名刺交換の翌日、忘れられているのは名前のほう
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名刺交換をした翌朝、もらった名刺を見返しても顔と名前が結びつかない。たぶん相手も、あなたについて同じ状態です。
ただ、記憶と対人認知の研究を並べてみると、「忘れられている」の中身はもう少し細かく分かれます。
抜け落ちやすいのは名前です。「感じのいい人だった」という印象は、本人が思っているより残っている。関係が途切れる原因は、忘れられたことそのものより、「どうせ覚えていないだろう」と連絡を控えることのほうにありそうです。
名前は、人について思い出す情報のうち最後に出てくる
英国の心理学者アンドリュー・ヤング氏らは1985年、22人に7週間、人を見分けるときの失敗を日記に記録してもらいました。集まった記録は922件です。
顔を見て「知っている人だ」とは分かるのに、誰だか思い出せない。職業や経歴まで思い出せたのに、名前だけが出てこない。そうした失敗は数多く記録されました。ところが、ほかの情報を何も思い出せないまま名前だけが出てきた、という記録は1件もありませんでした。
名前の思い出しにくさは、単語の難しさでは説明がつきません。1987年に同じ研究グループが報告した実験では、見知らぬ16人の顔写真について、それぞれの職業と名字を覚えてもらいました。
使われたのは、ベイカー(パン屋)やポッター(陶工)のように、職業にも名字にもなる単語です。同じ単語なのに、「この人はパン屋だ」より「この人の名字はベイカーだ」のほうが、ずっと思い出しにくかった。
この現象は、のちに「ベイカー/ベイカーのパラドックス」と呼ばれるようになりました。よく挙げられる説明はこうです。パン屋という職業は、パンやオーブン、早起きといった知識とつながっている。名字のベイカーには、つながる先がない。
ただし、名前の記憶そのものが弱いわけではありません。英国の研究チームが2019年に報告した実験では、見覚えがあるかどうかを答える「再認」のテストで、初めて見た名前は初めて見た顔よりよく覚えられていました。
名前は、手がかりなしに自分で思い出すのが苦手なだけで、目の前に出されれば見覚えに気づきやすい。翌日の相手があなたの名前を言えなくても、メールの差出人欄で気づく余地は残っています。
名刺を差し出すその瞬間、相手は自分の番を待っている
名前が残りにくい理由は、もう一つあります。名前を聞くタイミングです。
1973年、心理学者のマルコム・ブレナー氏は、テーブルを囲んだ参加者に順番に単語を読み上げてもらい、あとで覚えている単語を書き出してもらいました。すると、自分の番の少し前に読まれた単語ほど、思い出せなくなっていました。
この「ネクスト・イン・ライン効果」は、その後の研究でもくり返し確かめられています。社交不安の強い人ほど効果が大きく、直前の単語をしっかり覚えるよう指示すると消えた、という報告もあります。自分の番に備えることに注意を取られ、聞いた言葉が記憶に書き込まれにくくなる、というのが研究者たちの説明です。
初対面の挨拶では、これが両側で同時に起きやすくなります。あなたが名乗っている間、相手は自分の名乗り方を考えています。実験は単語の読み上げでしたが、2019年にこの効果を調べたカナダの研究チームも、順番に自己紹介すると直前の人の名前が頭に残らない例を挙げています。
だとすると、名乗った瞬間は、覚えてもらうには条件の悪い場面です。覚えてほしいことは、相手が聞く側に回っているときに渡したほうがいい。これは実験結果から一歩進めた私の解釈です。
その具体的な形が、岸正龍さんの『一瞬で印象を操るズルい話し方』にあります。岸さんの名刺には、電話番号の横に「(電話あまりでません)」と添えてあるそうです。受け取った人はたいてい「どうしてですか」と聞いてくる。その答えとして、いちばん伝えたいことを話せるわけです。
同書は、自分からアピールすると売り込みと受け取られやすいので、相手に質問させる「フック」を仕掛けるよう勧めています。質問した相手は、その瞬間は聞く側に回っています。ただし同書も、銀行の法人担当や医師のように「こうあるべき」という期待が強い職業では、意外性がかえって不信感につながると注意しています。
「感じのいい人だった」は、あなたが思うより残っている
名前が抜けやすい一方で、印象のほうは事情が違います。
コーネル大学のエリカ・ブースビー氏らは2018年、初対面の2人に会話をしてもらい、終わったあとに「相手をどれくらい好きか」と「相手は自分をどれくらい好きだと思うか」を別々に尋ねました。
ずれの向きは、いつも同じでした。人は、相手が自分に抱いた好感を低く見積もっていたのです。最初の実験では5分の会話のあと、相手への好感は7段階で平均5.82、相手から自分への好感の予想は平均5.17でした。
著者らはこのずれを「好感度ギャップ(liking gap)」と呼んでいます。会話の長さを変えても、英国の一般の人を対象にしても、同じずれが出ました。大学の寮で同じ部屋割りになった新入生102人を1年間追った調査では、ずれが数か月続き、5月の最終回でようやく消えています。
