勉強しても頭が良くならないのは、「考える練習」が抜けているから
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「たくさん学べた」と感じた授業ほど、テストの点は低かった。ハーバード大学の物理の授業で、そんな結果が出ています。
勉強した。本も読んだ。メモも取った。それなのに、会議で意見を求められると言葉が出てこない。半年前と比べて、考える力が伸びた気がしない。
こういうとき、たいていの人は量が足りないと考えます。もっと読もう、もっと講座に出よう、と。
ところが研究を並べてみると、つまずきは量より手前にありそうです。伸びたかどうかを測る手応えがずれていること。そして、考える力の育ち方そのものです。
「たくさん学べた」と感じた授業ほど、テストの点は低かった
ハーバード大学のルイ・デローリエ氏らは2019年、入門物理の大人数授業で実験をしました。学期の12週目、受講生149人を無作為に2つの教室へ分けます。内容も配布資料も同じです。
一方の教室では、講師が例題の解き方をわかりやすく講義しました。もう一方では、学生がまず小グループで例題に取り組み、講師は教室を回って質問を投げ、そのあと短く解説しました。次の回は講師と方式を入れ替えています。2人の講師は、どちらも経験豊富で学生の評価が高い人です。
授業の終わりに、学生は「この授業でたくさん学べたと感じる」といった質問に答え、続けて12問の選択式テストを受けました。
結果は食い違いました。学べた感は、講義を聞いた側のほうが0.56標準偏差高い。テストの点は、自分で解いた側のほうが0.46標準偏差高かったのです。
著者らは、食い違いの一因を頭の負荷に求めています。自分で解く授業は疲れる。学生はその疲れを「うまく学べていない」サインと受け取っていました。わかりやすい講義は、話がすっと頭に入る感覚をくれます。その感覚が、学べた証拠のように感じられるわけです。
この実験は物理の授業の話です。ただ、読書やセミナーにも同じ構造があると私は考えています。
たとえば、論理の整った本をすらすら読み終えた夜は、賢くなった手応えがあります。読んだ内容を自分の仕事に当てはめようとして手が止まった夜は、手応えがありません。考える力を使っていたのは、手が止まった夜のほうです。
救いもあります。著者らは別の学期の初めに、この食い違いを20分かけて学生に説明しました。学期末の調査では、65%を超える学生が「能動的な授業への見方がかなり良くなった」と答え、75%が冒頭の説明が役立ったと答えています。疲れることと学べていないことは別だと知るだけで、受け止め方は変わるようです。
考える力は、知識を入れる作業のついでには育ちにくい
そもそも「頭が良くなる」とは、どの力が伸びることなのでしょうか。
白取春彦さんは『頭がよくなる思考術』で、人が「考える」と呼んでいるものを6つの傾向に分けています。そのうち、読書や仕事で情報を理解しようとする働きは「知識の連絡による思考」。何がいちばん重要かを見抜く「本質把握のための思考」とは別のものとして扱われています。
本を読むとき主に動いているのは、前者です。書かれた筋道を追って理解する。それも立派な頭の使い方ですが、自分で問いを立てて判断を下す働きとは違います。白取さんは、どんな形で教わっても、自分の頭と言葉で考え直したものしか本当には理解できない、と書いています。
研究も近い方向を示しています。カナダのコンコルディア大学のフィリップ・アブラミ氏らは2008年、批判的思考を育てる教え方の効果を調べた117件の研究をメタ分析しました。参加者は合わせて2万698人です。ここでいう批判的思考は、情報を解釈し、分析し、評価し、推論する判断のことです。
平均の効果量は0.34で、教えれば伸びることは確かでした。そのうえで著者らは、批判的思考の向上は「暗黙の期待」には任せられない、と結論に書いています。内容を教えれば考える力もついてくるはずだ、と期待するだけでは足りない。考える力そのものを授業の目標に据えるべきだ、という主張です。
ただ、話はもう少し込み入っています。同じチームが2015年に分析を広げると、批判的思考を明示的な目標にした授業としなかった授業の差は、統計的にはっきりしなくなりました。代わりに差が見えたのは、授業の中で学生が何をしていたかでした。
伸びたのは「本物の問題」「対話」「詳しい人の指導」がそろったとき
2015年の分析は、標準化された批判的思考テストで効果を測った341の効果量を集めたものです。全体の平均は0.30でした。
著者らは、授業の中身を3つの要素でも分類しています。
