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『禅、シンプル生活のすすめ』枡野俊明|靴を揃えるだけで、生き方が変わる

キャリア・働き方 ✍ 枡野俊明
約10分で読めます

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『禅、シンプル生活のすすめ』
目次

帰宅して脱いだ靴を、あなたは揃えていますか。

たったそれだけのことが、自分の生き方を映す鏡になる。そう言われると、少し背筋が伸びる気がしませんか。禅には「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という言葉があります。

自分の足元をよく見なさい、という教えです。足元が見えていない人は、自分自身も、人生の行く先も見えていない。逆に言えば、足元を整えるという最小の動作のなかに、生き方全体を立て直す入口がある。

『禅、シンプル生活のすすめ』は、曹洞宗の住職であり庭園デザイナーでもある枡野俊明さんが書いた一冊です。難しい修行も、遠くへの旅も要りません。日々の習慣と、ものの見方を少し変えるだけ。それだけで心が洗われ、身軽に生きられると枡野さんは言います。

非日常に癒やしを探しに行っても、いつもの生活に戻ればすぐ心はささくれ立つ。旅先で得た静けさは、月曜の満員電車であっけなく溶けてしまう。だからこそ、日常そのものを整える。

心の整え方を「どこか別の場所」に外注するのをやめて、毎日の所作のなかに置き直す。この本の提案は、そこに尽きます。

図解

ちょっと変えるだけ、というのが本書の核心

枡野さんが提案するのは「禅的シンプル生活」です。他人の価値観に振り回されず、余計な悩みを抱え込まず、無駄をそぎ落として限りなくシンプルに生きるスタイルを指します。

大がかりな断捨離イベントでも、ストイックな自己改造でもありません。あくまで「ちょっと変えるだけ」。そのハードルの低さが、続けられる理由でもあります。

ここでひとつ、言葉を分けておきます。「質素」と「簡素」は違う。質素は安いもので暮らすこと。簡素は、無駄を削ぎ落とし、本当に必要なものを見極めて大切にすることです。

本書が目指すのは後者です。安さで選ぶのではなく、長く使える本当に気に入ったものを一つ持つ。この区別は地味に効きます。節約のつもりで安物を買い替え続ける暮らしと、良いものを手入れしながら長く使う暮らしは、見た目は似ていても心の充実度がまるで違うからです。

本書が面白いのは、著者が住職でありながら庭園デザイナーでもある点です。枯山水(水を使わず石や砂で山水を表す庭)は、実際の水がなくても谷川の流れを感じさせます。

余計なものをすべて取り去り、最小限の石と砂だけで世界を表現する。それは、とらわれない心の表現でもあります。空間をシンプルにすることが、そのまま心を磨くことにつながる。

抽象的な精神論ではなく、庭という具体物を通して禅を語れるのが、この本の強みです。

本は4つの章で進みます。まず一番取り組みやすい「習慣(行動)」から入り、次に「ものの見方(思考)」、続いて「人との関わり方(対人)」、最後に「今を生きる覚悟(人生観)」へ。

手を動かすことから始めて、だんだん心の深いところへ降りていく構造です。読者を最初から悟りに引き上げようとせず、玄関の靴から始めさせる。この設計そのものが、すでに禅的だと感じます。

靴を揃えると、なぜ生き方が美しくなるのか

第1章は習慣の話です。禅では、日々の小さな所作を丁寧に行うことが、心を整える第一歩だと考えます。

その象徴が、冒頭でも触れた脚下照顧です。家に帰ったとき、お店の座敷に上がるとき、3秒かけて靴をすっと揃える。それだけで生き方が美しくなる、と枡野さんは言います。

足元という一番身近な場所を整えることが、自分を見つめ直すことになるからです。乱れた靴は、たいてい乱れた心の表れでもある。逆に、ほんの3秒の所作を欠かさない人は、その小さな丁寧さを暮らしのあらゆる場面に持ち込んでいきます。

掃除も同じです。禅における掃除の目的は、部屋を綺麗にすることだけではありません。自分自身の心を磨くことです。デスクの上を整理整頓する習慣がある人は、仕事に100%集中できる。

身の回りをシンプルに整えると、心もシンプルに研ぎ澄まされていきます。散らかった机のまま「集中できない」と嘆く前に、まず目の前を片づける。順番が逆なのです。

食事には「喫茶喫飯(きっさきっぱん)」という言葉が当てられます。お茶を飲むときは飲むことに、ご飯を食べるときは食べることに、その瞬間の行為だけに100%集中する。

テレビもスマホも見ず、食材の命や作った人に感謝して食べる。ながら食べが当たり前になった現代では、これがいちばん難しい実践かもしれません。

面白いのは、効率への逆張りです。コーヒーを淹れるとき、あえて道具に頼らず手間と時間をかける。

時間と労力のなかにこそ命が宿っている。労力を省くことは、人生の楽しみを省いているのと同じだ。(枡野俊明『禅、シンプル生活のすすめ』より要約)