原因について、著者らはこう説明しています。人は会話のあと、「話しすぎたかも」「退屈させたかも」と自分の失敗ばかり思い返し、その辛い自己評価を相手の評価だと思い込む。実際には相手の好意は態度に出ていて、会話の録画を見た第三者はそれを読み取れていました。
このずれは、その後の関係にも響いているようです。2021年の続報では、米国の大学の工学系チームに所属する学生140人を調べました。「仲間に好かれている」と思えていない人ほど、助けを求めにくく、率直な意見も言いにくく、次のプロジェクトも一緒にやりたいと答えにくい傾向がありました。相関の研究なので、因果の向きまでは分かりません。
初対面の翌日に連絡をためらうとき、私たちは「どうせ覚えていないだろう」「特に好印象でもなかっただろう」と考えがちです。前半は、名前に限れば当たっています。後半は、たぶん見積もりが辛すぎます。
途切れた関係は、あとからでもつなぎ直せる
では、連絡しないまま時間がたってしまったら、もう手遅れなのでしょうか。
ラトガース大学のダニエル・レヴィン氏らは2011年、エグゼクティブMBAに通う管理職に、3年以上連絡を取っていない知人へ仕事の相談をしてもらった研究を発表しました。前後の調査に答えたのは129人です。
途切れていた関係は、意外なほど役に立ちました。相談にかかる手間は今つきあいのある浅い知人と同程度で、新しい知識も得られた。かつて親しかった相手とは、信頼もほとんど目減りしていませんでした。
追加の調査では、相談したい順に並べた10人のうち、1番目の相手と下位の相手とで、得られた知識の有用さに差が見られませんでした。著者らは、参加者が最初は連絡をためらっていたことも書き留めています。
ただし、この研究の相手は、かつて一定のつきあいがあった人です。名刺を一度交換しただけの相手とは違います。著者ら自身も、浅い接点を大量に作って後で使おうとするやり方では、同じ効果は見込めないだろうと述べています。
それでも、「間があいたら終わり」という思い込みを疑う材料にはなります。時間がたったことは、それだけでは連絡しない理由になりません。
名前の横に、思い出す手がかりを置く
ここまでを行動に落とします。
誤解:名刺を渡せば、名前は覚えてもらえる → 名前は、人について思い出す情報の中でいちばん最後に出てきます。しかも名刺を渡す瞬間、相手は自分の番に気を取られています。
正しいアプローチ:名前と一緒に、思い出す手がかりを渡す → たとえば会話の途中に、相手が質問したくなる一言を入れておく。翌日の連絡では、件名と一行目に「〇〇の会で、△△の話をした」と書き、名乗りはそのあとに置きます。
誤解:覚えられていないだろうから、連絡しても迷惑になる → 忘れられやすいのは名前で、好印象は本人の予想より残っています。
正しいアプローチ:自分の見積もりは辛めに出ると知ったうえで送る → たとえば会話で相手が挙げた本や記事を、ひとこと添えて送る。数週間あいてしまっても、それだけで送るのをやめる理由にはなりません。
明日からできることは2つです。
1つ目は、名刺をもらったその日のうちに、裏へ話題を一つ書いておくことです。デール・カーネギー氏は『人を動かす』で、ナポレオン三世の習慣を紹介しています。聞き取りにくい名前は聞き返し、珍しい名前はつづりを尋ね、一人になるとすぐ紙に書き留めていた、というものです。
自分が相手の名前を覚える側に回るときも、名前だけを覚えようとせず、話した内容と結びつけておく。ベイカーのパラドックスを踏まえると、そのほうが思い出す手がかりが増えます。
2つ目は、ここ数か月で名刺を交換した人から1人を選び、あの日の会話に触れた短いメッセージを送ることです。5分あれば書けます。
おわりに
一晩たって相手の頭から抜けているのは、たいてい名前のほうです。「感じのいい人だった」という記憶は、あなたが思うより長く残っています。
だから連絡の一行目は、名乗りより先に、あの日の話題から始めてみてください。
この記事で参考にした本
『一瞬で印象を操るズルい話し方』岸正龍さん → 自分からアピールせず、相手に質問させる「フック」を仕掛けるという自己紹介の組み立て方
『超訳 カーネギー 人を動かす』デール・カーネギー氏 → 聞き返す、つづりを尋ねる、書き留めるというナポレオン三世の名前の覚え方
合わせて読みたい
『LISTEN』ケイト・マーフィ氏 会話の途中で、次に言うことを考えてしまう。本記事の「自分の番を待つ間は聞けていない」を、聴く技術の側から深められます。
『人は話し方が9割』永松茂久さん 名刺交換では肩書きより名前に注目し、会話の中で呼ぶことを勧める本です。名前を覚えてもらう側から、覚える側に回るときのヒントになります。
「聴いているつもり」が、いちばん厄介 相手の話を受けずに自分の言いたいことを言い合う「モノローグの交換」を扱った記事です。初対面の会話で相手の話が残らない理由を、別の角度から考えられます。