- 対話:議論や質問を通じて、考えを言葉にしてやりとりする
- 本物の問題:応用問題やロールプレイなど、現実に近い問題や事例に取り組む
- 指導:詳しい人と1対1で向き合い、手本を見せてもらったり、考え方の誤りを直してもらったりする
本物の問題だけの授業は0.25、対話だけの授業は0.23でした。両方そろうと0.32。そこに指導が加わった19の効果量では0.57と、全体平均のほぼ2倍になりました。3つそろった研究は数が少ないので、この数字は幅を持って読む必要があります。
3つとも、情報を受け取る活動とは性質が違います。自分の考えを現実の問題にぶつけ、人に話し、詳しい人に直される。どれも頭が疲れる側の活動で、デローリエ氏らの実験で「学べた感」が下がった授業と同じ性質を持っています。
斉藤淳さんが『アメリカの大学生が学んでいる本物の教養』で描くアメリカの大学の授業も、この形をしています。歴史の授業でも、出来事の確認より「なぜ起きたのか」「自分はどう考えるか」を問いにして文献を読み込み、議論するのが主流だといいます。
斉藤さんは、知識を「消費」するだけでは教養は身につかず、知識を「生産」する経験が要ると書いています。生産といっても新しい学説を唱えることではありません。読んだことを議論したり、断片的なメモでも文章にまとめたりすることです。学びは独りよがりになりやすいので、人と議論して確かめる必要がある、とも述べています。
たとえば、同じ一冊を読んだ2人がいるとします。1人は要点を5つノートにまとめて閉じる。もう1人は「この本の主張は、うちのチームの会議にも当てはまるか」を3行で書き、翌日、同僚に見せて反論をもらう。読んだ量は同じでも、2人目だけが本物の問題と対話を経験しています。
読む量はそのままで、読んだあとの30分を変える
誤解:考える力が伸びないのは、インプットが足りないから → 量を増やしても、動いているのが「理解する思考」だけなら、判断する力は練習されません。すらすら読めた手応えも、伸びた証拠にはなりません。
正しいアプローチ:読んだあとに、自分の問題で判断を出す時間をつくる → 物差しを「どれだけ読んだか」から「反論されて答えられたか」に替えます。
具体的には、次の3つから始められます。
1. 要約の代わりに、判断を3行書く 読み終えたら「自分の仕事のこの場面で、私はこう判断する。理由はこうだ」と書きます。白取さんが勧める「書いて考える」の実践です。要約は筆者の筋道をなぞる作業で、判断は自分の考えを作る作業です。5分あれば書けます。
2. その3行を、他人の意見のつもりで批判する 白取さんは、自分の考えを非難するのではなく批判せよ、と書いています。書いた3行を翌日読み返し、弱いところに線を引く。できれば同僚に見せて「どこが弱いと思う?」と聞きます。これが対話の役割を果たします。
3. 月に1回、詳しい人に考えの筋道を見てもらう その分野で自分より経験のある人に、結論だけでなく「なぜそう考えたか」を見せます。メタ分析で効果がいちばん大きかった組み合わせに、指導を足す一手です。
おわりに
勉強しても頭が良くならないと感じるとき、その「感じ」がずれた物差しになっていることがあります。ハーバードの学生たちは、頭が疲れて手応えのない授業のほうで、実際には多くを学んでいました。
次の一冊を読み終えたら、ページを閉じる前に3行だけ、自分の判断を書いてみてください。手が止まって手応えがなくても、それは悪い兆候とは限りません。
この記事で参考にした本
『頭がよくなる思考術』白取春彦さん → 「理解する思考」と「本質をつかむ思考」は別物。考えるとは、言葉で書き、自分の考えを批判すること
『アメリカの大学生が学んでいる本物の教養』斉藤淳さん → 知識は消費するだけでは身につかない。問いを立て、議論し、書くことで「生産」する学び方
合わせて読みたい
『読書について』ショーペンハウアー|「本を読むほど、自分の頭で考えなくなる」 本を読むとは他人の頭で考えることだ、という150年以上前の警告です。本記事の「理解する思考」と「判断する思考」の区別を、哲学者の言葉で確かめられます。
「自分の頭で考えろ」が、一番危ない。 「自分の頭」がいちばん狭い、という指摘から、実在の企業の社長になったつもりで考える訓練法を紹介した記事です。本記事でいう「本物の問題」を、毎日の練習に変える方法として読めます。
意見を変えられる人が、いちばん正確になる 反論を受けて考えを更新することを、ベイズの法則から説明した記事です。書いた3行を批判してもらうとき、何を目指せばいいかが見えてきます。