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『コーチングの教科書決定版』菅原秀幸さん|「教える」をやめた瞬間、人は動き出す

リーダーシップ・組織 ✍ 菅原秀幸さん
約9分で読めます

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『コーチングの教科書決定版』
目次

後輩に同じことを三回も教えた。なのに、また同じミスをする。

そのとき、つい「何回言えばわかるの」と言いたくなります。でも本書を読むと、問題は相手の理解力ではなく、こちらの関わり方だったとわかる。教えれば教えるほど、人は自分で考えなくなる——この一見逆説的な指摘が、本書全体を貫く出発点になっています。

『コーチングの教科書決定版』は、大学教授でアカデミック・コーチング学会会長の菅原秀幸さんが、15年の実践と研究をまとめた一冊です。流派ごとにバラバラだったコーチングを「コーチング・サイエンス」として整理し、誰でも日常で使える形に削ぎ落としている。

スキルの本というより、人との向き合い方そのものを作り直す本だと考えると、いちばん腑に落ちます。

図解

こんな場面でつまずいている人へ

本書が特に効くのは、次のような壁にぶつかっている人です。部下や後輩に丁寧に教えているのに、指示待ちから一向に抜け出せない。「すごいね」「よくやった」と褒めているのに、相手のやる気が長続きしない。

1on1で何を聞けばいいかわからず、つい自分ばかり話して終わってしまう。あるいは家族や子どもの相談に乗ると、いつのまにか自分の意見を押し付けている——。

どれも、こちらの善意が空回りしている状態です。本書はそこに「関わり方の設計図がない」という共通の原因を見つけます。逆に、エグゼクティブ向けの高度なケーススタディや、すぐ使える小手先のテクニック集だけを求める人には物足りないかもしれません。

本書は最初から「日常使い」を狙って書かれているからです。

著者がいちばん壊したい「思い込み」

著者がやり玉に挙げるのは、日本社会にしみついた「否定主義・減点主義・同質性主義」です。

ダメ出しされ、減点され、人と同じであることを求められる。そんな土壌で育つと、人は「自分には無理だ」という蓋を自分の内側に作ってしまう。本書はこれを「リミティングビリーフ」と呼びます。自分の可能性に、自分で蓋をしてしまう思い込みのことです。

象徴的なのがノミの話で、コップに蓋をすると、ノミは何度ぶつかってもやがて蓋の高さまでしか跳べなくなる。蓋を外しても、です。過去に否定された経験が、見えない蓋になっている——というわけです。

だから著者の処方箋は、土壌そのものを「肯定主義・加点主義・多様性主義」へ変えること。その実践的な道具がコーチングであり、本書を貫くスローガンは次のひと言に尽きます。

「教える」ことから「問いかける」ことへ

私はここで、コーチングを技術ではなく態度の問題として扱う本書の立ち位置がはっきり見えた気がしました。テクニックを学ぶ前に、まず相手を見る角度を変えろ、と言っているわけです。

「教える」をやめた瞬間の話が、いちばん効く

転換を象徴するのが、テニスコーチの話です。

現代コーチングのルーツの一人とされるティモシー・ガルウェイは、当初「ボールをよく見て打って」と教えていました。でもうまくいかない。そこで彼は指導をやめ、「飛んでくるボールの縫い目は、縦回転か横回転か?」と問いかけるように変えます。

すると生徒は自然とボールに集中し、本来の力を発揮しだした。教えるのをやめて問いかけたら勝手にうまくなった、という話です。指示を増やすほど相手は「言われたとおりにやろう」と縮こまり、問いを投げると自分の感覚で動き出す。

教える側のエゴをひとつ手放すだけで結果が変わる、という点が示唆的です。

権威づけの事例も用意されています。グーグルが「最高のマネージャーの条件」を突き止めた「プロジェクトOxygen」では、第1位が「良いコーチであること」でした。最先端のIT企業なのに、専門技術やスキルはむしろ最下位だったのです。

スティーブ・ジョブズもアップルを解雇され巨額の損失を出した後、ビル・キャンベルというコーチの伴走で立て直し、ラリー・ペイジは「ビル・コーチがいなければ今のグーグルはない」とまで語っています。

