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ブクドリ | BOOK DRIP

「いい商品」が売れないのは、比べる相手が違うから

約6分で読めます マーケティング・営業
目次

「より良いネズミ捕りを作れば、森の奥に住んでいても、世界中が道を踏み固めてやってくる」。

19世紀の思想家エマソンの言葉として、いまも引用される一節です。ただ、ネズミ捕りが出てくるこの形は、エマソンの死後に知人が記憶を頼りに書き残したもので、本人の著作には見当たりません。

出どころがあやふやなのに、この言葉は生き残りました。「いいものを作れば、いつか売れる」と信じたい人が、それだけ多いのだと思います。

ハーバード・ビジネス・スクールのジョン・グールヴィル氏は、2006年の論文の冒頭にこの一節を置いたうえで、反論しています。消費者に見向きもされない新製品の多くは、実際に既存品より優れている。それでも売れないのは、品質の外側に理由があるからだ、という主張です。

作り手と買い手は、別の問いに答えている

仮の例で考えます。

ある会社が家計簿アプリを作ったとします。レシートを撮るだけで自動で仕分けされ、月ごとのグラフも出る。紙の家計簿より、どう見ても便利です。

作り手が確かめているのは「このアプリは、いい商品か」という問いです。答えはおそらくイエスでしょう。

一方、買い手が答えているのは「いまのやり方をやめて、これに替える価値があるか」という問いです。比べる相手は、競合アプリとは限りません。3年つけてきた紙のノートかもしれないし、「家計簿はつけない」という現状かもしれない。

2つの問いの答えは、なかなか一致しません。ずれ方には、少なくとも3つの構造があります。

品質は、買う前にはほとんど見えない

1つ目は、情報の問題です。

経済学者のフィリップ・ネルソン氏は1970年の論文で、商品を2種類に分けました。服の色や家具の寸法のように、買う前に調べれば分かる性質を持つ「探索財」。味や使い心地のように、買って使うまで分からない性質を持つ「経験財」です。

「いい商品」の「いい」は、多くの場合、後者に属します。たとえばアプリの使いやすさも、化粧品の肌なじみも、専門家の腕前も、買う前には確かめられません。

同じ年、ジョージ・アカロフ氏は中古車市場を例に、売り手だけが品質を知っている市場では、良い品ほど見合った値段で売れにくくなることを示しました。のちにノーベル経済学賞につながった研究です。アカロフ氏は同じ論文で、この問題を和らげる仕組みとして保証、ブランド名、チェーン店、免許を挙げています。

神田昌典さんの『あなたの会社が90日で儲かる!』は、同じ現象を現場の側から見ています。神田さんによれば、商品の品質や顧客満足は、客が離れるのを防ぐ役には立つものの、成約には直接効かない。そして正直者は、商品がいいぶん、売り方を真剣に学ばない。

経済学の言葉に置き換えると、こうなります。品質が効いてくるのは、買ったあとです。買う前の客に見えているのは、品質を推し量るための手がかりだけです。

だから最初の手は、「いい」を買う前に確かめられる形に変えることです。試せる量、数字、第三者の評価、保証。神田さんが勧める「相手にリスクのない提案」も、この文脈で読むと筋が通ります。

作り手は新製品を、買い手は手元の品を高く見積もる

2つ目は、見積もりのずれです。

グールヴィル氏によれば、新製品は買い手に行動を変えることを求め、その変化には心理的なコストがかかります。人は、すでに持っているものの価値を、持っていないものより高く見積もる。そして開発した企業の側は、自社の新製品の価値を高く見積もる。

グールヴィル氏の説明では、両者がおよそ3倍ずつ見積もりをゆがめていて、掛け合わせると9倍の食い違いになります。1つの実験で測った値というより、既存の研究を下敷きにしたおおまかな見積もりです。9という数字の正確さより、ずれが売り手と買い手の両側で生じている点に目を向けたほうがよさそうです。

土台にあるのは、損失回避と呼ばれる性質です。人は、得をする喜びより、同じ額を失う痛みを強く感じます。2024年に経済学の学術誌に載ったメタ分析は、1992年から2017年までの150本の論文から607個の推定値を集め、損失は同じ大きさの利得のおよそ2倍(平均1.955)の重みで感じられると報告しています。

