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『心理学的経営』大沢武志|人は理屈で動かない、という前提から始める経営

リーダーシップ・組織 ✍ 大沢武志
約10分で読めます

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『心理学的経営』
目次

制度を整えた。評価基準を明文化した。給料も引き上げた。それでも、現場の熱量が上がらない。

心当たりのある人は少なくないはずです。リクルートの専務であり、人事測定研究所(現リクルートマネジメントソリューションズ)を立ち上げた大沢武志さんは、その理由を一言で切り捨てます。人間は、理屈で動く機械ではないからだ、と。

『心理学的経営 個をあるがままに生かす』は1993年の著作です。三十年以上前の本が、なぜ今も組織論の名著として読み継がれているのか。答えは単純で、扱っているのが「制度」ではなく「人間そのもの」だからです。

制度は流行り廃りがあるが、人の心の動き方は簡単には変わらない。だから古びない。動機づけ、小集団、組織の活性化、リーダーシップ、適性、個性化という6つのテーマを、産業心理学の研究と日本企業の生データで一本の線につないだ一冊です。

図解

出発点は「経営リアリズム」

大沢さんが自著の立場を表す言葉として選んだのが「経営リアリズム」でした。人間を建前や「あるべき論」でとらえるのをやめ、矛盾に満ちた不合理な存在として、あるがままに直視する。ここがすべての土台になります。

官僚制を前提にした従来の組織論は、効率を追うあまり、感情を業務の邪魔をする「ノイズ」として脇へ追いやってきました。本書はその発想を反転させます。感情や情緒こそが人の行動を実際に左右しているのだから、それを排除した設計図は現実の職場では機能しない、という主張です。

注目すべきは、これが机上の思弁ではない点です。大沢さんはリクルートで膨大なサーベイと適性検査を回し、その生データで自説を裏づけました。たとえばリーダーシップ研究では、第1次調査で7業種11社の管理者828名とその部下3,124名、第2次で9社の管理者630名と部下4,195名を分析しています。

日本企業の現場から立ち上がった心理学、という点が、この本を輸入理論の紹介本と一線を画すものにしています。

人を制度に合わせるのではなく、矛盾を抱えた人間を受け入れたうえで経営を組み立てる。この順番の逆転こそ、本書全体を貫く思想です。

やる気は給料からではなく、仕事そのものから湧く

最初のテーマは動機づけです。ここで引かれるのが、心理学者ハーズバーグの「二要因論」です。

人を前向きにさせる要因と、不満を防ぐだけの要因は、実は別物だという考え方です。給料、作業環境、会社の制度、対人関係。これらは「衛生要因」と呼ばれ、整えても不満が消えるだけで、積極的なやる気には直結しません。

一方、達成感、承認、責任、成長の手応えといった「動機づけ要因」は、仕事そのものの中からしか生まれない。給料を上げても士気が上がらない冒頭の謎は、ここで解けます。

給料は衛生要因だからです。

ハーズバーグはピッツバーグの11社の技術者と会計士、約200人への面接からこの結論を得ました。本書が律儀なのは、これを鵜呑みにしない点です。

日本では松井賚夫教授が追認研究を行い、動機づけ要因は確かに再現されたものの、不満は環境条件だけでなく仕事内容からも生じることが判明した、ときちんと補足を添えています。

海外の権威をそのまま輸入せず、日本のデータで検算する。この姿勢が本書の信頼性を支えています。

処方箋は「職務充実」です。仕事の計画や進め方を自分で決められる裁量を与え、最初から最後まで一貫して関われるまとまり(タスク・アイデンティティ)を持たせる。

ある部品組立工場では、9人で9工程に分けていた流れ作業からコンベアを外し、3工程に統合しました。すると各自の担当は複雑になったのに、かえって「自分の仕事だ」という自覚が高まった。

分業して単純化するほど人はやる気を失う、という逆説がここにあります。

背伸びして届く目標が、いちばん人を動かす

動機づけのもう一つの軸が目標設定です。本書の結論は明快で、目標は具体的なほどよく、しかも少し難しいほうがいい。

「とにかくがんばれ」「できるだけ多く」では、目標として空回りします。松井教授の実験では、足し算作業をさせる際、片方のグループに「最初の3分間の成績の20%増し」という明確で困難な目標を与え、もう一方には曖昧な目標を渡した。