優れた人ほど、自分にコーチをつけている——本書はこの事実から逆算して書かれています。コーチングは「できない人を引き上げる手当て」ではなく、「すでに優秀な人がさらに伸びる装置」なのだ、という発想の逆転がここにあります。

三・四・五という、削ぎ落とした骨格

本書の中心は、コーチングを極限まで圧縮した「三つの手法・四つの心構え・五つの手順」です。ここは本書のキモなので、出し惜しみせず書いておきます。

三つの手法は、傾聴・承認・質問。傾聴とは、自分が次に何を言うかを考えるのをやめ、耳と目と心で最後まで聴き切ること。英語ではアクティブ・リスニングと呼ばれ、沈黙すら、相手の心が整理されるのを待つ技法になります。承認と質問は、それぞれ後で詳しく触れます。

四つの心構えは、コーチとしてのあり方です。主役は相手で自分は伴走者にすぎないこと。相手が答えを持っていると信じ切ること。相手の無限の可能性を信じること。答えは一つではないと考え、持論を押し付けないこと。

この四つを忘れると、人はすぐ「正しいやり方」を教えたくなる。心構えは、その衝動をこらえるための土台なのです。

五つの手順は、ゴールへ向かう実際のステップです。①目標を明確にする②現状を正確に把握する③ゴールと現状のギャップを示す④ギャップを埋める具体的な行動を決める⑤結果を振り返り、次の一歩を決める。

シンプルですが、これを一周回すだけで相手は自分で考えて動き出す、という設計になっています。

そして著者は、見落としがちな数字で釘を刺します。コーチングの成功に、スキルやモデルが寄与する割合はわずか15%だと。残りはどこから来るのか。コーチィ(受ける側)のあり方が40%、コーチとコーチィの関係が30%、期待効果が15%です。

つまり、テクニックを磨くより「相手とどう向き合うか」が圧倒的に効く、という数字です。「コーチングは筋トレ」という言い方も、一度学んで終わりではなく、関係性の中で続けて初めて身につくという同じ理屈でしょう。

この前提があるからこそ、本書は小手先のテクニック集には堕ちずに済んでいます。

「褒める」と「承認」は、まったく別物

本書でいちばん視界が開けたのが、ここでした。

私たちは「相手を肯定するには褒めればいい」と思い込んでいます。ところが著者は、コーチングで必ずしも褒める必要はないと言う。なぜか。褒めるという行為は、こちらの評価軸で相手をジャッジすること、つまり上から目線の評価になってしまうからです。

代わりに使うのが承認です。たとえばテストの点が上がったとき、「すごいね」と評価する代わりに「前回は60点だったけど、今回は90点だね。30点も伸びたね」と、起きた事実をそのまま取り上げる。

評価を下さず、変化を見ていることを伝える。これが横から目線の関わりです。賞賛は受け手に「次も評価されなきゃ」という緊張を生みますが、事実の承認は「ちゃんと見てもらえている」という安心を生む。この差は小さいようで、相手の動き方を根本から変えます。

もう一つの道具がIメッセージです。「あなたは努力していますね」(Youメッセージ)は、評価されている感じがして反発を生むことがある。これを「私には、あなたがとても努力しているように思えます」(Iメッセージ)に変えるだけで、押し付けがましさが消えます。

家族には「私たち」を主語にしたWeメッセージも効くといいます。

人は「ほめられた」より「気づいてもらえた」で動く。承認とは、その「気づいている」を伝える技術なのだと本書は言います。私はこれを読んで、過去に部下へかけてきた言葉の多くが、実は自分の評価の押し付けだったと気づかされました。

「自分のための質問」を捨てる

質問の章で、視点がもう一段変わります。

ふだん私たちがする質問は、自分が知りたいことを聞く「自分のための質問」です。でも著者は、検索すれば済む時代に価値があるのは「相手のための質問」だと言う。自分が知りたいだけなら、もう人に聞く必要はない時代だからです。