買い手から見ると、新製品で手に入る便利さは「利得」で、いまのやり方を手放すことは「損失」です。たとえば家計簿アプリなら、自動仕分けは利得です。3年分の記録の連続性や、手で書くことで数字が頭に入る感覚を失うのは損失です。作り手は、後者をほとんど勘定に入れていません。

グールヴィル氏は対処として、既存品と両立できる形にすること、既存品をまだ使っていない人から売ること、大きな行動の変化を求めるなら改善の幅を十分に大きくすることなどを挙げています。

買い手を引き止めているのは「慣れ」と「不安」

3つ目は、変化を止める力の問題です。

クレイトン・クリステンセン氏らの『ジョブ理論』は、購買の決断を4つの力の綱引きとして描きます。いまの状況への不満(押す力)と、新しい解決策の魅力(引く力)が変化を後押しする。いまのやり方への慣れと、新しいものへの不安が変化を引き止める。

本に出てくる、マットレスを買い替えた男性の話が分かりやすい例です。彼は毎朝、首や背中の痛みにぼやきながら、1年以上買い替えませんでした。忙しくて選ぶのが面倒だったこと(慣れ)と、以前の高い買い物で失敗した記憶(不安)が、不満より強かったからです。

最後に天秤を傾けたのは、家族のひと言で強まった不満と、買い物ついでに目に入った手軽な選択肢でした。その店は返品を受け付けていて、商品は持ち帰りやすい箱に入っていました。

この話で、マットレスの寝心地そのものはほとんど語られていません。決め手になったのは、面倒と失敗の怖さが小さくなったことです。

ここに、品質に自信のある作り手がはまりやすい穴があると私は考えています。作り手が磨くのはたいてい引く力で、慣れと不安が同じ強さで残っていれば、品質を上げても天秤は動きません。自信があるほど、引く力をさらに強めることに力を注ぎ、止める力を減らす工夫を後回しにしやすいのです。

「どれだけいいか」の前に「替えて失うもの」を書く

実務で変えられることを、2つの誤解に絞ります。

誤解:性能を磨いて丁寧に説明すれば、良さは伝わる → 買う前には品質がほとんど見えないので、説明を重ねても確かめようがありません。

正しいアプローチ:「いまのやり方と比べて、何が変わり、何を手放すか」を先に書く → たとえば家計簿アプリなら、「紙の記録は撮影してそのまま取り込めます」と書くだけで、手放すものが1つ減ります。比べる相手を、買い手の現状に置き直します。

誤解:迷っている客には、値下げで背中を押す → 値下げは引く力を強めるだけで、「失敗したらどうしよう」という不安は残ります。神田さんも、割引より「客が感じる価値」を上げるほうを勧めています。

正しいアプローチ:不安と手間を減らす仕組みを先に作る → お試し、返金保証、データ移行の代行、小さく始められるプラン。どれも品質には手を付けずに、変化のコストを下げる工夫です。

5分で始められることもひとつ置いておきます。

自社の商品ページから、「高品質」「こだわり」「使いやすい」のように、買う前に確かめられない言葉を探して数えてみてください。見つかったら、ひとつずつ「試せる」「数字で示せる」「保証できる」のどれかに置き換えられないか考えます。置き換えられない言葉が多いほど、その「いい」は買い手にまだ見えていません。

おわりに

「いい商品なのに売れない」という悩みは、品質の診断としては当たっていることが多いのだと思います。ずれているのは、比べる相手のほうです。

作り手は自社の商品を競合と比べ、買い手はいまの自分の暮らしと比べています。次に企画書を書くときは、競合との比較表の隣に、「この商品に替えると、買い手は何を手放すか」という欄をひとつ足してみてください。


この記事で参考にした本

『あなたの会社が90日で儲かる!』神田昌典 → 品質は客離れを防ぐが成約には直接効かない、正直者ほど売り方を学ばないという指摘

『ジョブ理論』クレイトン・M・クリステンセンほか → 購買の決断を、不満と魅力が慣れと不安を上回るまでの綱引きとして見る枠組み


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