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『コーチングの教科書決定版』菅原秀幸さん|「教える」をやめた瞬間、人は動き出す

リーダーシップ・組織
約5分で読めます

後輩に同じことを三回も教えた。なのに、また同じミスをする。

そのとき、つい「何回言えばわかるの」と言いたくなります。でも本書を読むと、問題は相手の理解力ではなく、こちらの関わり方だったとわかる。教えれば教えるほど、人は自分で考えなくなる——この一見逆説的な指摘が、本書全体を貫く出発点になっています。

『コーチングの教科書決定版』は、大学教授でアカデミック・コーチング学会会長の菅原秀幸さんが、長年の実践と研究をまとめた一冊です。流派ごとにバラバラだったコーチングを「コーチング・サイエンス」として整理し、誰でも日常で使える形に削ぎ落としている。ここでは、私が読んでとくに腹落ちした視点だけを取り上げ、体系の全容は本書に預けます。

こんな人におすすめ

本書が効くのは、スキルというより「人との向き合い方」を作り直したい人だと感じました。

たとえば、丁寧に教えているのに部下が指示待ちから抜け出せない人。「すごいね」と褒めているのに相手のやる気が続かない人。1on1で何を聞けばいいかわからず、つい自分ばかり話して終わってしまう人。家族の相談に乗ると、いつの間にか自分の意見を押し付けている人。心当たりがあるなら、得るものは大きいはずです。

逆に、エグゼクティブ向けの高度なケーススタディや、すぐ使える小手先のテクニック集だけを求める人には物足りないかもしれません。本書は最初から「日常使い」を狙って書かれているからです。

「教える」をやめた瞬間の話が、いちばん効く

本書には印象的なエピソードがいくつも出てきますが、私が忘れられないのはテニスコーチの話です。

あるコーチは当初「ボールをよく見て打って」と教えていました。でも、うまくいかない。そこで彼は指導をやめ、代わりに「飛んでくるボールの縫い目は、縦回転か横回転か?」と問いかけるように変えます。すると生徒は自然とボールに集中し、本来の力を発揮しだした。教えるのをやめて問いかけたら、勝手にうまくなったのです。

この一例だけで、「ティーチングからコーチングへ」という本書のメッセージが体に入ってきます。ほかにも、巨大IT企業が突き止めた「最高のマネージャーの条件」や、解雇から復活した著名経営者にコーチがついていた話など、説得力のある事例が続きます。が、それらは本書のページで味わうほうがずっと効くので、ここでは深追いしません。

ひとつ言えるのは、本書が「優れた人ほど、自分にコーチをつけている」という事実から逆算して書かれているということ。コーチングを特別なスキルではなく、誰もが受け取り・差し出せるものとして描いている点に、私は好感を持ちました。

「褒める」と「承認」は、まったく別物

本書でいちばん視界が開けたのが、ここでした。

私たちは「相手を肯定するには褒めればいい」と思い込んでいます。ところが著者は、コーチングで必ずしも褒める必要はないと言う。なぜなら、褒めるという行為は、こちらの評価軸で相手をジャッジすること——つまり上から目線の評価になってしまうからです。

代わりに使うのが「承認」です。たとえばテストの点が上がったとき、「すごいね」と評価するのではなく、起きた事実をそのまま取り上げて言葉にする。評価を下すのではなく、変化を見ていることを伝える。私はこれを読んで、過去に部下へかけてきた言葉の多くが、実は自分の評価の押し付けだったと気づかされました。

「人は『ほめられた』より『気づいてもらえた』で動く」。承認とは、その「気づいている」を伝える技術なのだと本書は言います。事実の取り上げ方や、主語を変えるだけで響き方が変わる言い回しなど、具体的な道具立ては本書で確かめてみてください。考え方さえ掴めば、明日の会話から試せます。

スキルより、向き合い方が効く

本書には、コーチングの成功にスキルやモデルが寄与する割合を示した、ちょっと意外な数字が出てきます。その比率を見ると、テクニックを磨くより「相手とどう向き合うか」のほうが圧倒的に大事だと一目でわかる。

具体的な内訳は本書を読んでのお楽しみですが、著者が「コーチングは筋トレ」と言うのと同じ理屈です。一度学んで終わりではなく、関係性の中で続けて初めて身につく。この前提があるからこそ、本書は小手先のテクニック集に堕ちずに済んでいます。

質問についても同じ姿勢が貫かれています。「自分が知りたいことを聞く質問」から「相手のための質問」へ。否定形を肯定形に変えるだけで、相手の思考が言い訳から解決へと向きを変える——そんな具体例が並びますが、根っこにあるのはやはり「相手を信じて待つ」という構えです。

良い質問が、良い思考を導き、良い思考が良い行動につながり、良い行動が良い人生を創る

人は1日に数万回、自分自身に問いかけているといいます。その問いの質が人生の質を決める。だからこそ質問は最重要のスキルなのだ、という著者の言葉には、素直にうなずかされました。

技術の奥にある「本当のゴール」

第三章で、本書は手法の奥にある目的へと到達します。

著者は、人の価値には複数の層があると整理します。何ができるか、何を持っているか——現代の学校や会社は、そうした「できること・持っていること」ばかりを問う。けれど本書が大切にするのは、もっと底にある「存在そのものへの価値」を無条件に認めることです。いるだけで周りを笑顔にする赤ちゃんのように、です。

この揺るぎない土台の上に、他人の評価に流されない「自分軸」を立てる。傾聴も、承認も、質問も、すべてはこの土台を育てるための手段だった——という構造が見えたとき、本書のタイトルにある「決定版」の意味がようやく腑に落ちました。では、その最終ゴールを著者がどんな言葉で言い切るのか。そこは本書のいちばん静かなクライマックスなので、ぜひ自分の目で確かめてほしいところです。

ひとつ現実的な注意も。著者は、本を読んだだけで一人で完璧に実践し続けるのは難しいと正直に認め、数人で問いを交わし合うような「続けられる環境」を作ることを勧めています。この誠実さも、本書を信頼できる一冊にしている理由のひとつでした。

おわりに

読み終えて残るのは、テクニックのリストではありませんでした。

教えたくなる気持ちをこらえて、問いかける。評価したくなる気持ちをこらえて、事実を認める。自分の答えを言いたくなる気持ちをこらえて、相手を信じて待つ。コーチングとは、結局のところ、こちらが我慢する技術なのかもしれない——そんな読後感が残ります。

そして本書は最後に、人を支えたいならまず自分が揺るがないこと、と問いかけてきます。明日の会話で、つい「教えたくなった」瞬間に、一度だけ「どう思う?」と聞いてみてほしい。そこから、本書の効果は静かに立ち上がってきます。


合わせて読みたい

『「承認(アクノレッジ)」が人を動かす』鈴木義幸 本書の三つの手法の一つ「承認」だけを掘り下げた一冊です。「褒める」と「承認」の違いに納得した人が、相手を認める言葉のバリエーションを増やすのにぴったりです。

『新 コーチングが人を活かす』鈴木義幸 コーチングの考え方をもう一歩深めたい人へ。本書が「日常使い」の入口だとすれば、こちらは「引き出す」という言葉に潜む上下関係まで問い直す、視点を上げる一冊です。

『まず、ちゃんと聴く。』櫻井将 三つの手法の最初にある「傾聴」を徹底的に扱った本です。本書で「聴き切る」が大事だと感じたものの、実際には難しいと気づいた人の、次の一冊になります。


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