「もう少し情報が揃ってから判断しよう」。この一言を、私は何度言ったかわかりません。
調べれば調べるほど、正しい答えに近づける気がする。だから資料を集め、データを眺め、また調べる。なのに締め切りが来て、結局バタバタと決める。
『仮説思考』は、この仕事の進め方を真っ向から否定する本です。著者の内田和成さんは、ボストンコンサルティンググループ(BCG)で活躍したコンサルタント。2006年の出版以来、問題解決の定番として読み継がれてきた一冊です。
本書の主張は、この一文に集約されます。
課題を分析して答えを出すのではなく、まず答えを出し、それを分析して証明するのである。
答えは、調べたあとに出すものではない。調べる前に出すもの。順番が逆なんです。
こんな人におすすめ
- 仕事を頼まれると、まず情報収集から始めて、気づけば1日が終わっている人
- 会議で「もう少しデータを見てから」と、結論を先送りしてしまう人
- 上司に「で、君はどう思うの?」と聞かれて、言葉に詰まった経験がある人
どれも、かつての私です。調べている間は、仕事をしている実感があります。でも本書を読むと、それが「決めない言い訳」だったと突きつけられます。
この本の核心と強み
仮説とは「まだ証明はしていないが、最も答えに近いと思われる答え」のこと。情報収集や分析を始める前に持つ、仮の結論です。
仮説思考とは、情報が少ない段階から、常に問題の全体像や結論を考える思考の習慣を指します。
対極にあるのが「網羅思考」。あらゆる情報を集め、すべて分析してから結論を出そうとするやり方です。
一見誠実に見えますが、内田さんの評価は手厳しい。「すべてを理解しないと前に進めない人たちがとりがちなやり方」「自分のために言い訳を探し求める人たちの思考方法」とまで言い切ります。
背景には「ビジネスに客観的な答えなどない」という割り切りがあります。数学のような唯一の正解を探すのではなく、実行案から入り、相手や市場の反応を見ながら直していく。本書はこれを実行案志向と呼びます。
本書の強みは、この主張を将棋の羽生善治さんやセブン-イレブンといった具体例で裏付けていくところです。抽象論で終わらず、明日の仕事の進め方が変わるレベルまで落とし込まれています。
本書の全体像
構成は5章立てです。
第1章で「情報は集めるより捨てることが重要だ」という問題提起をし、第2章で仮説がもたらす大局観を説明します。第3章は仮説の立て方、第4章は検証のやり方。最後の第5章で、仮説思考力を日常で鍛える方法に踏み込みます。
「なぜ仮説か」から「どう身につけるか」まで、一直線に進む構造です。
役立つ情報は、選択肢を「狭める」情報だけ
第1章でいちばん驚いたのは、情報の価値の定義でした。
意思決定をするときには、いますでにある選択肢を狭めてくれる情報だけが役立つのだ。
例として挙がるのが、接待の店選びです。相手の予定がわかれば、候補は絞られる。これは役立つ情報です。
でも「いま流行りの店」の情報は、選択肢を増やすだけ。情報理論でいう「エントロピー」、つまり不確実性を増大させ、かえって意思決定を遅らせます。
「情報が多ければ多いほど、よい意思決定ができるというのは、間違った思い込みである」と内田さんは書いています。何かを実行しないこと自体がリスクになる時代に、選択肢を広げ続ける情報収集は致命傷になる、と。
ネット通販で比較しすぎて、結局何も買えなかった経験はないでしょうか。あれが情報洪水です。仕事でも、まったく同じことが起きています。
答えから始めると、全体像が先に見える
第2章のキーワードは「幹」と「枝葉」です。
仮説を持たずに仕事を始めると、細かい分析(枝葉)から着手してしまい、全体像(幹)がいつまでも見えません。逆に、最初にストーリーの全体像を描いてしまえば、必要な作業だけに集中できます。
仮説の使い道は2つあります。何が真の問題かを突き止める「問題発見の仮説」と、それをどう解決するかの「問題解決の仮説」です。