結果、困難な目標を課されたグループのほうが明らかに成績を伸ばしました。

最適な難易度は、成否が五分五分あたり。楽勝でも無理でもなく、背伸びすれば手が届きそうな水準が、人のやる気を最大化します。

ただし例外もあります。松下幸之助さんは、現状の1〜2割改善ではなく、不可能に思える「とんでもない目標」をあえて突きつけました。狙いは現状の自己否定です。

常識的な改善の延長線上からは決して出てこない発想を、無茶な要求で無理やり叩き出す。五分五分の法則を破っていいのは、イノベーションを狙うこの局面だけだ、という但し書きが添えられています。

目標と対になって効くのがフィードバックです。進捗を適切な間合いで本人に返す。しかも個人で目標を抱えるより、集団で共有したほうが責任感が増して業績が上がることも、角山剛教授の実験で確かめられています。次のテーマ、小集団の力へと話は自然につながっていきます。

人を縛るのは、規則より「職場の空気」

第2のテーマは小集団です。ここで登場するのが、組織論で必ず引かれるホーソン実験です。

ウェスタン・エレクトリック社のホーソン工場で、6名の女性作業員を対象に照明の明るさと能率の関係を調べたところ、奇妙なことに、明るくしても暗くしても生産性が上がってしまった。

物理的な条件ではなく、「特別な実験の対象に選ばれた」という心理的な高揚が能率を押し上げていたのです。これがホーソン効果と呼ばれるものです。

もう一つ、バンク捲線観察室の実験が示すものは、さらに重い。14名の作業者を観察すると、自然に小集団が形成され、「作りすぎても怠けてもいけない」という暗黙の集団規範が生まれた。そしてその規範は、会社が設けた出来高制の賃金よりも強く、一人ひとりの生産量を支配していました。

つまり、人を実際に動かしているのは上司の命令でも賃金制度でもなく、自分が心理的に所属する集団の規範だ、と本書は結論づけます。だとすれば、組織を変える鍵は制度いじりではありません。

巨大な機構に個人を埋もれさせず、顔の見える「対面小集団」に自律性を渡すこと。自分たちで目標を決め、進め方を自己決定できる範囲が保証されて初めて、当事者意識と自己責任が芽生える、という論理です。

波風の立たない組織こそ、静かに死んでいく

第3のテーマは組織の活性化。ここに本書で最もパラドックスめいた主張が置かれています。安定した組織こそ危ない、というものです。

安定とは、過去の環境への過剰適応にほかならない。環境が変われば、かつての最適解はそのまま足かせに転じます。本書はこう記します。環境の変化に適応するとは、本質的には、それ以前の環境に適応していた自己を破壊することから始めなければならない、と。

適応の第一歩が自己破壊だ、という認識は決して甘くありません。

だから組織には、あえて不均衡が要る。著者はそれを「カオス(ゆらぎ)」と呼びました。混沌とした不安定な状態から秩序へ立ち上がろうとする過程にこそ、動的な活力が宿る。完成された安定は、この運動を止めてしまう。

そこで要になるのが「アンラーニング(学習棄却)」です。いったん身につけたものを捨て、古い概念の呪縛を解く。新しく何かを学ぶこと以上に、過去の成功体験を手放すことのほうがはるかに難しく、そして重要だ、と本書は繰り返します。成功した組織ほど過去にしがみつくからです。

具体策として、著者は活性化の優先順位を「一に採用、二に人事異動、三に教育、四に小集団活動、五にイベント」と並べます。新卒採用すら、単なる人員補充ではなく、組織に危機感と新しい波を持ち込む活性化のイベントとして位置づけられている。

エース級の人材をあえて別部署へ動かし、意図的に不均衡を注入する人事異動も、同じ発想から出てきます。

自分のリーダーシップは、部下の目にしか映らない

第4のテーマはリーダーシップ。ここで本書は、管理職にとって少々耳の痛い事実を突きつけます。

前提として、あらゆる状況に通用する万能のリーダー特性は存在しません。ストッグディルが膨大な文献を渉猟しても、リーダーに共通する固定的な特性は見つからなかった。生まれつきのリーダー像は、研究上は否定されているのです。

そのうえで著者は、日本企業の大規模サーベイから、管理者に必要な4つの機能を抽出しました。部下に高い成果を求める「要望性」、気持ちを受け止め支える「共感性」、意味ある情報を共有する「通意性」、的確な判断で信頼を勝ち取る「信頼性」。

とりわけ要望性と共感性は車の両輪で、どちらが欠けても機能しない。厳しさだけでも優しさだけでも、リーダーは務まりません。

そしてここからが核心です。サービス業A社の200余の営業所で、所長と部下の双方にリーダーシップ調査を行い、成績やモラールの高低と突き合わせました。

結果、所長自身の自己評価は、業績ともモラールともまったく相関しなかった。相関したのは部下による評価だけで、それは業績の上昇群やモラールの高い群で明確に高かったのです。

