沈黙が権力の温床になる」と警告する。対立を恐れて黙る優等生こそが、奇妙な権力を太らせるのだ。

二つめが宦官だ。組織が古びると、過去の成功を支えたルールを捨てられず、古い規則の上に新しい規則を重ね続ける。やがてルールは複雑怪奇化し、それを迂回する裏技が発達し、時に不祥事へ発展する。

すると、ルール運用を厳格に監視する小役人のような宦官が台頭する。宦官は決して失敗しない。一方、利益のために危ない橋を渡る武闘派は、失敗のたびに弾劾され失脚していく。

こうして稼ぐ戦士が減り、手続きを気にする内向きの人材が増え、組織は長期衰退軌道に入る。

加えて描かれるのが「成熟事業部の暇」だ。主力の成熟事業部では、仕事に慣れた秀才たちが余った能力を持て余し、企画書の重箱の隅をつつくような内向きの無駄仕事を無限に生み出す。

99%まで仕上げた企画書を99.9%まで磨いても成否はほぼ変わらないのに、その0.9%に膨大な労力を注ぐ。忙しそうに見えて、それは腐敗の兆候なのだ。

腐った組織を、どう立て直すか

では、腐りかけた組織をどう診断し、どう治すのか。診断の目安は、新規事業の検討にかける時間配分だ。実質的な事業内容の検討が9割、社内手続きが1割なら健全。

事業検討6割に対し社内正当化プロセスに4割も食われていたら末期症状である。本社スタッフが実態から遊離したコトバ遊びの経営企画を連発していないかも、要チェックだ。

処方箋は三つ。トップダウンで既存の秩序を徹底的に破壊する。複雑怪奇化したルールや不文律を白紙に戻すには、漸進的改善ではなく乱暴なまでの破壊が要るという。

次に、成熟事業部で暇を持て余す優秀な若手を強引に引き抜き、新規事業など外向きの仕事へ従事させ、内向きの小者化から救い出す。最後に、優秀層を内向きの仕事から解放し、暇と忙しさのメリハリをつけて外向きの利益創出に集中させる。

本書を閉じて残るのは、「組織をいじれば直る」という幻想からの解放だ。組織構造や制度は仕事の邪魔をすることはできても、仕事そのものを自動で処理してくれはしない。

最後に問題を解くのは、いつだって生身のヒトの決断なのである。あなたの職場の「決まらなさ」は、構造のせいだろうか。それとも、決断できない誰かのせいだろうか。


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