便利さを追い求める私たちには、なかなか出てこない発想です。時短は善であるという前提を、枡野さんは静かにひっくり返します。手間をかける行為そのものに味わいがあるなら、それを省くのは効率ではなく損失だ、というわけです。

「忙しい」の正体は、時間ではなく心

ここで漢字の話が出てきます。「忙しい」という字は、心(りっしんべん)を亡くすと書く。つまり忙しいとは、心を亡くしている状態のことです。

だから枡野さんはこう言い切ります。時間がないから忙しいのではない。心に余裕がないから忙しいのだ。これは順番が逆転した、ちょっと驚く指摘です。

原因は時間の量ではなく、心のゆとりの欠如にある。実際、同じ仕事量でも、心に余白がある日は淡々とこなせて、焦っている日は何もかも回らなくなる。

問題はスケジュールではなく、自分の内側にあるのかもしれません。

処方箋はシンプルです。忙しいときほど、いつもより15分早く起きる。窓を開けて朝の空気を感じ、ゆっくり呼吸をしながらお茶を味わう。それだけで心に余裕が生まれます。

あるいは1日10分、何も考えずにボーッとする時間をつくる。色々な思いが浮かんでも、外へ流していく。すると、何事にもとらわれない素直な自分に出会えます。

忙しいから時間がない、ではなく、忙しいからこそ余白をつくる。この逆張りが効きます。

呼吸そのものにも、整え方があります。「呼吸」という言葉は、吸うより先に「呼(吐く)」が来る。息は吐くことが先なのです。怒りや焦りが湧いてきたら、下腹の「丹田(たんでん/おへその少し下)」に意識を集中させ、ゆっくり長く細く吐き切る。

吐き切れば自然と吸おうとするので、その流れに任せます。これを丹田呼吸と呼びます。緊張すると呼吸は1分間に7〜8回まで増えますが、意識して整えると3〜4回まで減る。

胸で浅く呼吸すると気持ちが浮つき、丹田で深く呼吸すると心が洗われる。道具も場所も要らず、その場で心を立て直せる実践です。

得るより先に、手放す

第1章のもう一つの柱が「捨てる」です。

私たちは状況を変えたいとき、つい何かを「得る(足す)」ことを考えます。新しい習慣、新しい道具、新しいスキル。でも禅の発想は逆です。何かを得るより、まず「手放す」ことが先。

執着や思い込みを捨て、持ち物を減らすことは、心や体の荷物を下ろすことでもあります。足し算で人生を良くしようとして、かえって身動きが取れなくなっている人は多い。

ここで効いてくるのが、先ほどの「簡素」です。無駄を削ぎ落とし、本当に必要なものを見極めて大切に長く使う。新しいスマホや車が欲しくなったら、まず今持っているものを手入れして、愛着を確かめ直す。

縁あって自分のところに来たものは自分と一体だと思えば、ぞんざいに扱えなくなります。物欲をただ我慢するのではなく、手元のものへの愛着を取り戻すことで、欲しい気持ちそのものが静まっていく。

「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」という言葉もあります。人間は生まれながらにして何も持っていない。だからこそ無限の可能性を秘めている、という意味です。何も持たないことは、欠落ではなく自由なのだという視点です。失うことを怖がる気持ちの根っこを、この一語が解きほぐしてくれます。

不安のほとんどは、自分がつくり出している

第2章はものの見方の話です。固定観念や他人との比較を手放し、物事をあるがままに見ると、自信と勇気が湧いてくる。

ここで枡野さんが繰り返すのが「不安に実体はない」という考えです。達磨大師の有名な逸話があります。弟子の慧可(えか)が「心を不安から救ってほしい」と訴えたとき、達磨は「ではその不安を、目の前に出してみなさい。

そうすれば取り除いてあげよう」と返しました。もちろん不安を物体として取り出すことはできません。慧可は、不安には実体がないことに気づきます。

不安のほとんどは、自分の心が勝手につくり出した、実体のないものです。わざわざ自分から心配の迷路に迷い込んで悶々とするのは、もったいない。起きていないことで悩まず、今起こっていることだけを考える。それが禅の構えです。

そして不安の裏側には、必ず自信が隠れている。人は頑張れば頑張るほど不安になるものだからです。だから本番前に不安なのは、むしろ準備した証拠でもあります。不安を敵視するのではなく、努力の影だと捉え直す。自分の限界を少し超えた挑戦を重ね、達成感を積むことで、自分を信じてあげる。

物事を白か黒かではっきりさせようとしないことも、見方の転換の一つです。日本の仏教には、中庸(グレー)で折り合いをつける知恵があります。曖昧なままにしておくほうが、争いを避けられることがある。「憎しみ」と「親しみ」さえ、本当は心が勝手に決めている同じものだ、と枡野さんは言います。

過去への後悔や未来への不安を捨て、目の前の仕事に没頭することも、ここに含まれます。沢庵禅師は剣の極意を、心をどこにも置かない「無念無想」だと説きました。

相手の腕に隙があると思えば、そこに心が縛られてしまう。仕事も同じで、与えられた場所で自らが主人公になって没頭すれば、地味な仕事にもかけがえのない意味が見えてきます。