プロ野球の衰退を考える例がわかりやすい。あらゆる要因を洗い出すのではなく、「テレビ視聴率の低下」に的を絞り、そこから「試合時間の短縮」という打ち手まで一気に掘り下げます。
全体像を描く道具が「空パック」。中身のデータが入っていない、主張だけが書かれたスライドの束です。
資料作りをデータ集めから始めるのではなく、まず結論と論理構成を書き切ってしまう。あとは、その主張の証明に必要なデータだけをピンポイントで集めます。
免疫学者の石坂公成さんは、恩師から「実験する前に論文を書け」と指導されたそうです。予測をもとに論文を先に書いてから実験することで、必要な対照が完璧に取れ、はっきりした結果を出せるようになった。仮説が先、検証が後という順番は、科学の世界でも同じでした。
よい仮説は「一段深く」「行動に結びつく」
では、どんな仮説でもいいのか。第3章で内田さんは、よい仮説の条件を2つ挙げています。一段深く掘り下げられていること。そして、具体的な解決策や戦略に結びつくことです。
「営業マンの効率が悪い」は、仮説として浅い。そこから「なぜ?」を重ねて、「デスクワークに忙殺されて、外回りの時間がない」まで掘り下げる。ここまで来れば「デスクワーク専門のアシスタントを置く」という打ち手が見えます。
仮説はどこから生まれるのか。コンサルタントへの調査では「ディスカッションを通じて」が最多で、次いでインタビューや突然のひらめきだったそうです。分析結果が種になることもあります。
机の上でひとり唸るより、人と話す。意外と泥臭いんです。
行き詰まったときの頭の使い方も3つ紹介されます。顧客や競合など「反対側から見る」。あえて「両極端に振って考える」。既存の枠組みを外して「ゼロベースで考える」。
たとえばデフレの時代に、あえて「値上げしたらどうなるか」を考えてみる。すると、機能やコスト以外に自社が支持される理由が見えてきて、実は大きく値下げする必要がないと気づけたりします。
対立する部署と揉めたときは「相手のメガネをかけてものを見る」。営業と生産がぶつかる場面で、相手の立場からシミュレーションすると、新しい解決策の仮説が生まれます。
仕上げの基準も明快です。「名刺の裏一枚に書ききれないアイデアは、大したアイデアではない」。掘り下げた末の仮説ほど、短く言えるはずだという感覚は、企画書を書くたびに思い出したい言葉でした。
仮説は「実験・ディスカッション・分析」で進化する
第4章は検証の話です。立てた仮説は、実験・ディスカッション・分析の3つの方法で検証し、進化させていきます。
実験の名手として登場するのが、セブン-イレブンです。消費者の「おにぎり離れ」に対し、「品質がよく味がよければ、200円のおにぎりでも売れる」という仮説を立てました。
実際に売り出すと、100円に値下げしたとき(売上約20%増)をはるかに上回る売上増を記録します。
ソフトドリンクの種類を3分の2に減らしたら、売上が3割増えたという話もあります。「品揃えは多いほどいい」という常識の逆です。
セブン-イレブンの経常利益は1700億円超、営業利益率は35%を超えます。店舗ではやろうと思えば1年に365回の実験ができる、と本書は紹介しています。
ソニーのCDプレーヤー開発も面白い事例でした。まだ世にない商品の場合、消費者自身、何が欲しいかわかっていない。だから31カ月で15種類を発売し、市場の反応を見ながら売れ筋を絞り込む。「消費者刺激型開発」と呼ばれる手法です。
分析については「クイック&ダーティー」、つまり速くて粗い分析で十分だと割り切ります。ビジネスの意思決定には有効数字1桁で足りる。成功確率が83%でも79%でも、出す結論は変わらないからです。
数字の見え方への注意も面白い。「66.7%の人が賛成」と聞くと大きな多数派に見えますが、実は3人のうち2人が賛成しただけ、というケースも多いそうです。
分析が常識を覆す例も出てきます。定価1000円のトイレタリー商品をチャネル別に調べたら、優良とされていた総合スーパー(GMS)は割引がかさんで実質卸値520円、1個あたり65円の赤字。