相手のための質問には、二つのコツがあります。一つは、否定形ではなく肯定形で聞くこと。「どうしてできないの?」と原因を責めると、相手は言い訳を探し始めます。「どうやったらできるだろう?」と聞けば、思考が解決のほうへ動き出す。

もう一つは、閉じた質問より開いた質問を使うこと。「はい・いいえ」で終わる質問はそこで思考が止まりますが、「もし何の制約もなかったら、どうしたい?」のような問いは、相手が答えを探しに行く分だけ思考が深まります。

良い質問が、良い思考を導き、良い思考が良い行動につながり、良い行動が良い人生を創る

人は1日に数万回、自分自身に問いかけているといいます。その問いの質が、そのまま人生の質を決める。だからこそ質問は最重要のスキルなのだ、という言葉には素直にうなずかされました。相手に向ける問いを変えることは、結局、自分自身に向ける問いを鍛えることでもあるわけです。

技術の奥にある「本当のゴール」

第三章で、本書は手法の奥にある目的へ到達します。

著者は人の価値を3層で整理します。底辺が存在価値(Being=存在そのものへの価値)、中間が機能価値(Doing=何ができるか)、頂点が所有価値(Having=何を持っているか)です。

現代の学校や会社は、機能価値と所有価値ばかりを問います。何ができるか、何を持っているか。でも本書が大切にするのは、底辺の存在価値を無条件に認めることです。いるだけで周りを笑顔にする赤ちゃんのように、です。

この揺るぎない存在価値の土台を「自己基盤」と呼び、その上に他人の評価に流されない「自分軸」を立てる。これこそコーチングの最終ゴールだと著者は言い切ります。

堅固な存在価値基盤の上に、自分軸を打ち立てる

傾聴も承認も質問も、すべてこの自己基盤を育てるための手段だった——と見えたとき、タイトルの「決定版」の意味がようやく腑に落ちました。

さらに著者は、自己実現の先に「他己実現」という言葉を置きます。自己実現が自分の目標を叶えることなら、他己実現は相手のゴール到達を全力で後押しすること。コーチングを「引き出す×その気にさせる×伴走する」と要約する著者の姿勢が、ここに凝縮されています。

ひとつ現実的な注意も書いておきます。著者は「コーチのついていないコーチは、ニセモノ」と認め、本を読んだだけで一人で完璧に実践し続けるのは難しいと正直に言います。

だから数人で問いを交わし合うグループコーチングのような「続けられる環境」を勧める。自分の手法の限界まで開示するこの誠実さも、本書を信頼できる一冊にしている理由でした。

明日から始める3つの行動

本書を実生活に落とすなら、欲張らずこの3つからで十分です。

まず、相手の話を最後まで聴き切ること。途中で口を挟まず、次の質問も考えず、うなずきと相づちだけで最後の一文まで待つ。まずはこれを一週間やってみてください。

次に、褒めるのをやめて事実を承認すること。「すごいね」を封印し、「前より◯◯ができるようになったね」と起きた事実をそのまま言葉にする。「私にはこう見える」とIメッセージで添えると、さらに伝わります。

最後に、「どうしてできないの?」を「どうやったらできる?」に変えること。否定形の質問を一つ肯定形に置き換え、それを自分自身への問いかけにも使う。問いの向きが変わるだけで、出てくる答えが変わります。

一度に増やしても続きません。一つ目が習慣になったら次へ、くらいでちょうどいいのです。

おわりに

読み終えて残るのは、テクニックのリストではありませんでした。

教えたくなる気持ちをこらえて、問いかける。評価したくなる気持ちをこらえて、事実を認める。自分の答えを言いたくなる気持ちをこらえて、相手を信じて待つ。コーチングとは、結局のところ、こちらが我慢する技術なのかもしれない——そんな読後感が残ります。

そして本書は最後に、相手の自己基盤を強くしたいなら、まず自分の自己基盤が盤石でなければならないと問いかけてきます。人を支えたいなら、まず自分が揺るがないこと。

安定とは、行動し、変化し続けること

明日の会話で、つい「教えたくなった」瞬間に、一度だけ「どう思う?」と聞いてみてほしい。そこから、本書の効果は静かに立ち上がってきます。


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