リーダーシップとは影響力であり、その実像は、影響を直接受ける部下の目にしか映らない。

一般に自己評価は部下評価より0.3〜0.5ポイント高く出るといいます。人は自分を過大評価する生き物だからです。改善の第一歩は、このギャップを本人に直視させ、「自己概念の動揺」というショックを与えることから始まる、と本書は説きます。

痛みを伴う気づきなしに、リーダーは変わらないということです。

「手」を雇うのではなく「人」を採用する

第5のテーマは適性。欧米と日本では、適性の考え方が根本から違うと本書は整理します。

欧米企業は職務が細かく定義されているため、その仕事ができるかという「職務適性」で「手(労働力)」を雇う。対して日本企業は、職務の境界が曖昧で柔軟な異動を前提とするため、組織に馴染めるかという「社員適性」で「人(全人格)」を採用する。

だから日本では、特定スキルよりも、新しいことを学んで応用する基礎能力や対人面の特性が重んじられます。

人事測定研究所のSPI追跡調査では、16社1,558名のデータをもとに入社5〜10年後の評価との関係を分析したところ、6部門すべてで共通して「基礎能力」の高い人が高く評価されていました。

ここで本書が釘を刺すのが、性格テストの使い方です。テストは人を序列化したり、機械的に合否を決めたりする道具ではない。面接で見えにくい全人格的な情報を補い、本人の自己理解を助けるためのデータとして扱うべきだ、と。

さらに、管理適応型のタイプばかり採ると組織が同質化して硬直するため、あえて多様なタイプを混ぜる「タイプ別採用」も有効だとします。運輸大手A社が論理派12%、行動派30%、バランス派43%、個性派15%という配分を狙って実現した例が紹介されています。

均質な精鋭集団より、雑多な個性の集まりのほうが強い、というわけです。

自分の弱さを認めることが、強いチームをつくる

最後のテーマは個性化。ここで本書はユングの性格類型論にもとづくMBTIを持ち込みます。

MBTIは「外向/内向」「感覚/直観」「思考/感情」「判断/知覚」の組み合わせで性格をとらえる指標です。本書が焦点を当てるのは、得意な「支配的機能」だけではありません。無意識に抑圧された不得意な「劣等機能」、つまり自分の影の部分こそが鍵になります。

ユングのいう個性化とは、得意な機能を伸ばすと同時に、自分の中に眠るもう一人の自分を受け入れていく自己実現のプロセスです。誰もが自分の最も得意なところを存分に発揮すればいい。

そのうえで、自分と正反対のスタイルを持つ相手を「間違い」ではなく、自分の弱点を補ってくれる相補的な存在として尊重する。事実を重んじる感覚型と、可能性を追う直観型は、対立するのではなく補い合える関係だ、というわけです。

著者は実際に、大手都市銀行の支店長約150名にMBTIを実施し、4割近くが外向・思考タイプ(ESTJやENTJ)に集中していることを突き止めました。

規律と効率を求める管理者に偏りが出やすいのです。対照的に、ソニーの井深大さんや盛田昭夫さんといったトップ経営者を調べると、内向・思考の孤高派から外向・直観の国際派まで、個性が鮮烈にばらけていた。

突き抜けた組織のトップほど、型にはまっていないのかもしれません。

明日から試せる3つの行動

本書の知見を、今日の自分の仕事に落とし込むなら、まずこの3つです。

1. 部下に任せる仕事に「裁量」と「まとまり」を足す 指示を出すとき、進め方を本人が決められる余地と、最初から最後まで一貫して関われる範囲を意識して切り出します。細切れの作業だけを渡すのをやめる、ということです。

2. 目標面談で「五分五分」の難易度を一緒に決める 「がんばれ」「できるだけ」で済ませず、達成確率が半々くらいの具体的な目標を、本人と一緒に言葉にします。そのうえで、進捗を途中で返す約束をセットにします。

3. 部下に、自分のリーダーシップへの評価を直接聞く 「自分はわかっている」という自己評価を一度脇へ置き、要望性・共感性・通意性・信頼性の4つで、自分が部下にどう映っているかを率直に尋ねます。映った像こそが実像です。

おわりに

読み終えて一番残るのは、リーダーシップは部下の目にしか映らない、という一点かもしれません。

自分がどれだけ「わかっている」つもりでも、それは確かめるまでは幻にすぎない。明日、部下に一つだけ聞いてみる。自分の指示は、ちゃんと伝わっていたか。その小さな問いから、心理学的経営は始まります。

人間を、あるがままに。大沢さんが繰り返したこの言葉は、まず自分自身を過大評価しない、という覚悟から始まるのだと思います。


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