嫌われ者のディスカウンターのほうが卸値645円で、95円の黒字でした。販売拠点を増やし続けたトヨタより、増やさなかったホンダのほうが1店舗あたりの販売効率がよい、という比較分析もあります。
そしてディスカッション。内田さんは「社内の恥はかき捨て」と言います。不完全な仮説でも早めに同僚や上司にぶつけたほうが、一人で抱え込むより速く進化します。
直感は、経験の積み重ねで鍛えられる
第5章は、仮説思考力の高め方です。
象徴として出てくるのが、将棋の羽生善治さん。ひとつの局面で指し手は80通りほどあるのに、経験に基づく直感で瞬時に2〜3手まで絞り込み、それから頭の中で検証する。しかも「直感の7割は正しい」と言うそうです。
サッカー日本代表を率いたハンス・オフト監督の話も出てきます。中国戦の前に相手を偵察し、「前半30分すぎに逆襲で1点、後半終了間際にもう1点、2対0で勝つ」という展開を描いて選手に指示しました。結果は本当に2対0。
本書はクラウゼヴィッツの『戦争論』にも触れ、不確実な環境でリーダーに必要なのは先見性と決断力だと整理します。その土台になるのが、経験に裏打ちされた仮説です。
凡人はどうするか。本書が勧めるのは日常のトレーニングです。ニュースを見たら「So What?(だから何?)」と問う。問題が起きたら「なぜ」を5回繰り返して真因を探る。
そして、間違いを恐れないこと。
失敗を積み重ねながら、仮説思考は進化していく。
この姿勢を本書は「知的タフネス」と呼びます。正直、ここは耳が痛い話でした。仮説を口にしないのは、間違えたくないからです。でも黙っている限り、仮説の精度は一生上がりません。
ひとつ注意点もあります。よい仮説を生むひらめきは、結局のところ数限りない経験に裏打ちされた直感です。読めばすぐ名手になれる魔法の杖ではなく、泥臭い試行錯誤の期間が要る。本書自身がそれを認めています。
明日からの3つのアクション
本書のアクションプランから、始めやすい3つを選びました。
1. 仕事を頼まれたら、最初の30分で「仮の結論」を書く 情報収集を始める前に、手元の情報と知識だけで「答えはこうなるだろう」というストーリーをメモします。仕事が終わったら、最終結論と見比べて答え合わせをします。
2. ニュースの見出しを見たら、原因の仮説を3つ立てる 「〇〇業界が過去最高益」という見出しを見たら、記事を読む前に「なぜか」を3つ考える。読んで検証する。この繰り返しが直感を鍛えます。
3. 問題が起きたら「なぜ」を5回繰り返す すぐ解決策に飛びつかず、「なぜ?」を最低5回。表面的な原因ではなく真因まで掘り下げてから、打ち手を考えます。
3つとも、今日の午後から試せます。
おわりに
本書にこんな一文があります。
分析が苦手でも仮説が立てられれば、ビジネスの世界では通用する。反対に、いくら分析が得意でも仮説が立てられなければ、大きな仕事はできない。
情報集めや分析は、頑張っている実感を得やすい仕事です。でも、それは答えを出すことの代わりにはなりません。
次に仕事を頼まれたら、検索窓に向かう前に、5分だけ手を止めて「仮の答え」を書いてみてください。間違っていて構いません。その5分が、仕事の速さと質を分ける分岐点になります。
合わせて読みたい
『論点思考』内田和成 同じ内田さんの姉妹本です。本書が「答え(仮説)をどう出すか」なら、こちらは「そもそも解くべき問題をどう選ぶか」。2冊で問題設定から解決までがつながります。
『筋の良い仮説を生む 問題解決の「地図」と「武器」』高松康平 「仮説を立てろと言われても思いつかない」という人への補助線になる一冊です。本書が経験と直感に委ねた仮説の生み方を、「地図」と「武器」という形で型に落としてくれます。
『アウトプット思考』内田和成 同じ著者が「情報との付き合い方」の側から書いた本です。本書第1章の「情報は集めるより捨てる」という主張が、インプット術としてどう展開されるかを確かめられます。