一見役に立たないことが、巡りめぐって一つの結果に結びつく。今の努力は一つも無駄になりません。

全員に好かれなくていい

第3章は人との関わり方です。結論から言うと、執着を手放すと、人間関係の悩みはずいぶん軽くなります。

まず、すべての人と仲良くしようとしなくていい。万人に好かれようと執着すると、かえって自分を縛ってしまいます。嫌な言葉を投げかけられても、上手に聞き流して少し距離を置く。

それも仏様の知恵です。苦手な人とは、相手を「自分の役に立つか立たないか」という損得で分けるのをやめ、「ウマが合うか合わないか」という感覚にとどめておく。

判断を一段ゆるめるわけです。損得で人を見ると疲れますが、相性の問題だと思えば、ただ距離を取るだけで済みます。

人間の心を蝕むのは「三毒」、つまり貪(むさぼり)・瞋(怒り)・癡(おろかさ)の3つの煩悩だと禅は説きます。これを手放し、相手の長所に目を向けて調和する。それが対人の基本です。

言葉だけがコミュニケーションではありません。「拈華微笑(ねんげみしょう)」という逸話があります。釈迦が弟子たちの前で何も言わず、一輪の花を拈って微笑んだとき、摩訶迦葉(まかかしょう)だけがにっこり笑い返した。

言葉によらず心が通じた彼が、跡継ぎに指名されました。相手の言葉を耳で聞くのではなく、その言葉に心を寄せる。表面ではなく真意を汲み取る姿勢です。

そして「おかげさま」。どんな食べ物も、自分の口に入るまでに100人もの手を経ているといいます。「いただきます」は、食べ物の命と、それを育ててくれた人への感謝の言葉です。自分が多くの人や命に生かされていると気づくこと。それが対人関係の根っこにあります。

今、この瞬間だけを生きる

第4章は、本書の到達点です。過去への執着と未来への不安を捨て、今この瞬間に全力を尽くす。

ここで出てくるのが「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」です。嬉しい日も、嫌なことがあった日も、二度と繰り返せない大切な一日。起きてしまった出来事は変えられないけれど、それをどう受け止めるかは全部自分で決められる。だから、どんな日も自分の心次第で「好日」にできます。

もう一つが「知足(ちそく)」、足るを知ること。欲望のままに多くを求めず、必要最低限があれば「これで十分だ」と満足する心です。お金は執着すればするほど逃げていく。今やるべきことに集中していれば、運やチャンスは知らぬ間に巡ってきます。

人間が生きているのは「今」「この瞬間」だけだ、と枡野さんは言います。だからこそ、死を意識することにも意味があります。人が死ぬ確率は100%。命は自分の所有物ではなく、仏様からの預かりものだと禅は考えます。寿命がくれば、大切にお返しする。

この章には、忘れがたい二つの場面があります。一つは、進行したガンを告知されながら、毎日何事もなかったように坐禅と托鉢を続けた板橋興宗禅師。「今ではガンと一緒に生活するのを楽しんでいますよ」と語ったといいます。

もう一つは著者の父です。ガンを患いながら、亡くなる前日まで3時間お寺の草取りをし、当日も朝早く起きて掃除をしてから病院へ行き、点滴を終えてまもなく87歳で静かに逝きました。

死の瞬間まで、修行として「今日」を生き切った。理屈ではなく、生き様そのもので禅を示した二人です。

「行解相応(ぎょうげそうおう)」、自分でできることをやっておく、という言葉があります。明日命が尽きるかもしれないという覚悟で、自分らしくない無駄な時間を過ごさず、やりたいことを必死にやる。それが後悔のない人生につながる、というのが本書の締めくくりです。

実践アクション

本書にある提案から、今日始められるものを3つ。

1. 帰宅したら、3秒で靴を揃える 玄関で脱いだ靴を、すっと揃えてから上がる。お店の座敷でも同じです。脚下照顧の実践で、一番手をつけやすい習慣です。

2. 怒りや焦りを感じたら、丹田呼吸を3回する 下腹に意識を向け、長く細く息を吐き切る。吐き切れば自然に吸えるので、流れに任せます。胸ではなく丹田で呼吸するのがコツです。

3. 寝る前に、布団の上で5分の坐禅をする 布団に座ったまま姿勢を正し、呼吸を整える「布団坐禅」です。今日一日を無事に過ごせたことに感謝し、嫌な考えは頭から手放して眠る。昼休みの「椅子坐禅」や通勤電車の「立禅」も同じ要領で、姿勢・呼吸・心の3つを整えます。

おわりに

この本に難しい言葉はたくさん出てきますが、やることは驚くほど単純です。靴を揃える。15分早く起きる。息を吐き切る。要らないものを手放す。どれも今日この瞬間から、お金も道具もなしに始められます。

枡野さんは、状況を変えたいなら、まず手放すことが先だと言いました。今日もし一つだけ変えるなら、玄関で靴を揃えるところから始めてみてください。足元が整うと、不思議と心の輪郭も少し見えてきます。


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